認識を改めたこと

今日で大震災はまる1カ月が過ぎた。朝日新聞には震災についてのまとめが掲載されている。もう1カ月なのか、まだ1カ月なのか、被災者の方たちはどう考えていらっしゃるのだろうか。

自衛隊、警察などによる、行方不明者の捜索が続いている。もう生存者は望めないだろうが、一人でも多くの行方不明者がなくなることを望んでいる。

それにしても、今回、市町村役場の役割がいかに大変なものであるか、認識を改めた。わが村役場には、いつも大勢の職員がいて、人数にみあった仕事があるの?と批判的にみていた。平時にはきっと、仕事量はたいしたことがないのだろう。

しかし、今回のような非常時に、市町村の基盤さえ失っているという時の仕事の種類と量、テレビなどで見ているだけでも膨大なことがわかる。地方公務員への認識を改めた。

今回の大震災、どれだけの人たちが不眠不休で働いているのだろう。原発の現場で働くひとたちの厳しい労働環境は一部報道されている。

私たちは報道されたことしか知る由がないが、報道されないところでも、直接・間接的に、大勢の人たちが必死に働いていることだろう。

なかなか目に見えての復旧、復興ができないからといって、批判するのはやさしいが、見えないところで、血をはくような、地をはうようなそんな働きをしているに違いない。

メディアを通しての被害状況は、空気も風も臭いも、気温も伝わってこない。人のため息もききとれない。

そんな現場に入って、もくもくと活動をしている、自衛隊、警察、消防、彼らの崇高な職務意識も、再認識させられた。しかし、自衛隊の若い隊員が、死体に接したことがないので、ショックを受けているという報道には、ちょっとびっくりさせられた。自衛隊は、軍隊ではないのか。いざ、日本が攻められたら、戦闘も起きうるであろうし、その時、死体をみたことがない、などと言える余裕はないだろう。平時の軍隊なのだなーと思った。

かく言う私は、現場でのお手伝いもできず、「大変だ、大変だ」と毎日、騒ぎ立てているだけである。

常に不安な状態

日本では東日本大震災が起きてほぼ1カ月がすぎた。当初ニュースは100%大震災がらみだったが、このごろは90%ほどになったようだ。

我々の関心は、ほとんどが大震災だから、それはそれでいいのだが、世界では別の事件も起きている。リビアの内乱を筆頭とした中東の政治不安もそうだし、西アフリカのコート・ジボワールでの2人の大統領による内戦もひどい状態になっている。

昨日は、日本の大使公邸に現というのか、選挙で敗れたのに辞任しないバグボ大統領の配下の兵が侵入し、大使以下館員が15時間も閉じ込められたあと、フランスの軍隊によって救出された。フランス大使公邸も標的になっているらしい。

暗闇の中で取られたらしい、緊迫感あふれる大使救出の場面をみながら、10年以上前のアフリカ体験を思い出した。国は違うが、反乱軍が首都まで攻めのぼってきたのである。いつもは人がどこからきているの?と思うほど、往来のある道路なのに、その数日は、シーンとして静まりかえっていたように思う。

大統領府や役所のある、いわば日本の霞が関と高級住宅街がミックスしたような場所だった。その地に着いてから、数キロしか離れていない川の向こう側の隣国での内乱で、ドンパチの音は音楽とはいえないが、聞きなれた騒音の一つであった。

毎日、銃弾の音、停電・断水の可能性、とても暴力的なスコール、物資の欠乏となにかしらの不安材料に事欠かず、綱渡りの生活だった。安眠もできないが、寝ればどうにかなるような気分で就寝していたが、夜中に何かがおきれば、それは停電も伴っていたし、真っ暗闇のなか、情報もなく、右往左往したこともあった。

現在のコート・ジボワールのような状態になる前に、私は家族避難勧告に従って、その地を離れたし、つれあいもその1週間後、大使館閉鎖となって、隣国へ逃げ、ガボンを経て、東京へと戻った。

10年以上を経て、あの時の不安感は忘れられない。緊迫感や怖さというのは、現在、臨場感がないだけになくなっているが、形にならない不安感は胸の奥に残っている。

今、また、なにか起りそうな不安な毎日である。政府からも、当事者たちからも、メディアからも確たるものが得られず、自分でもどうしようもない事象に、どんよりした重い不安感がある。
10年前は逃げだせた。しかし、今回は自国のことである。耐えるしかない。

誰の言うことを信用すればいいの?

昨夜11時すぎの地震は、3月11日の地震同様、横揺れ、回転揺れがして、長くて、こわかった。テレビを見ながらうたたね中だったが、緊急地震情報の不快な音で目がさめた。いつもこれが鳴っても、我が家には関係ないことが多いので、油断していた。NHKでは関東にくくられて、TBSではもう少し細かく、警戒地域が出た。

えっ、ここも該当するんだ、と思うより早く揺れ始めた。テレビの画面には、地震速報が出ている。「地震がありました」、という過去形に、まだ、今、揺れているのよ、とテレビに向かって叫ぶ。

我が家のあるところは震度3、こんなに揺れて震度3なんだから、震度6なんて、どんなにひどいのかしら、とこわくなる。先日、大丈夫だ、正常化しつつあります、とメイルがきた仙台市青葉区、震度6弱だ。新たな被害が生じていなければいいけれど。

毎日、ニュースを見ている。福島原発が気になってならない。原子力発電については、ほとんど知識がない。火力、水力、風力、どの発電についても同様だが。いろんな大学、研究所の先生方が解説なさる。テレビに出てくる図は、どの局も同じようなものだ。経緯については、ほとんど同じに聞こえるが、その危険度については、温度差がある。

高濃度の汚染水が流れ出るのを止め、それをなんとかタンクにいれるために、そのタンクの中の低濃度の汚染水を海に放出したという。それより方法がなかったからだろうが、これまで危険だからタンクの中に閉じ込めていただろうに、と思う。

いろんな記者会見がある。枝野官房長官、保安院、東電、原子力安全委員会、はしごしてみても、ちっともわからない。アメリカやフランスの専門家も協力している、というニュースもあったが、どこでどう協力しているのやら、みえてこない。

突如としてでてきた窒素ガス注入というのは、日本独自のアイディアなのだろうか、アメリカあるいはフランスの助言があってのことだろうか。

どうせ細かい情報がでても、こちらは不安になるだけのことだが、この人の言うことだけは、信頼がおけます、と保証が得られればいいのだが。そういえば、今週の週刊文春は、NHKテレビの解説記者をえらくほめていた。


我が家は反かんばん方式に

トヨタのかんばん方式といえば、在庫ゼロで工場を運営するやり方として、無駄をはぶいた現代的経営方式として脚光をあびてきた。トヨタの躍進の要因の一つとして、世界の企業が研究し、またまねしようとした。

ところが、地震がおきるたびに、この方式の欠点が出る。中越地方の地震のときも、部品工場が被害にあい、生産中止に陥ったことがあったように記憶している。
今回も同様なことがおきているようだ。

我が家は工場ではないし、生産しているところでもない。消費に徹している一般家庭だ。今回の地震で、学んだことは、在庫ゼロではいけないということだ。
我が家には幸い、お米、ボトルの水、などのストックはあった。しかし、理由はわからないが、トイレットペーパーが店頭から消えるという現象をみたとき、我が家のトイレットペーパーの在庫は乏しかった。あせった。

隣県のスーパーに行ったが、ここもなかった。このとき、生活必需品はダブルでもっておくことにしようと決心した。食糧としては、味噌、しょうゆ、塩、砂糖、などの基本調味料、薄力粉、スパゲティ、乾物類などである。
洗剤、石鹸なども買い足した。

実際は、こういった在庫管理が苦手で、できれば切れたところで買うというスタイルのほうがいいのだが、いざというとき、買いだめをしないためにも、必要な措置だと思ったのだ。在庫は1個分余計というだけで、それ以上は買わない。

ガソリンもなるべく満タン状態にする。あせらないためには、こうするのが一番のようだ。断・捨・離提唱者や、家事のプロなどは、すっきりした生活を勧めるが、なにもかもがスムーズに運ぶ保障がない今、在庫ゼロは不安材料だ。

ところで、トヨタは今でもカンバン方式をとっているのだろうか。

枯山水の掃除

この数日、日中はだいぶ暖かくなりました。庭一面おおっていた雪も、部分部分で融け、土が見えるようになりました。枯山水も半分姿をみせました。

枯山水なんていうと、とても風雅な印象を与えますが、庭から出た石ころを集めただけです。ここは浅間の噴火による土石流やら火砕流やらうけたところですから、もう石がいやというほどあります。大きい岩石はともかく、大石、中石、小石、ありとあらゆるサイズででてきます。とくに、地中には石製造工場があるようです。夏場にどんなに拾い集めていても、冬を終わると、凍土が融け、下から新しい石がでてきます。

そんな石の処理に困って、庭の一部に集め、枯山水と呼んでいます。そこに枯葉がおちています。とくにカラマツの葉は、石の間にもぐりこんで、厄介者です。これまで雪で隠れていたので、気にならなかったのですが、汚らしくみえます。

ちょっと暖かくなった今ごろから月末までに、枯山水の掃除をすませておかなければなりません。ゴールデンウィークのころには農作業(野菜作り)が始まるので、庭にかまっていられなくなります。

掃除は石を1個1個、取り除いてもぐりこんだ枯葉を集めます。ところが、石が動きません。よくみると、下の土がまだ凍っているのです。うわべの暖かさに惑わされ、最低気温がまだマイナス6度もあることを無視していました。

蜂が一匹、クロッカスの蜜を吸っていました。大切な蜂様です。これから先、ブルーベリーやイチゴの花が咲いた時、働いてもらわなければなりません。

フキノトウが頭を出しています。数日前から出ていることに気付いたのですが、ちっとも大きくなりません。やはり最低気温が低いことがあるのでしょう。

水仙、チューリップ、ヒヤシンスなどの芽もほんの少し出ています。

東京は桜が満開とか、同じ春といっても、大きな違いです。枯山水の掃除は、手先がかじかんで、やめてしまいました。

自粛は他粛ではない

このごろメディアの論調がかわってきた。節電・節水、節ということばが使われていたのが、週末あたりから、自粛を自粛しよう、みたいな論調だ。

自粛がいきすぎると、経済が停滞、企業が業績悪化、税収が減少、支援ができない、という負のスパイラルになるから、花見も観光旅行もやりましょう、自粛はよくない、といった論調だ。この論理、なにかで聞いたことがある。デフレ・スパイラルとおなじ論理だ。

自粛をうんぬんはテレビのお昼の番組あたりで言われたくない。箱根の泊まり客が例年の2割ほどしかないという。そんなの当たり前だ。小田急のロマンスカーは運休しているらしいし、ガソリンは高くなっている。それに、原発報道をみれば、こんな不安な状態の時、無理して出かける気分になるものだろうか。それを旅館のために、どうしてもでかけよと、テレビのコメンテーターさんたちはおっしゃるのだろうか。

花見もそうだ。これまでのお花見がバブル時代の名残で、ブルーシートを敷き、場所取りをして、飲めや歌えの大騒ぎをしなければ、花見ではないように誤解が生じている。どこかの公園では、自粛してくださいという、役所の掲示があるそうだ。いい機会ではないだろうか。ライトアップの費用や、ごみの後片付けの費用もなくてすむ。これらの支出もおおきかったはずだ。

花見をしていけないわけではない。千鳥淵のように、歩いて花を見ていけばいい。青山墓地の桜のトンネルもいい。桜の花の下で宴会をするのが花見という認識をあらためればいいのだ。

自粛は自分の意思でするもの、強要されるものでもなければ、人から非難されるものでもないはずだ。こんな未曾有の大災害の、まだなにも問題解決がされていないのに、派手に遊ぼうという気分になれるものではない。
それに義捐金の金額をみてわかるだろう。孫さんのように100億円を寄付できはしないが、精一杯、寄付するお金をねん出した。

一般人の場合、そして収入が決まっていて、そう多額ではない場合、寄付をしようと思えば、余分なところを倹約する。それはだいたい遊興費や外食費に決まっている。外食したり、バーで一杯やったり、どこかへ出かけてもちっとも財布に響かない、という人はそれをすればいいし、きっとしているはずだ。

もちろん、経済を振興させて、その結果を支援にあてることもできる。しかし、それでは間接的すぎるのだ。赤十字への寄付だけでも、被災者の手になかなか届かないというので、もどかしい思いがしているのに、まるで、買い物や外出して余分にお金を使うことで、支援になる、なんて、遠い方法はとれない。

各人が各様に、自分の納得のできる形で支援をしているのだから、コメンテーターのしたり顔でのアドヴァイスは余計なお世話ですよ、と思っている。

20年前と20年後

東京23区(足立区、荒川区を除く)の人たちは、計画停電の対象からまぬがれていて、そう実感していないようだが、電力不足による停電、それを避けるための節電には、全員が取り組んでいるものと思う。

我が家も節電をしているが、まだまだ抜けた部分が多いことは自覚している。たとえば大型の電気炬燵を使ったり、便座は常に保温にしているし、就寝前の1-2時間はつれあいと私は別々のテレビを見ていたりする。

今日で8日間、計画停電が実施されなかった。明日もない予定だし、気持ちがとても楽だ。しかし、夏場、クーラーを使うころになると、大量の電力不足が見込まれ、計画停電実施は必至だという。

原子力発電の発電量が25%とすれば、これまでの消費量の4分の3で生活すればいいことになる。具体的に20年前の発電量、消費電力量を知らないのだが、生活程度を20年前に戻すことを考えたらどうなるだろう。

エアコンはあったけれど、働いていたから、1日中のうち、自宅でエアコンを使うことはあまりなかった。ウォシュレットはなかった。現在と住んでいる場所も違うし、20年前に戻すというのは、なかなか非現実的である。

働いていないから言えるけれど、あまりに便利さを追求しすぎだったのでは、と反省している。たとえば、デパートなど、以前は定休日があって、銀座でいえば、三越はがんとして月曜日だった。しかし、松屋があり、松坂屋があるし、有楽町までくれば、阪急や西武があった。渋谷は東急本店、東横店、それに西武があって、たとえ一つが定休日で閉まっていても、他の店でカバーできた。

お店の営業時間ももっと短かったように思う。今、節電から7時で終わっていることや、照明が暗いこと、自粛心理の行き過ぎとともに、経済停滞の原因と言われているようだが、パリなど、そんなに長く営業しているデパートはない。小売店にしても、客の都合より、店員の都合が優先されるから、夜遅くまでの営業なんてとんでもない。

ドイツなど、もっとひどい。いつ買い物すればいいの、と聞きたくなるほど、営業時間が店員本位だ。夕方5時には店は閉まっている。日曜日は定休日だ。
それでもフランスもドイツも成り立っているではないか。それは日本に帰ってくると、いつでも、お店が開いているという安心感、便利さに感激したものだ。これこそ、日本の利点と、外国人にも宣伝してきた。

不便な日本に戻そう。飲食店も減っていくかもしれない。これも店が多すぎるような気がしてならない。いたるところにある自動販売機も減らしていこう。行く先々で飲み物・食べ物を調達することをやめて、自宅からお弁当と水筒持参にしよう。

そうして自然淘汰されて残ったものが、適正規模なのかもしれない。そしてそれを20年続けてみよう。余力ができて、拡大できればそれはそれでいいけれど、拡大せずに、その規模で続けていけば、落ち着いた生活ができるのではないだろうか。GNP3位でなくてもいい、というのは引退した身だから言えるのかもしれないが。

神に祈る

今日は日曜日、4か月ぶりに教会へ行きました。12月から3月までは、さぼりです。ごミサの時間が早く、道路が凍結しているおそれがあるので、冬の極寒期間はさぼっています。

キンシャサのシスターは、神様は空の上からみていらっしゃるのだから、どこでお祈りしてもいいのよ、と言ってくれました。ですから冬の間は、自宅でお祈りでした。

さぼっている間に、ご復活祭に先立つ4旬節は始まっています。神父様は紫色の法衣を召していらっしゃいます。ひさしぶりにしっかりお祈りをしました。

石原慎太郎氏は、今回の災害を「我欲に陥った日本人への天罰だ」というようなことをいわれたとか。これをきいたとき、「バベルの塔」を思い出しました。天に向かって高く、高く、塔を築き上げていく。結局、その塔は崩壊する。福島の原発をみていると、これがバベルの塔だったのか、と思うのだ。

科学の力で、原子力で電気を作って、暑い夏も涼しく、寒い冬はあたたかに、人工的な快楽を追い求めてきた、我々の思い上がりを、神様はお許しにならなかったのだろうか。それにしても、決して東北の人々は思い上がってはいないのに、むしろ謙虚な、朴訥な人たちなのに。

神様は愛をお示しになる存在なのに、ついお怒りをおもちになったのか、と思ってしまうほどの災害であり、悲劇なのだ。

これから4月24日のご復活祭まで、祈りを集約させていく。わが身を十字架にかけて、犠牲にされたイエス・キリスト、被災者のための祈りを受けてください。そして救いをお示しください。

















「主の祈り」に、「わたしたちを誘惑におちいらせず、悪からお救いください」

サルコジ仏大統領の訪日

1昨日(3月31日)、フランスのサルコジ大統領が訪日した。東日本大震災が起きてから、初めての外国首脳の訪日である。G8、G20の議長国であることから、訪日直前は中国での日程があり、それを終えての訪日である。午後4時に羽田に到着し、たった4時間の滞日であった。

5時から菅総理と会談、5時46分から共同記者会見があり、テレビでも放送された。原発に対して、その存続に自信のない菅総理に対し、サルコジ大統領は、「CO2削減をするために、原子力をおいて、他のエネルギー源はない」といった論調で、確固たる信念をみせた。発電量の80パーセントを原子力に頼るフランスの大統領として、他に言いようがないのかもしれない。

その夜のテレビのニュース番組で、フランス大使公邸でのレセプシオンの場面もあった。在日フランス人を対象としており、このレセプシオンへの招待はメールで行われたそうである。以下、ヤフーフランスでみた、在日フランス人の投稿によるが、レセプシオンは15時30分より行われる。公邸には14時から15時の間に参集すること、身分証明書、そしてお知らせのEメイルのコピーを持参すること、ということであったそうである。

また大使館にはこの特別の出費を賄う余裕もないので、飲食は供されないという注意書きもあったとか。平日の午後の時間であるにも関わらず、大勢のフランス人が出席したそうだ。いずれも、放射性物質の危険や余震の不安にも耐えて、日本残留をしている奇特なフランス人たちである。

サルコジが何を言うか、関心は高かったが、たいした内容はなかった、とこのフランス人は言っている。5月中には、原発の安全に関する国際基準をきめるための会議を招集したい、ということ、また論争や早急な選択をするときではない、といったこと、論調はむしろ、フランスにいるフランス人を対象としているみたいだったそうだ。

そうしてみると、16時ころに羽田着、16時半、フランス大使公邸レセプシオン、17時菅総理と会談、17時46分共同記者会見、そのあとの時間はフォローできないが、20時には日本を離れたことになる。異例の訪日だ。夕食会などをする余裕がないだろうから、というので、その夜のうちの出発にしたのだそうだ。

うがってみれば、日本の食品を口にしたくなかったのかもしれない。レセプシオンでは、結局、ワインとプティ・フール(一口で食べられるカナッペのようなもの)が出されたそうだ。これはAir Sarko One(大統領専用機、エアー・フォース・ワンになぞらえて)でもってきたものらしい。

この訪日には後日談がある。帰国の途の機中で、同行記者団に対し、「ムシュー・カンには原子力をあきらめるなとはっぱをかけたけどね、僕もフクシマの悲劇をみて、考えを変えつつあるんだ。風力発電の促進だよ。アイディアがあるんだ。これから、フランスの家庭は、一家に一台の風力発電機を備えることにするんだ。自動車保険のシステムを使って、備えた家庭にはボーナスを、備えない家庭は罰金をとるんだよ」と言ったそうだ。

おわかりのように、最後の発言は、4月1日(Poisson d'Avril)である。これは、イギリスのウィリアム王子との結婚をケイト嬢がやめる決心をしたという話よりは面白みがないが、それなりに面白いと思った。

火葬と土葬、弔いのやり方

3月31日現在の東日本大震災による死亡者数は11,532名、安否不明者は18,260名だそうだ(朝日新聞による)。今日は米軍と自衛隊合同の海上捜索が行われ、18名のご遺体が発見されたとか。

震災から3週間がたったが、これだけの死者を一度に弔うというのは、戦争など以外では考えられない。日本では一般に御遺体は火葬にされる。これを荼毘にふすという表現を使うこともある。しかし、火葬は1000度くらいの高熱で行われる。オープンエアーで、薪でも積んでというわけにはいかない。

設備と燃料、これは必須だ。しかし被災地では設備は破壊され、燃料はないときている。少しずつは被害をうけなかった内陸部の市町村の施設で引き受けてくれたとか。東京江戸川区にも運ばれたという。

しかし、とても「さばききれない」(表現が悪くてごめんなさい)ので、各自治体は土葬という選択をせざるを得なくなった。共同墓地とされる場所に深く穴が掘られている。一つの棺に一つの穴ではなく、深い、長い穴だ。自衛隊によって掘られたのだろう。

棺は遺族ではなく、自衛官によって穴の中に安置され、敬礼を受ける。遺族のいる棺には、思い出の品も上におかれているようだ。
埋められたあと、どのような形になっているのか、まだその写真なり映像はみていない。卒塔婆などがたてらるのだろうか。土葬だと、先祖代々の墓にいれることができないのが、つらい思いになるのだろう。

「荼毘にふせる」こともできなかった、「土葬でごめんなさい」という遺族のことばも聞いた。
日本では火葬が定着していることを示すことばである。昔、おそらく明治時代あたりまで、田舎では土葬も行われていたはずだ。この土葬への消極的な態度はいつからだろうか。
また火葬したあと、お骨を拾い、仏壇にまつったり、49日後にお墓に納骨するといった儀式、また分骨など、遺骨に対する感覚も独特である。

フランスではまだ土葬が一般的である。火葬もだんだん増えてきたが、たしか15%程度であったと思う。火葬にするというのが、先進的というのか、変人のすることであった。まず、火葬にしてほしいときは、自筆で書類を作っておかなければならない。遺族が勝手に火葬にするわけにはいかないのだ。

フランスでは遺骨ではなく、遺灰となる。持ち帰る人もいるが、火葬場あるいは墓地に遺灰をまく場所も設けられているという。あるいは海や山にまくこともできる。

モスレムではかならず土葬だというし、隣の韓国でも、土葬のようにきいている。

おそらくは常の弔いの形ではないことに戸惑いがあるのだろう。ある宗教関係者は、弔いは形ではない、追悼する気持ちがあればいいのです、と言われていた。しかし、身元がわからない御遺体があり、また家族全員が亡くなられたり、安否不明になられているケースも多い。追悼してくれる人もいない。

新聞に亡くなられた方々の名前が載っている。知っている人はいない。しかし、その名前を一人一人読んでいくことで、その方が存在していらしたことに思いを寄せている。無残なことである。

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