若草物語(2)

小学校時代に読んだ本が、その後の人生を左右することは多いのだろうか。私は「若草物語」で、清貧の生活、家族のつながりなどを学んだ。

そのほか、夢中で読んだのは「あしながおじさん」、「赤毛のアン」、「小公女」、「アルプスの少女」などがある。
「あしながおじさん」では、私も孤児かもしれず、しっかり勉強していたら、だれかそれを認めてくれて、留学をさせてくれるかもしれない、などと空想していた。
「赤毛のアン」では、カナダの景色にあこがれ、田園生活を夢見た。
「小公女」では、現在の貧しさから救ってくれる人がいつか現れる、と思ったりしたのだ。
「アルプスの少女」では、わらや枯れ草の上に眠ること、夢遊病にかかってみた、などと思ったりしたものだ。

結局、他力本願ではどうにもならないということを、実生活で体験し、児童文学からは卒業していったのだが。

それでも「若草物語」は心の中に深く残っていたように思う。朝食やクリスマスのごちそうを、貧しいひとに配るためにがまんするといった、クリスチャンの犠牲的精神は今も教訓になっている。

あと1カ月もすれば、クリスマスになるが、なにかできるだろうか。

若草物語

今、”Louisa May ルイザ、若草物語を生きたひと”という本を読んでいる。「若草物語」の作者ルイザ・メイ・オルコットのことを詳細に書いた本である。

若草物語は、小学校のころの愛読書だった。原題はLittle Women、マーチ家の4姉妹の話だ。4姉妹のなかで一番ひかれたのは次女のジョーだ。書くことに興味があったので、彼女のように書くことで自己表現をし、収入が得られればうれしいと思っていたのだ。

それよりもこのマーチ家のすがすがしい貧しさが気持ちよかった。我が家も貧しかった。でもマーチ家のようなすがすがしさがなかった。それに4姉妹の仲のいいこと。姉たちからいじめを受けていた私にとってあこがれの姉妹だったのだ。

私の姉たちは、別にいじめたわけではないという。軽いからかいよ、という。私が子供のころ、鼻をたらしている子供は多かった。私もその一人。鼻をたらしていると、姉たちは「放たれて夢になくともとめたり」と覚えているが、「放たれて」を「鼻たれて」と同音なので歌うのだ。たしかシューマンの「流浪の民」という曲だと思う。
 私はそんな有名な曲とは知らない。からかわれて泣きだす。そうすると、次にくる歌(詩吟?)は「べんせいしゅくしゅく、夜、川を渡る」だ。粛々ではなくシクシクと変えている。

なんだかわからないが、相変わらずからかわれていることだけは理解できる。この2つの歌ないし詩吟は、今でもあまり聞きたくない。
 
 姉たちはこのからかいがあったからこそ、あなたも打たれ強くなったでしょう、と言うが、若草物語の姉妹は私にとって、理想の家庭、姉妹であった。

 でも今月、兄弟姉妹が久しぶりに集まる。私にとって、「兄弟は他人の始まり」ではない。とてもなつかしく、大切な人たちだ。たとえ、幼い時代にいじめられていたにせよ。

野鳥たち

ベランダにひまわりの種をおいている。我が家を訪れる野鳥たちのためだ。コガラ、シジュウガラ、ゴジュウガラ、ヤマガラはひっきりなしに餌をつつく。これらの鳥は餌をくわえると、飛び去って、近くの木にとまり、ひまわりの種を割って食べている。ときどき、イカルがくることもある。そうすると、その場で種を割り、殻を残して食べ荒らしていく。イカルがいる間は小さな鳥たちは近寄らない。

これらの鳥の保護者を任じて、毎日、餌やりに余念がない。このごろ、ヤマガラが手乗りになって、手から餌を食べるようになった。そうなるとかわゆくてならない。ただ、個別化はまだできていない。

野鳥のバードウォッチングといえば、南仏のカマルグがあげられる。大好きな観光地サント・マリー・ド・ラ・メールへいく途中にある。カマルグは1000ヘクタールにも及ぶ沼地で、250種以上の鳥類が生息しているそうだ。もっとも目立つのはピンクの色がきれいなフラミンゴだ。
 渡り鳥というが、なんだかいつもいるように思える。サント・マリーへのアクセスが2つあるうちの、沼地の中を通る道を選ぶと、すぐそこにフラミンゴがいる。というのは錯覚で、写真にとろうとすると、小さな点にしかならない。もっと近くでみるには沼の中まではいっていく必要がある。4WDで荒れた道路に乗り入れるか、カマルグの白い馬に乗って泥のはねを気にせず沼にはいっていく必要がある。

 ケニヤでフラミンゴが密集しているという湖に行ったことがある。数万羽がたむろしているというので、期待していったのだが、案内人の話によると、もう一つの湖に避暑にいったとかで、数千羽しかいなかった。それでも満足したのだが。

 小学校で耳にする歌で、「自由に空が飛べる羽がほしい」(正確に思い出せない)という歌詞があるが、鳥には鳥の悩みがあるのだろうな、と空の餌台をむなしくつつく様をみつつ思う。

紅葉狩り

この週末、東京から来客がありました。あまりに紅葉がきれいと言っていたので、その紅葉をみたいというのです。

我が家の紅葉は残念ながら10月末で終わりました。ドウダンツツジ、ヤマウルシ、ナツツバキ、ナナカマド、レンゲツツジ、ヤマザクラ、すべて落葉し、どれが何の木だったかわからなくなっています。

そこで、もっと下界へ行くことにしました。吾妻渓谷がきれいという評判に、そちらへでかけました。でもあいにくお天気がさえません。紅葉の美しさは太陽光線あってのこと。曇り空では色がくすんでしまいます。

峡谷を歩きましたが、そばを車が通っては、落ち着いて紅葉狩りはできません。それならばと、伊香保温泉へいくことになりました。紅葉狩り兼温泉、というわけです。

でもここも狭い道路に車がいっぱい。夢二美術館など、楓のきれいなところはありますが、軽井沢に比べ、ちょっと散在しているきらいがあります。

日曜日に紅葉狩り+温泉を考える人は多いのですね。日帰り入浴の温泉は人が多く、ゆっくりできませんでした。

曇り空の下での紅葉狩り、ゆっくりできなかった温泉、中途半端な週末でした。

カジノ(2)

ギャンブルというのははまると抜けられないという。賭場というのはそんなに面白いのだろうか。
 2度目のモナコは、十分年齢を重ね、大人となってのことだった。昼間ではなく、夜。それも大みそか。全員が盛装だ。もちろん、私もドレスコードは守っている。エスコート役の男性もタキシードで、なかなかかっこいい。超満員のカジノ、私は人にもまれ、ルーレットの台にも近寄れない。人いきれと熱気で血が頭に上ってしまっている。

 エスコートの男性がチップスにかえてきてくれる。さあ、来年の運だめしですよ、と彼は積極的に賭けていく。私もいくつかおいていくが、運がない。すっかりすってしまった。

 これ以上賭けても、損はとりかえせないと思い、もう賭けるのはやめると宣言。仲間が賭けていくのを見ている。一進一退、いくらか稼いだ様子だ。年越しはレストランで、となっているので、その辺で打ち止めにする。

 みんな楽しかったと言っている。私は疲れただけだった。どうもカジノは肌にあわない、というのが実感だ。

 でもラスベガスには一度行ってみたい!!

カジノ

人生で4回、カジノに足を踏み入れたことがある。最初はモナコ、2度目はマカオ、3度目はカイロ、4度目はもう一度モナコである。

最初のモナコでだけ賭に勝った。昨日書いた旧友が南仏に住んでいたとき、彼女が働いている昼間、独りでモナコへと行った。モナコのカジノは有名で、このあがりでモナコ国民は税金を払わなくていい、などと聞いていた。昼の日中から賭場に行くなんて、小心者の私にはおおっぴらにはできないことだけど、これは観光、社会勉強の一つであると、理屈をつけて入った。

モナコのカジノは、夜は正装でないと入場できないが、昼間はラフな服装でも大丈夫なので、その点は気楽だ。当時は若かった。不慣れな様子をみてとったカジノの人が、やり方を説明してくれた。複雑な賭けはできない。スロットマシーンやルーレットなら簡単だ。ルーレットのところにいくと、どこに賭ければ賭け金が何倍になるか、と説明してくれる。

ややこしいことは苦手、数字に賭けることにする。私のラッキーナンバーと信じている数字の上にチップスを置く。「きっと当たるよ」と言ってくれる。どきどきしてルーレットが回る様子を見守る。なかなか止まらない。やったー!!!!ラッキーナンバーの上で止まった。

10フランが300フランになって返ってきた。血がのぼってくる。300フラン分のチップスを受け取るが、10フランのチップスだから30枚、両手にあまる。

あとで知ったことだったが、こうやって儲けた場合、ルーレットを回すひとにチップを渡すのだそうだ。そんなことを知らない小娘、全部受け取ってしまった。

そのせいだろうか、そのあとはすべてはずれであった。

それでも貧乏人の性格で、200フラン分を換金し、カジノを後にした。入場券は終日有効だから、夜にもまたおいでと言われたが、儲けた200フランをする気持ちはない。

そして友人のところに戻り、不労所得の使い方としてはまっとうに、友人とその配偶者をレストランに招待して、南仏最高というブイヤベースをたらふく食べたのである。

マカオ、カイロ、そして再度のモナコ、その後ある体験から、お金は額に汗してのみ得ることにした私はカジノでは見るだけである。

旧友に会う

昨日、旧友に会いました。どのくらい旧かといえば、30年以上前の友人です。職場の友でした。セクションは違いましたが、ともに新入社員、部屋が近く、ともに庭に面したオフィスでした。朝の出社時以外は、庭から出入りしおり、私の部屋が一番奥にあって、仕事に疲れて庭をみると、その友が出入りしている場面をよく目にしました。彼女もみられているというのを感じるのか、合図や会釈を送ってくれました。

彼女は1年満たないうちにやめ、フランスへ行ってしまいました。たったそれだけのお付き合いでしたが、その後、彼女が住む南仏、仕事で赴任した香港へも会いにいきました。でもその辺でクリスマスカードの交換も途絶え、どこにいるのやら、と気になりながら、去る者日々に疎しになったのでした。

こんな友達をフランス語ではどう表現したらいいのでしょうか。Amie, copine, camarade, collegue, この中で私の気分ではcopineです。職場の友というより、学友みたいな感じです。私は別の場所で数年の職場経験がありましたが、彼女は新卒、学生気分が残っていました。二人とも安い給料で貧しく、昼ごはんを分け合ったりしたこともあります。

途絶えた交流が再開したのは、私が仕事を辞めたあと、彼女が日本に一時帰国をし、元の職場を訪ね、住所を置いていってくれたことがきっかけでした。
また私の新しい住所や電話番号を調べ、ワシントンから電話をかけてきてくれたこともありました。


旧友と会うと、ほんとうになつかしい、ほのぼのとした気持ちになります。一挙に30年時間はもどります。でもたった数時間で再会は時間切れになりました。
次回は1年後になるのでしょうか。楽しみです。「友遠方より来る、また楽しからずや」


風立ちぬ

今朝から強風が吹き荒れました。雨戸をあけると、窓の外は枯葉が舞っています。カラマツの葉は、まるで金の針のようです。
昨日の白菜や大根に念のため新聞紙をカバーでかけておきました。そうしないと、白菜の中にカラマツが入り込んで、食べるときに口の中で不快感を覚えるのです。でもカバーの新聞紙がめくれあがって、あっちをとめれば、こっちがめくれると、一騒動でした。あんまりきっちりすると、太陽や空気を十分に吸い込んでくれませんから。

ここは白根降ろしとか浅間降ろしといった表現はききません。かえって前橋あたりのほうが、赤城おろしで風は強いようです。上州の空っ風は上州生まれではない私には、なじみがないだけ、あまり好ましいものではありません。

風といえば、南仏ではミストラルという強風が吹きます。1年を通じて、北(シベリア)方面から吹いてくる風をいうそうですが、方向からいっても、夏であれば涼しくなるし、冬は寒さが厳しいです。いったん吹き始めると、3日、6日、9日続くといわれています。
今年の5月、マルセイユに行ったとき、ミストラルが吹き荒れていました。楽しみにしていたカシの断崖への道は、ミストラルのため閉鎖。がっかりでした。

フランスでは風力の単位が秒速ではなく、時速で表現します。台風の時、我々は秒速30メートル、すごい!!と思いますが、フランスでは時速150キロメートルというわけです。

アフリカからの熱風はシロッコと呼ばれます。昔、フォルクスワーゲンにシロッコという車がありました。今もあるのでしょうか。シロッコを持っているかっこいい友人、「シロッコの君」と呼んでいましたが、今いずこ。

白菜と大根

昨日は干し柿作り、今日は漬物用の白菜と大根の下ごしらえである。昨日いただいてきた白菜、外側の汚れた葉っぱを取り除き、4つに分ける。根元に包丁をいれて、まず2つに裂く。交差した葉っぱがはがされていく。4つにわけた白菜を、ベランダの欄干の上に干していく。その数30玉だからかけることの4倍、120になる。はたしてこれだけ漬けることができるのか、やってみてのことだ。

それがすむと、今度は大根の番だ。泥つきのままなので、これを水洗いする。水の冷たいこと、ゴム手袋をしていてもジンジンしてくる。それでも葉っぱは畑でとってきたので、仕事はその分楽なのだが。
大根も半分に切り、それをそれぞれ縦割りにする。そうしないと、漬けるときも、漬かったあと、食べるために取り出すときも大変なのだ。これもベランダに干す。欄干は白菜に占領されているので、仕方がない、ベランダに新聞紙を敷いて、その上においていく。25本はある。

 こんなに漬物をつけて、2人の暮しには多すぎる。でもいったん漬物作りを始めると、少量というわけにはいかない。

 昨日むいた柿の皮、これが白菜漬けにも大根漬けにも入る。味がまろやかになるらしい。無駄なく使えるというので、とても満足だ。

 何をするにも、下準備というのは結構労力と時間がかかる。人生と一緒だ。

干し柿作り

今年は柿が不作という。春先の天候異変で、実のつきが悪いというニュースをきいて、心配していた。去年の日記ではもうすでに干し柿をつるしている。スーパーに問い合わせをしたら、今日、長野からの柿が入荷しますという。早速買いに行った。値段もいい。「なんせ、今年はなりが悪いからね」といわれると、「ちょっとお高くても仕方ないわね」と思わざるを得ない。

大きい百目柿と富有柿のような平たい柿の2種を買う。来合せた知人、猿が来ないかね、という。自然いっぱいのところでは、夏の野菜はイノシシ、タヌキなどに食べられ、干し柿は猿と、恵みを共有したがる動物は事欠かない。

それが昨日のことで、今日は昼から陽だまりの中、一心に柿の皮むきをする。干し柿を商品として大量生産するところでは、皮むきの機械があるらしいが、私は包丁でたんねんにむいていく。渋がすごい。手が真っ黒になっている。5個ずつ紐でつるすのはつれあいの仕事だ。

つりさげるための竿は去年から残したままだ。鳥たちのいいブランコになっていた。つれあいは鳥たちに「ここは禁止区域だ」と宣言しているが、そのかたわらで、鳥がくる。糞をするなよ、したら焼き鳥にするぞ、とわめいている。

全部で100個ほどつるして、今年の宿題が一つ終わった。明日は白菜と大根を漬けなければ。こうして季節は身近なところで進んでいく。今日は立冬。

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