自動販売機

東京都民ではないので(都民であっても)、私が石原都知事をどう思おうと、彼にとって痛くもかゆくもないだろうが、私は石原都知事の言動に対して否定的な立場をとっている。しかし、自動販売機についての発言については、ほぼ同感である。

電力不足が予想されているこの夏、日中の時間の節電の対象として、数多く存在する自動販売機があげられている。ある一定の時間、機械を止めるというのだ。冷たい飲み物も、熱い飲み物も、ぬるい温度になってしまうだろう。また数の多さも問題になっている。

私の家から一番近い自動販売機は、1キロほどはなれたところにある。別荘の管理事務所近く、村道に2台が据えられている。新聞とりに歩く時、その前を通るけれど、まだ利用したことはない。だいたい、ボトルに水をいれて、携行しているからだ。

石原知事は、こんなに自動販売機がある国は日本だけだとおっしゃる。私は世界全部の国を知らないので、そうなのかどうかは断定できないが、おそらくそうなのだろう。というのは、自動販売機の小銭をねらって、機械がこわされる恐れがあって、そう普及することができない国もあるし、開発途上国では、電力がないときている。

アフリカのコンゴ民主共和国の首都、キンシャサでは、街中では水売りの少年がいた。ビニールに水をいれて売っている。その水は、どこで汲んできたのやら、すこし濁っているし、ビニールも何度も使ったような、くすんだ色だ。熱帯の暑いところにある町なので、水分補給は大切だ。市場などでは、よく売れている。

フランスでは、水を飲みたいとき、キャフェに入る。コーヒーではなく、水を注文することも可能だ。それはミネラル・ウォーターになる。有料だし、時としてコーヒーより高い。小さなガラスの瓶にはいったミネラル・ウォーターの場合、「しまった!」と思う。プラスティックのボトルでくれば、残りを持ち帰ることができるのに。

旅行者は冷えたボトルの水をキャフェやバーで買うことも可能だ。もちろん、スーパーなどで1本買いをする値段よりは高いけれど。水はこんな方法で手に入れて、持ち運びする。

日本の自動販売機で買える飲料水の種類の多さ、びっくりものだ。あまり利用しないので詳しくないのだが、水だけでも、国産でも六甲、富士山麓などを見るし、フランスでもヴィッテル、エヴィアンは大体あるようだ。それに缶コーヒー、紅茶、ウーロン茶、緑茶、健康茶、もうわからなくなるほどの種類がある。

日本で暮らせば、いたるところにある自動販売機の存在は当たり前だし、それに慣れてしまっている。便利なものだ。適当な大きさのボトルで売られているので、いつも冷たいか熱い飲み物がのめ、すぐに捨てることができる。

この便利さ、当然のことだろうか。それとも無駄の一つだろうか。石原都知事は無駄の極みのように断罪している。利用者は、コンビニで買い求めるとか、少しの不便はあっても、耐えられる範囲ではないだろうか。しかし、これを商売にしている人々は、飯の食い上げになるという。商売替えをしなければ、という人もいるようだ。

時代が必要としたものかもしれないが、また時代が変わって、不要あるいは無駄とされるのか、夏を待ってみよう。


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