20年前と20年後

東京23区(足立区、荒川区を除く)の人たちは、計画停電の対象からまぬがれていて、そう実感していないようだが、電力不足による停電、それを避けるための節電には、全員が取り組んでいるものと思う。

我が家も節電をしているが、まだまだ抜けた部分が多いことは自覚している。たとえば大型の電気炬燵を使ったり、便座は常に保温にしているし、就寝前の1-2時間はつれあいと私は別々のテレビを見ていたりする。

今日で8日間、計画停電が実施されなかった。明日もない予定だし、気持ちがとても楽だ。しかし、夏場、クーラーを使うころになると、大量の電力不足が見込まれ、計画停電実施は必至だという。

原子力発電の発電量が25%とすれば、これまでの消費量の4分の3で生活すればいいことになる。具体的に20年前の発電量、消費電力量を知らないのだが、生活程度を20年前に戻すことを考えたらどうなるだろう。

エアコンはあったけれど、働いていたから、1日中のうち、自宅でエアコンを使うことはあまりなかった。ウォシュレットはなかった。現在と住んでいる場所も違うし、20年前に戻すというのは、なかなか非現実的である。

働いていないから言えるけれど、あまりに便利さを追求しすぎだったのでは、と反省している。たとえば、デパートなど、以前は定休日があって、銀座でいえば、三越はがんとして月曜日だった。しかし、松屋があり、松坂屋があるし、有楽町までくれば、阪急や西武があった。渋谷は東急本店、東横店、それに西武があって、たとえ一つが定休日で閉まっていても、他の店でカバーできた。

お店の営業時間ももっと短かったように思う。今、節電から7時で終わっていることや、照明が暗いこと、自粛心理の行き過ぎとともに、経済停滞の原因と言われているようだが、パリなど、そんなに長く営業しているデパートはない。小売店にしても、客の都合より、店員の都合が優先されるから、夜遅くまでの営業なんてとんでもない。

ドイツなど、もっとひどい。いつ買い物すればいいの、と聞きたくなるほど、営業時間が店員本位だ。夕方5時には店は閉まっている。日曜日は定休日だ。
それでもフランスもドイツも成り立っているではないか。それは日本に帰ってくると、いつでも、お店が開いているという安心感、便利さに感激したものだ。これこそ、日本の利点と、外国人にも宣伝してきた。

不便な日本に戻そう。飲食店も減っていくかもしれない。これも店が多すぎるような気がしてならない。いたるところにある自動販売機も減らしていこう。行く先々で飲み物・食べ物を調達することをやめて、自宅からお弁当と水筒持参にしよう。

そうして自然淘汰されて残ったものが、適正規模なのかもしれない。そしてそれを20年続けてみよう。余力ができて、拡大できればそれはそれでいいけれど、拡大せずに、その規模で続けていけば、落ち着いた生活ができるのではないだろうか。GNP3位でなくてもいい、というのは引退した身だから言えるのかもしれないが。

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