火葬と土葬、弔いのやり方

3月31日現在の東日本大震災による死亡者数は11,532名、安否不明者は18,260名だそうだ(朝日新聞による)。今日は米軍と自衛隊合同の海上捜索が行われ、18名のご遺体が発見されたとか。

震災から3週間がたったが、これだけの死者を一度に弔うというのは、戦争など以外では考えられない。日本では一般に御遺体は火葬にされる。これを荼毘にふすという表現を使うこともある。しかし、火葬は1000度くらいの高熱で行われる。オープンエアーで、薪でも積んでというわけにはいかない。

設備と燃料、これは必須だ。しかし被災地では設備は破壊され、燃料はないときている。少しずつは被害をうけなかった内陸部の市町村の施設で引き受けてくれたとか。東京江戸川区にも運ばれたという。

しかし、とても「さばききれない」(表現が悪くてごめんなさい)ので、各自治体は土葬という選択をせざるを得なくなった。共同墓地とされる場所に深く穴が掘られている。一つの棺に一つの穴ではなく、深い、長い穴だ。自衛隊によって掘られたのだろう。

棺は遺族ではなく、自衛官によって穴の中に安置され、敬礼を受ける。遺族のいる棺には、思い出の品も上におかれているようだ。
埋められたあと、どのような形になっているのか、まだその写真なり映像はみていない。卒塔婆などがたてらるのだろうか。土葬だと、先祖代々の墓にいれることができないのが、つらい思いになるのだろう。

「荼毘にふせる」こともできなかった、「土葬でごめんなさい」という遺族のことばも聞いた。
日本では火葬が定着していることを示すことばである。昔、おそらく明治時代あたりまで、田舎では土葬も行われていたはずだ。この土葬への消極的な態度はいつからだろうか。
また火葬したあと、お骨を拾い、仏壇にまつったり、49日後にお墓に納骨するといった儀式、また分骨など、遺骨に対する感覚も独特である。

フランスではまだ土葬が一般的である。火葬もだんだん増えてきたが、たしか15%程度であったと思う。火葬にするというのが、先進的というのか、変人のすることであった。まず、火葬にしてほしいときは、自筆で書類を作っておかなければならない。遺族が勝手に火葬にするわけにはいかないのだ。

フランスでは遺骨ではなく、遺灰となる。持ち帰る人もいるが、火葬場あるいは墓地に遺灰をまく場所も設けられているという。あるいは海や山にまくこともできる。

モスレムではかならず土葬だというし、隣の韓国でも、土葬のようにきいている。

おそらくは常の弔いの形ではないことに戸惑いがあるのだろう。ある宗教関係者は、弔いは形ではない、追悼する気持ちがあればいいのです、と言われていた。しかし、身元がわからない御遺体があり、また家族全員が亡くなられたり、安否不明になられているケースも多い。追悼してくれる人もいない。

新聞に亡くなられた方々の名前が載っている。知っている人はいない。しかし、その名前を一人一人読んでいくことで、その方が存在していらしたことに思いを寄せている。無残なことである。

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