枯山水の掃除(2)

前回枯山水の掃除にとりかかったときは、石が凍っていた。今朝も薄氷が張っていたけれど、昼から始めた時、暖かになり、石の冷たさもさほどではなくなった。

京都の庭師さんに教わりたいところだが、川とみなした枯山水の石ころを一つ一つはずして、間にはさまった枯葉(広葉樹とカラマツ)を取り除いていく。中腰では疲れるので、座り込んでする。辛気臭い仕事だ。しかし、今は掃除にベストの季節だ。まだ気温が低いので、虫がでていない。やりやすい時期なのだ。

無我の境地でといいたいが、何かしら考えている。「夕食のおかずはなんにしよう」、といった主婦的な思考もあるが、このごろは来し方、行く末に関することが多い。「人生にはなんと不条理なことが多いことか」、「私の人生はどう終わるのか」、「浅間が噴火したら、どこへどう逃げればいいのか」、「クレーン車がつっこんできた事故で、亡くなった6人の小学生の人生とは」、などあっちこっちに気持ちが動いている。

人生はどうなるのか、「一寸先は闇」だ。今回の地震と大津波で痛感させられた。日常生活のいかにもろいものか、確かなものは何もない。
津波で流された行方不明者はまだ万を超えている。これらの中には、家族全員というケースもあるだろう。そうしたとき、親族や友人からの声がなければ、行方不明者のリストにも載らないかもしれない。

住人ならまだ市町村の戸籍で探してもらえるかもしれないが、旅行者や一時的な滞在者だと、もうなにもかもが不明になってしまう。
忽然と消えさる、これも死の形態としていいのかもしれない、生きたという痕跡もなく、海の底に沈んでしまう、そんな死を自分にあてはめる。

深刻なことを考えていると、風が冷たくなってくる。いかん、ちょっと春の歌でも歌いましょうと、思考を切り替える。「緑のそよ風、いい日だね、ちょうちょもひらひら、遊んでる」と今日は初めて、庭に白モンシロチョウを観た。

小さなスミレが咲き、水仙も初花1輪咲いた。友人からもらったクリスマスローズを5株植えこんだ。枯山水の掃除も楽しみの一つ、こんなにたくさんの楽しみを味わえない、亡くなられた方々に思いを寄せたところで、今日の仕事はおしまいにした。

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。