神に祈る

今日は日曜日、4か月ぶりに教会へ行きました。12月から3月までは、さぼりです。ごミサの時間が早く、道路が凍結しているおそれがあるので、冬の極寒期間はさぼっています。

キンシャサのシスターは、神様は空の上からみていらっしゃるのだから、どこでお祈りしてもいいのよ、と言ってくれました。ですから冬の間は、自宅でお祈りでした。

さぼっている間に、ご復活祭に先立つ4旬節は始まっています。神父様は紫色の法衣を召していらっしゃいます。ひさしぶりにしっかりお祈りをしました。

石原慎太郎氏は、今回の災害を「我欲に陥った日本人への天罰だ」というようなことをいわれたとか。これをきいたとき、「バベルの塔」を思い出しました。天に向かって高く、高く、塔を築き上げていく。結局、その塔は崩壊する。福島の原発をみていると、これがバベルの塔だったのか、と思うのだ。

科学の力で、原子力で電気を作って、暑い夏も涼しく、寒い冬はあたたかに、人工的な快楽を追い求めてきた、我々の思い上がりを、神様はお許しにならなかったのだろうか。それにしても、決して東北の人々は思い上がってはいないのに、むしろ謙虚な、朴訥な人たちなのに。

神様は愛をお示しになる存在なのに、ついお怒りをおもちになったのか、と思ってしまうほどの災害であり、悲劇なのだ。

これから4月24日のご復活祭まで、祈りを集約させていく。わが身を十字架にかけて、犠牲にされたイエス・キリスト、被災者のための祈りを受けてください。そして救いをお示しください。

















「主の祈り」に、「わたしたちを誘惑におちいらせず、悪からお救いください」

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