桜への思い

半月ぶりに前橋まで行った。途中、風景が変わっている。春の花が咲き誇っている。梅は近場に、そのあとはモクレン、コブシ、連翹、雪柳、そして水仙街道の名にふさわしく水仙、ムスカリ、芝桜、チューリップ、花盛りだ。大きな木を見上げると、今度は地表へと、目を忙しく動かす。運転があやうくなりそうだ。

桜、前橋の国体道路沿いにたくさんの桜の木がある。昨年はちょうど花の盛りに出会ったけれど、今年はどうか、と心配しながら通る。盛りからは数日遅かったようだが、まだまだきれいだ。花弁が舞っている。

桜の花を見ると、血が騒ぐようになったのはいつごろからだろうか。日本人だなと思う。ここはと決めた場所の桜を見ないと、気持ちが落ち着かない。昔は青山墓地の桜だった。ここは狭い参道が墓地の真ん中を通っており、花のトンネルになっている。道が狭いので、両側の桜がかぶさって、厚みのある並木だ。

青山に住んでいたとき、この桜をみて魅せられた。昼間もいいが、夜、車でトンネルを抜けると、この世のものではないような美しさだった。日中は車の通り抜けはできないが、夜中は許されている。

桜の思いで、それは、花見の会もある。東京のあるテレビ局は、その昔、敷地内に日本庭園があった。大きな池があり、その周囲に桜が植えられていた。テレビ局だから、照明はお手の物。見事にライトアップされていた。
そのテレビ局に働く友人が、花見の会をセットしてくれていた。彼らの都合で、日程が決まるのだが、早くて3月末であれば、開花予報が早いことを願い、4月10日過ぎだと、遅い開花を願っていた。

何年間、この花見の会をしただろうか。お酒屋さんから缶ビールを買い、ピーナッツなどのドライなおつまみだけの簡単なお花見、それでも参会するメンバーは楽しみにしていた。7時から9時ごろまで、花の下でおしゃべりするだけの会だった。打ち上げは中華料理屋で、酢ソバを食べる。

何度もした花見だが、その中である年の花見が今でも強烈に印象に残っている。4月12日だった。花は咲いていたが、その日はとても寒く、会の途中から雪が降り始めた。桜に雪とは風流ですね、と頑張っていたが、とうとう、庭園の一角にある日本家屋の中に避難した。

その時のメンバーは、外国の外交官も加わり、とてもインターナショナルだった。フランス人、ナイジェリア人、スーダン人もいた。そのうちの一人とは、マルタ島で再会したが、4月12日が彼の誕生日だったこともあり、あの日の花見は、日本でも最大の思いでの一つだと言っていた。

テレビ局の友人も、東京を離れてしまっている。亡くなった友人、病気になった友人、行方を知らない友人、四散してしまった。私たちも東京を離れて7年になる。
来年あたり、花見同窓会を提案してみようか。何人集まるだろう。


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