若草物語

今、”Louisa May ルイザ、若草物語を生きたひと”という本を読んでいる。「若草物語」の作者ルイザ・メイ・オルコットのことを詳細に書いた本である。

若草物語は、小学校のころの愛読書だった。原題はLittle Women、マーチ家の4姉妹の話だ。4姉妹のなかで一番ひかれたのは次女のジョーだ。書くことに興味があったので、彼女のように書くことで自己表現をし、収入が得られればうれしいと思っていたのだ。

それよりもこのマーチ家のすがすがしい貧しさが気持ちよかった。我が家も貧しかった。でもマーチ家のようなすがすがしさがなかった。それに4姉妹の仲のいいこと。姉たちからいじめを受けていた私にとってあこがれの姉妹だったのだ。

私の姉たちは、別にいじめたわけではないという。軽いからかいよ、という。私が子供のころ、鼻をたらしている子供は多かった。私もその一人。鼻をたらしていると、姉たちは「放たれて夢になくともとめたり」と覚えているが、「放たれて」を「鼻たれて」と同音なので歌うのだ。たしかシューマンの「流浪の民」という曲だと思う。
 私はそんな有名な曲とは知らない。からかわれて泣きだす。そうすると、次にくる歌(詩吟?)は「べんせいしゅくしゅく、夜、川を渡る」だ。粛々ではなくシクシクと変えている。

なんだかわからないが、相変わらずからかわれていることだけは理解できる。この2つの歌ないし詩吟は、今でもあまり聞きたくない。
 
 姉たちはこのからかいがあったからこそ、あなたも打たれ強くなったでしょう、と言うが、若草物語の姉妹は私にとって、理想の家庭、姉妹であった。

 でも今月、兄弟姉妹が久しぶりに集まる。私にとって、「兄弟は他人の始まり」ではない。とてもなつかしく、大切な人たちだ。たとえ、幼い時代にいじめられていたにせよ。

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