秋の名残

この数日、とてもよいお天気続きです。最低気温がマイナス3度くらいになり、ベランダの鳥用の水が見事に凍っています。木の葉が急いで散っていきます。落ち葉のじゅうたんですが、このまましておくと、あとが汚くなるので、落ち葉かきをしなければなりません。散ってすぐの時は、まだ太陽の温かさを残し、黄色や紅の色が鮮やかで、集めていても気持ちがいいのです。

リルケの「秋の日」という詩をご紹介します。(吉田秀和訳)
主よ、時です。夏はとてもおおきかった
あなたの影を日時計の上に投げかけ
野の上に風を走らせて下さい。

最後の果実に満ちよと命じ
彼らにあと二日の南国よりの場を与え、
彼らを完熟に向けておしやり
最後の甘味を重い葡萄に注ぎ給え。


今家を持たぬものはついに何の家も建てず
今独りでいるものは長くそのままでいよう。
夜、目覚め、読み、長い手紙を書き
並木道を行きつ戻りつ、あちこちを落ち着きなく
小迷うだろう、木の葉の走る時。

ラマルー・レ・バン

昨日書いたラマルー・レ・バンについて追記です。
この町はエロー県にあり、とても田舎です。山々にかこまれ、緑豊かなところは、私が今住んでいるところに似通っています。高速道路に直結していないので、ちょっと不便な感じでしたが、私が行ったのは10数年前ですから、大幅は進歩があったかもしれません。人口は3000人弱でしたが、今も変わらないか、減少しているのではないかと思います。
 フランスでは市町村の区別をしませんから、ロック市長と書きましたが、日本の感覚からいえば、町長あるいは村長さんの名称がぴったりくるように思います。
 ここの温泉は神経系やリューマチなどに効果があるそうです。美人の湯ではないようです。
 
 町の入り口にゴルフ場があります。町の中央にはたしかカジノもあったように覚えているのですが、週末だけの開場だったように思います。湯治客用のホテルも古めかしいものが多く、活気あふれるという感じはしませんでした。でも落ち着く雰囲気です。

 秋口に訪問した時は、イノシシ料理が出ました。初めて食べた時、肉の臭さを消すためか、こってりしたソースが、こってりしすぎました。もうそろそろ淡泊な料理を好む年齢になっていたからでしょう。でもおいしかったです。ジビエなども名物料理になります。

古い小さな温泉町、こんなところでしょうか。コートダジュールの派手さにうんざりした人にはお勧めです。

秋の叙勲

11月3日は秋の叙勲の新聞発表日です。誰かしら知人が受章している可能性があるので、一応目を通していました。今回は特にうれしい受賞者がいました。南仏にいたころの知人、ラマルー・レ・バン市長のマルセル・ロック氏です。旭日中綬章を受けられるとのことです。

ラマルー・レ・バンという町は、南仏ラングドック・ルシヨン地方にあって、レ・バンということからもわかるように、温泉の町なのです。ラジウム鉱泉が湧出しているとか。そしてそのラジウム鉱泉という共通性から、日本の三朝温泉と姉妹提携をしています。

この二つの温泉の交流は、いろんな面でとても盛んです。各年に双方が行ったり来たりで、たくさんある姉妹都市や友好都市の中で、最高ではないかと思うほどです。

ロック市長は、私たちがいたころは市長職のほか、国会議員も兼職していました。温厚で、親しみやすく、日本のことについても理解が深く、日仏交流に努めていました。

 ですから、今回の受章も当然のことと、本当にうれしく思ったのです。


 フランスの温泉、有名なところではヴィッシー、エックス・レ・バン、エクサン・サヴォワディーニュ・レ・バンなどがあるが、これは日本の入浴目的のものではなく、温泉治療のためのもの。医者の処方にのっとって、温泉につかったり、飲んだりするとか。私は医者の処方を得るほどの病気にもならなかったので、温泉には入れなかった。それがとても残念。

文化の日

今日はとってもローカルな話です。わが村では、毎年11月3日は大文化祭が行われます。小中学生の作品(学年でテーマは決まっているし、いかにも横並びの作品ばかりです)から始まって、いろんなグループの作品展があります。お茶席もあって、ちょっとハイソな部分もあるのです。
 村の文化祭だからといって馬鹿にしてはいけません。書にしても絵にしても、立派な、格調高い作品があります。もちろん、選抜されるわけではありませんから、ど素人的作品もあるのですが。いけばな、菊、盆栽もあります。
 気に入っているのは、アーティストの顔を知っていることです。野菜だって、生産者の顔がわかっていれば、おいしさもひとしおです。ましてや芸術作品においておや、です。
 作品展のほか、村の運動会も並行して行われます。村の地域別に小学校から敬老会の年齢まで、いろんな年齢層での団体競技があります。地域の結束が試されるのです。
 新参者の私には出場の機会はありませんが、一応、住んでいる地域を声をからして応援します。

 こうして、昔なつかしのムードいっぱいの一日が終わりました。孤独死や人間関係の断絶といった問題は、この雰囲気からは感じられません。

 大都会から引っ越してよかった、と思いをあらたにした日でした。

オリーヴ・ヌーヴォー

南仏で生活して、オリーヴをたくさん消費するのにびっくりした。もちろんオリーヴオイルはヴァージンオイルやらいろんなタイトルがついたものがたくさんあった。私の好きな観光地レ・ボー・ド・プロヴァンスの周辺にはたくさんのオリーヴ畑があって、ここのオリーヴが最高の品質なのだと聞かされていた。
 「オリーヴの終わるところ、地中海は終わる」(Ou l'olivier renonce, finit la Mediterranee)とジョルジュ・デュアメルが言ったように、地中海とオリーヴは切っても切れぬ関係だ。

 当時、あまりオリーヴが好きではなかったので、そう関心を示すこともなく、初絞りなどの行事にもいかなかった。
 ところが日本に帰ってきて、生のオリーヴを食べる機会がなくなった。そうすると、とても食べたくなる。

 収穫は11月から年をこして2月始めごろまで。昔はオリーヴの木に梯子をかけて、一粒ずつ収穫されたものだが、今では下にシートを敷き、木をゆらしたり、器具を使ってふるい落とし、落ちたものを収穫する。

大きい実は食用にされ、小さい実は収穫した日に搾り機にかけられる。そうして香りを保つのだそうだ。
 レ・ボーの高台から見渡すオリーヴ畑のモスグリーンの景色が目に浮かぶ。

諸聖人の祝日

今日は11月1日、フランスでは諸聖人の祝日(Toussaint)という祝日です。お墓参りの日といわれています。これは2日が死者の日で、それと組み合わせた形で、1日にお墓参りをするようです。
 フランスはカトリックの影響が大きい国ですから、国の祝日にたくさんのキリスト教の祭日がはいります。12月25日のクリスマスなどもそうです。
 フランスで死者を悼むのはどういう形でするのかな、と思っていました。お葬式に参列したことはありませんが、カトリック信者が亡くなった場合、教会でのミサ、そして埋葬となります。腐敗防止の処置をされて、棺にいれられ、墓所に収められる、あるいは埋葬されるのが一般てきですが、このごろは火葬を希望している人も多いそうです。日本と違うのは、火葬の温度が高く、遺骨ではなく、遺灰となり、散灰(墓地や海など)をするようです。

 1年目の命日、あるいは5年とか10年とか、節目になる年の命日のころ、故人を思い出して祈ってくださいといったお知らせが新聞の慶弔ページにでることがあります。また命日に近い日曜日のミサなどで、故人の名前を司祭があげて、故人のために一緒に祈りましょうといったことを言ったりします。

 お盆やお彼岸にお墓参りをすることのないキリスト教徒は、この11月1日に菊の鉢植えを持って墓参りをします。今では菊のほか、シクラメンなどもよくみかけるようになりました。
 以前は菊の花はお墓や死者をイメージするものとして、贈り物には不適といわれていましたが、このごろでは切り花はプレゼントとして使われているようです。菊の花は日本から伝わったものだそうです。

 7年前に亡くなった母のお墓に、1日にはいけませんが、今月中にいくつもりです。菊の鉢植えにするか、華やかなことが好きだった母だから、赤いシクラメンにするか、まだ決めていません。

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