地方議会の選挙

統一地方選挙後半戦が19日公示された。わが村は、村長さんは無投票当選、村会議員だけ選挙がある。これも14人の定員にたいし、15人が立候補したからだそうだ。何人の現職がいて、新人は何人なのか、あるいは14人の現職に対して、1人の新人なのかは知らないが、1人のために選挙がおこなわれることになった。

なかなか激戦らしい。ただ一人の落選者というのか次点になりたくないがゆえに、選挙運動も行われる。村会議員は地区の代表でもあるらしく、この地区は何人と、定員も決まっているらしい。固定票がほとんどなので、浮動票である移住者の票の動向が当落を決める。

我々としてはだれも知らない。その点では以前住んでいた東京でも、神奈川でも同様だったけれど。首長さんは、なにかと話題になったりするので、何か知っている気にもなるが、議員さんともなると、知る機会もない。

地方議会はその存在がこのごろ疑問視されている。その報酬も定額ではなく、議会のある日だけ払う日給にしたらという意見もある。実際、その方法をとっている町もあるという。

議会は開放されているので、傍聴もできるのだが、まだ一度ものぞいたことがない。だから、どんな活動をしているのやら、まったくわからない。

みなさん、一様に農業、観光の振興、住みやすい環境作り、お年寄りや子供を大切に、などとおっしゃるが、その財源などについては、あまり具体的ではない。

私たちの村への希望は、冬場の除雪をもっと丁寧に、頻繁に、ということだけだ。ちょっと身勝手な要望で、本当なら、村の発展に尽くしてくれる人を、と思うべきだろうが、移住者にとってはあまり切実ではないのだ。

なんだか不真面目なようで、気のひける選挙期間である。

自動販売機

東京都民ではないので(都民であっても)、私が石原都知事をどう思おうと、彼にとって痛くもかゆくもないだろうが、私は石原都知事の言動に対して否定的な立場をとっている。しかし、自動販売機についての発言については、ほぼ同感である。

電力不足が予想されているこの夏、日中の時間の節電の対象として、数多く存在する自動販売機があげられている。ある一定の時間、機械を止めるというのだ。冷たい飲み物も、熱い飲み物も、ぬるい温度になってしまうだろう。また数の多さも問題になっている。

私の家から一番近い自動販売機は、1キロほどはなれたところにある。別荘の管理事務所近く、村道に2台が据えられている。新聞とりに歩く時、その前を通るけれど、まだ利用したことはない。だいたい、ボトルに水をいれて、携行しているからだ。

石原知事は、こんなに自動販売機がある国は日本だけだとおっしゃる。私は世界全部の国を知らないので、そうなのかどうかは断定できないが、おそらくそうなのだろう。というのは、自動販売機の小銭をねらって、機械がこわされる恐れがあって、そう普及することができない国もあるし、開発途上国では、電力がないときている。

アフリカのコンゴ民主共和国の首都、キンシャサでは、街中では水売りの少年がいた。ビニールに水をいれて売っている。その水は、どこで汲んできたのやら、すこし濁っているし、ビニールも何度も使ったような、くすんだ色だ。熱帯の暑いところにある町なので、水分補給は大切だ。市場などでは、よく売れている。

フランスでは、水を飲みたいとき、キャフェに入る。コーヒーではなく、水を注文することも可能だ。それはミネラル・ウォーターになる。有料だし、時としてコーヒーより高い。小さなガラスの瓶にはいったミネラル・ウォーターの場合、「しまった!」と思う。プラスティックのボトルでくれば、残りを持ち帰ることができるのに。

旅行者は冷えたボトルの水をキャフェやバーで買うことも可能だ。もちろん、スーパーなどで1本買いをする値段よりは高いけれど。水はこんな方法で手に入れて、持ち運びする。

日本の自動販売機で買える飲料水の種類の多さ、びっくりものだ。あまり利用しないので詳しくないのだが、水だけでも、国産でも六甲、富士山麓などを見るし、フランスでもヴィッテル、エヴィアンは大体あるようだ。それに缶コーヒー、紅茶、ウーロン茶、緑茶、健康茶、もうわからなくなるほどの種類がある。

日本で暮らせば、いたるところにある自動販売機の存在は当たり前だし、それに慣れてしまっている。便利なものだ。適当な大きさのボトルで売られているので、いつも冷たいか熱い飲み物がのめ、すぐに捨てることができる。

この便利さ、当然のことだろうか。それとも無駄の一つだろうか。石原都知事は無駄の極みのように断罪している。利用者は、コンビニで買い求めるとか、少しの不便はあっても、耐えられる範囲ではないだろうか。しかし、これを商売にしている人々は、飯の食い上げになるという。商売替えをしなければ、という人もいるようだ。

時代が必要としたものかもしれないが、また時代が変わって、不要あるいは無駄とされるのか、夏を待ってみよう。


40年前の私

毎日、寝ても覚めても原発のことを考えている。原発が恋人みたいだ。それも性の悪い恋人だ。つきまとって離れない。

先日、ハーバード大学のサンデル教授の特別番組を見た。番組の最後に、2つの選択肢を出された。
1)リスクを最小化して、原子力発電を続ける
2)生活レベルが下がることを受け止めて、原発をやめる
という内容だった。

まだどちらにするのか、私一人が決めても大勢が決まるわけではないのだが、私なりに考えている。
福島第一原発の1号基が稼働し始めたのは40年前という。原子力以前に戻るということは、40年前へ戻ってみることだ。

もっと前になるけれど、昔、我が家では掃除は1日2回していた。朝、みんなが出かけると、母なり叔母なり、家に残っている女が、はたきをかけ、箒で部屋をはいていた。朝の掃除は丁寧で、雑巾がけもしていた。そして夕方、夕食の支度にとりかかる前に、もう一度箒ではいていた。

雑巾もたくさん種類があって、仏壇をふくのは新品の布で、床の間は雑巾の新しいもの、3-4種類はあった。祖母が古いタオルや日本布巾などを、丹念に縫っていた。

箒で掃除は、ほこりを動かすだけ、健康によくないといわれてクリーナーにかわり、雑巾を最後にきれいに洗うのは結構大変な仕事で、洗わなくてほこりをとってくれる化学薬品をしみこませた雑巾や、使い捨てのペーパー雑巾にとってかわった。

はいつくばって、雑巾がけをしなくていい生活、女にとってはうれしい進歩だ。今、また箒を使って掃除をしているが、クリーナーを出したり仕舞ったりが面倒だし、音をうるさく感じたり、カーペットやフローリング、畳で、用途をかえるのが面倒だったり、重かったり、不都合を感じるようになったのだ。

電気代も上がるという。原子力より、火力・水力・風力などが高いらしい。となれば、火力などの費用だけ負担すればいいのだろうか。この原発事故の経費は、利用者からの負担はなくてすむのだろうか。東電社員のこれまでの給与を返上して、負担してくれるのだろうか。そんなことは不可能だ。

利用者としての感想:原発によって、電気代は以前よりすごく安くなったというが、それだけ使用量を増やさせられた(オール電化とか、やたら電気利用の品が増えた)から、家計のなかの電気代が減ったという感じがしない。

もう一度、40年前の生活を思い出して、原子力発電を続行かやめるか、決めなければならない段階にきたとき、対応できるようにしておこう。40年前のない若いひとたちはよすががなくてお気の毒だけど。

祈りの時

枝の主日の今日、教会では今回の大震災のお祈りをいたしました。
お祈りは次の通りです。

2011.0311 わたしたちのいのり

全能永遠の神よ、今、日本は大きな災害の危機に瀕しています。

今こそ、私たちにあられみの目を注いでください。

私たちに信頼・平安・勇気をお与えください。

特に被災された方々をお守りください。

亡くなった方々の魂を天国へと受け入れてください。

さらに原発の損傷から来る被害が拡大していますが、
これが最小限に収まるように特別のお恵みをお与えください。

復旧活動に直接にたずさわっている方々に特に危機を乗り越えて
職務を全うする力と恵みをお与えください。

私たちは罪深い者ですが、私たちの罪を悔い改めつつ、
あなたの限りない愛に信頼します。

主よ、ひれ伏してお願いします。

アーメン

ちなみに「主の祈り」は以下の通りです。

天におられるわたしたちの父よ、
み名が聖とされますように。
み国がきますように。
みこころが天に行われるとおり
地にも行われますように。
わたしたちの日ごとの糧を
今日もお与えください。
わたしたちの罪をおゆるしください。
わたしたちも人を許します。
わたしたちを誘惑におちいらせず、
悪からお救いください。

お祈りをお願いいたします。

減築の時

我が家は一般常識からいえば、狭い家ではない。老夫婦二人だけには十分な広さだ。しかし、使い方を固定しているせいか、もっと自由なスペースがほしい、寝室も別にしたい、ゲストルームももう一つほしい、などと増築をつれあいに提案した。

とんでもない、と即時に拒否された。今は減築を考える時だと言う。現実的には減築は無理な構造だが、増築と反対の考え方を示されたのに、びっくりだった。これまで、家は拡大、増築させていくものだと思っていた。それを用途にあわせて、縮小、つまり減築することが普通になってきたというのだ。

今、日本の状態は、縮小させていく時なのかもしれない、と思う。以前は「大きいことはいいことだ」とばかりに、なにもかも1サイズ大きいもの、機能はたくさんあるもの、「大は小を兼ねる」から大きくしておけば、と思っていた。また、アメリカ式消費スタイルが目標で、寒い冬でも、家の中ではTシャツでいられるように、暖房をがんがんかけて、車は大型で排気量も多いもの、アイスクリームは一度に3ボール以上(カルフォルニアのディズニーランドでその量にびっくりした)、なにもかもがたっぷりが理想だった。

どこまでその生活程度に到達しただろう。暖房はいつまでも集中暖房にならず、部屋ごとに行っている。車は軽、洗濯機は全自動になったものの、乾燥機は別だし、なるべく太陽の恩恵にあずかるようにしている。
とうとうアメリカ並みにはならなかった。

そして今、それでも電力が足りないと言われている。どこを縮小させるのか、これからしっかり研究していくことになるが、「家屋は夏をもって旨とすべし」に建てなおすことになるのだろうか。我が家は寒冷地にあるので、やっぱり冬を旨にしたいし、「おしん」的生活はできない。

どこまで縮小した生活にできるか、自分だけ縮小可能なのか、いろいろジレンマが多い。

毀誉褒貶

私は子供店長の大ファンだ。しかし、人事異動で子供店長はリストラされたらしい。だが、この子供はただものではなく、リストラされても、大丈夫、別会社に登場している。それも子供教授としてだ。

子供なのにもかかわらず、教える内容が人間の習性をついている。つまり「持ち上げの原理」(みた回数が少ないので、正確におぼえられない)で、ボールをもって、高くもちあげられれば、高いほど、引きずりおろされるその落差が大きい、というのだ。

本人の実感がなく、きっとシナリオを覚えただけらしい、雰囲気もみてとれるが、それは御愛嬌だ。菅首相は、このCMを見ていないだろうか。

菅氏が首相に選ばれた去年、ちょうどその時、フランスに滞在していた。突然、鳩山前首相が辞任し、後任に菅氏が手をすばやく上げたという。その素早さ、実行力、その当時は評価されていたと聞いた。
その後の9月の民主党代表選挙でも、優勢ともいわれた小沢氏を破ったし、菅氏は首相として、適格なのだろうと思っていた。

ところが、このごろの論壇は、ほぼ95%が反菅だ。そんなに菅氏は首相として不適格なのだろうか。少しはパーフォーマンスがすぎるかもしれないが、それは前任者たちのほとんどにあったことだ。そんなに状況判断が間違っているのだろうか。

菅氏がだめというのなら、誰ならいいのだろう。それを知りたい。誰になれば、復旧、復興が速やかに行われ、東京電力福島第一原子力発電所が危険ではなくなるのだろう。

明後日の日曜日は、カトリックでは「枝の主日」というお祝いの日だ。この日は、イエス・キリストがエルサレムに入城するのだが、住民は「救世主あらわる」と、シュロの葉を振って歓迎した。それが由来なのだが、その一週間後には、十字架にかけよと、叫ぶのである。

毎年、ご復活祭の前のこの受難にいたる行程が、私にとっては疑問でならない。人間の評価とは、こんなにたやすく変わるものなのだ。

キリストと菅氏を比較する気はない。持ち上げて、落とす、そんな行為がむなしいだけだ。

桜への思い

半月ぶりに前橋まで行った。途中、風景が変わっている。春の花が咲き誇っている。梅は近場に、そのあとはモクレン、コブシ、連翹、雪柳、そして水仙街道の名にふさわしく水仙、ムスカリ、芝桜、チューリップ、花盛りだ。大きな木を見上げると、今度は地表へと、目を忙しく動かす。運転があやうくなりそうだ。

桜、前橋の国体道路沿いにたくさんの桜の木がある。昨年はちょうど花の盛りに出会ったけれど、今年はどうか、と心配しながら通る。盛りからは数日遅かったようだが、まだまだきれいだ。花弁が舞っている。

桜の花を見ると、血が騒ぐようになったのはいつごろからだろうか。日本人だなと思う。ここはと決めた場所の桜を見ないと、気持ちが落ち着かない。昔は青山墓地の桜だった。ここは狭い参道が墓地の真ん中を通っており、花のトンネルになっている。道が狭いので、両側の桜がかぶさって、厚みのある並木だ。

青山に住んでいたとき、この桜をみて魅せられた。昼間もいいが、夜、車でトンネルを抜けると、この世のものではないような美しさだった。日中は車の通り抜けはできないが、夜中は許されている。

桜の思いで、それは、花見の会もある。東京のあるテレビ局は、その昔、敷地内に日本庭園があった。大きな池があり、その周囲に桜が植えられていた。テレビ局だから、照明はお手の物。見事にライトアップされていた。
そのテレビ局に働く友人が、花見の会をセットしてくれていた。彼らの都合で、日程が決まるのだが、早くて3月末であれば、開花予報が早いことを願い、4月10日過ぎだと、遅い開花を願っていた。

何年間、この花見の会をしただろうか。お酒屋さんから缶ビールを買い、ピーナッツなどのドライなおつまみだけの簡単なお花見、それでも参会するメンバーは楽しみにしていた。7時から9時ごろまで、花の下でおしゃべりするだけの会だった。打ち上げは中華料理屋で、酢ソバを食べる。

何度もした花見だが、その中である年の花見が今でも強烈に印象に残っている。4月12日だった。花は咲いていたが、その日はとても寒く、会の途中から雪が降り始めた。桜に雪とは風流ですね、と頑張っていたが、とうとう、庭園の一角にある日本家屋の中に避難した。

その時のメンバーは、外国の外交官も加わり、とてもインターナショナルだった。フランス人、ナイジェリア人、スーダン人もいた。そのうちの一人とは、マルタ島で再会したが、4月12日が彼の誕生日だったこともあり、あの日の花見は、日本でも最大の思いでの一つだと言っていた。

テレビ局の友人も、東京を離れてしまっている。亡くなった友人、病気になった友人、行方を知らない友人、四散してしまった。私たちも東京を離れて7年になる。
来年あたり、花見同窓会を提案してみようか。何人集まるだろう。


迂回した支援

以前に書いたけれど、鳥取県の三朝温泉(みささ)は、南フランスのラマルー・レ・バンという温泉の町と姉妹都市となっている。

毎年か、2年おきかわからないが、交流が行われ、今年は三朝温泉で、ラマルーからのミッションを受け入れる予定だったようだ。しかし、この大震災により、これはフランスからの訪日は中止となった。どちらがどういいだしたかは知らないが、自粛の一つである。

しかし、ラマルーでは4月30日に日本支援もかねて、日仏親善の催しをするという。どんな催しなのか、具体的には知らないが、関係者から電話をいただいた。日本のものを売りたいのだが、書を送ってくれないか、という要望だ。

15年も前に南仏にいたとき、ラマルーの人たちに書を教えたこともある。「めくら蛇におじず」、のケースだった。外国にいたらから、ずうずうしくも先生面をしてしまった。ときどき、外国での無恥無謀な所業を思い出して、冷や汗をかくこともある。

お断りするか、とも思ったが、そこがまだ恥知らずの部分が残っている。値段はいくらでもいいし、買ってくださる人がいるのなら、という、いわば条件なしで、作品を送ることにした。作品というのはおこがましい。習作というべきだろう。

「寿」、「愛」、「友愛」、「絆」、「希望」などの言葉や、「一期一会」、「温故知新」、「千客万来」、「春夏秋冬」といった4字熟語を書いてみた。はたして、お買い求めいただけるかどうかわからないが、こんな形で協力し、それがフランスから日本への支援の一部になれば、と思っている。

増税するなら早く決めて

若い時ならともかく、この年齢になって、無一文になるのはちょっとしんどい。若いときは、ほとんど無産だったから、働く場所さえあれば、どこへ行ってもいいや、と考えていた。

でも、今、有産とまではいかなくても、住む家があり、年齢とともに増えた思い出の品々に囲まれた生活をしている。それぞれがいとおしいものだ。

そんなものが全て、一挙に流されて、家族すらも失って、どうやってこれから生きていけばいいのか、茫然自失になってしまう。

そんな悲惨な状況をこの1カ月、毎日、一部ではあろうが、みてきた。赤十字に集まった寄付金は1000億円をこえたという。いかに皆の関心が強く、悲劇をわかちあおうという気持ちの表れではないだろうか。

しかし、そのお金もなかなか被災者の手に渡らないそうだ。中間にあるべき行政機関が機能不全に陥っているからだ。役場そのものが消失したところもあるから、それはそれで仕方ない部分もある。

だから、寄付するにも2通り、3通りの方法ですべきかもしれない。一つは赤十字などへの寄付、もうひとつは直接的な現物寄付、ヴォランチアをする、あるいはヴォランチア活動をしているNPOへの寄付をすることがある。

それでも復旧・復興のため、あるいは被災者への援助などで、最終的には何兆円というお金が必要になるという。そのお金をどうしてねん出するのか、政治家、評論家、コメンテーター、いろいろおっしゃっている。

増税はすべきではないらしい。震災で落ち込んだ経済を、増税することで、もっと冷え込ませることになるという。国債を発行したり、海外資産を引き揚げたり、余剰金(あるとは知らなかった)をあてるとかで、十分手当ができるとか。

私は経済にはうとくて、どうすればどうなるか、というのがよくわからない。しかし、これだけの金額を調達するには、やっぱり増税は必要なのではないか、と思うのだ。ある一定金額を想定し、それに見合う増税をしてはどうだろう。どんな税金をあてるのか、それは専門家にまかせたいが、フランスでの富裕税などは参考になるのではないだろうか。(富裕税については、きっと財務省などは調査済みだと思う)
単一の税金では無理だろうし、いくつかの税を、連帯税として時限で創設することは、今なら受け入れられるのではないだろうか。今なら、何かしたい、という強い気持ちがあるから、新税も受け入れられやすいように思う。

普通の生活をできる幸せを感じている。申し訳なく思っている。だから、その幸せを少しだけ税金を負担することで、代償としたいのだ。それもすぐに。


わが身におきかえて

毎朝7時から午後5時まで、我が家は間歇的な地震におそわれる。それは削石工事の振動なのだ。浅間山のふもとにある別荘地で、江戸時代の噴火のあとの巨大な火山石がごろごろしている。近くには鬼押し出しがあるが、あのような大きな岩石が、点在しているのだ。

その巨大石を、割っている。もう半年以上かかっている。上だけではなく、地下部分もあるから、時間がかかる。これらの石を見るたびに、噴火のものすごさ、エネルギーを感じる。この噴火のとき、集落の人たちは、鎌原観音に逃れたひとだけが助かった。

東日本大震災が発生したとき、富士山や浅間山などの火山が呼応した形で、噴火するかもしれないという話があった。
この数年、台風襲来もなく、リスクといえば、浅間山の噴火くらいである。もし、噴火したなら、どうすべきか、今回の大震災で避難をよぎなくされた被災者のかたたちを見ながら、わが身におきかえて考えた。

噴火の警報がでたら、逃げ出すことになるだろう。どこまで逃げればいいのか。ハザードマップはあるけれど、想定外の規模の場合、自分で決めるべきだ。145号線で長野原あたりまで逃げれば大丈夫だろうか。逃げて、どこに避難することになるのだろう。

もし、住んでいるところが、火砕流や土石流であとかたもなくなった場合、また同じところに住む気持ちになるだろうか。そこまでの愛情を持っているだろうか。10年をかけて丹精した樹木や花々、それをまた一から始める気持ちになるだろうか。

避難についても、自分勝手に動けば、行政からの援助は得られなさそうだ。それかといって、どこかの体育館に大勢で避難しているなかに入れるだろうか。集落の人との付き合いもあまりない。余計者扱いにされるだろう。

さあ、富士山、浅間山、白根、いろんな火山が噴火を同時に始める。そして東京に直下型の大地震が襲った。そうなると、政府が機能していての場合だが、東京だけに注意がむいて、浅間のふもとの山村の住民のことなど、きっと忘れられるだろう。

そんな災害は一度に起きない、とは言えないだろう。災害は複合的に起こりやすい。絶対起きないとは、今回の大震災をみていても言えないはずだ。

今回でも、長野県の栄村の地震については、ほとんど報道されない。報道されないというのは、いわば関心をもたれていない、援助がされない、ことにも通じているようだ。

まだ想像の世界なのに、だんだん悲観的になってくる。実際の被災者が絶望的にならず、あくまで前向きなのは、わたしたちにとって救いである。

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