干し柿作り

立冬翌日の今日は、気温は低いけれど、日差しは暖かかった。先週、買ってきた渋柿で、干し柿を作ることにする。干し柿作りは今年で4年目だ。最初はご近所の方が、2階の窓いっぱいにつるし柿をしていて、自慢そうにごちそうしてくださったことから始まる。

うらやましくて、翌年、スーパーで干し柿用の渋柿を売っているのをみつけて、わが家でもトライすることにした。寒冷地にある家だから、条件的には恵まれている。寒風にさらして、甘い、おいしい干し柿ができた。これですっかり味をしめた。

ふつうの生食用柿は売っている期間も長く、いろんな値段のものがあるが、干し柿用となると、あまり売っていない。期間も短いので、よほど注意深くする必要がある。そして値段が高い。昔、子どものころに食べていたが、そんなに高いものだとは思わなかった。昔は、自宅の庭の柿などで作っていたのだろう。

毎年のことではあるが、買う時には、清水の舞台から飛び降りるような心境になる(ちょっと大げさ)。今年も大ぶりのものと、中程度の大きさの柿を買ってきた。総数60個くらいだ。今年は、春先に天候不順から、実となる芽のつきが悪いなど、報道されていたので、心配だったが、一応売っている。でも高い。

陽だまりになっているベランダに腰をすえ、1個ずつむき始める。難しくはないが、10個ほどむいたころから、手が痛くなる。渋で包丁も手も紫色になっている。買ってくる柿のいいところは、ちゃんと紐をとおせるように、下手の部分がなっていることだ。

つれあいが紐をとおし、ベランダに作っておいた干し柿用物干しにつるしていく。4年目ともなると、コンビも息があっている。午前中2時間ほどで完成した。これで年末のころには、食べごろになるはずだ。
本来なら、自宅に柿の木があって、その柿をとって作るというのが理想的なのだが、わが村はあまり柿の木をみかけない。

この村に住むようになって、いろんなものを作るようになった。白菜漬け、タクワン、といった漬物、梅干し、ミョウガやショウガ、ラッキョウ、などの甘酢漬け、サンショの佃煮、この程度は主婦としては当然なのかもしれないが、元来主婦としての自覚がなく、都会派、家事きらいを自認していたので、自分ながら驚いている。常勤の仕事ではないので、時間的な余裕があることも一つ、すぐに買い物ができない場所に住んでいることも一つ、だんだん食物の安全性を気にするようになったのも一つ、いくつもの条件が重なっている。

干し柿は、好物だという人が多い。とくに地方出身者、ある一定以上の年齢層がそうだ。自家製の干し柿ですといって、年末に送ると、大変喜ばれる。60個では足りなかったかな?とつれあいが心配している。

11月8日、従姉の初命日

今日は立冬だそうだ。昨日に比べ、気温がずいぶん低くなっている。昨年の今日、従姉が死んだ。病死であるが、その知らせは10日ほどあとになって受けたので、葬儀にも参列していないし、どこにお墓があるかもしらない。

4歳上の従姉は、父の妹の一人娘で、小さいころ、10数年間、一緒に暮らした。だから姉妹というような感じの存在だった。わが家はその当時、ほとんどがそうであったように、大家族でくらしていた。父と母、祖母、大叔母、伯母と叔母にその子である従姉、母の違う姉、それに姉と私に弟、合計11人の家族だった。いつからそんな大家族になったのやら、さだかな記憶はないが、最初からではなかった。

従姉とその母である叔母は、あるときから一緒に暮らし始めたような気がする。叔母は戦争未亡人といいたいが、夫が結核にかかり、戦地からもどってきた。だれの話かしらないが、祖母が看病で苦労するのがかわいそうと、実家に戻るように指図したらしい。娘をつれて戻ってきた。当時は、離婚しても婚家の姓を名乗ることはすくなく、旧姓に戻ったものだ。ただし、従姉は一人娘だったので、婚家の姓を維持し、わが家で一人だけ、名字が違っていた。

11人の大家族ながら、男は父と一番年下の弟だけという女系家族で、母の違う兄は、大学から就職と、家を離れていたので、兄がいるとは知らなかったほどである。女としては一番年下になる私は、便利に使われる存在だった。シンデレラみたいなものである。常にからかいの対象で、「あなたはナツマメ畑に捨てられていたのを、かわいそうだと拾ってきたんだって」と言われ、だから誰とも似ていず(ご近所では、一目でこの家の娘とわかるといわれていたようだ)、いつの日か、本当の両親が、キャディラックに乗って、「探したのよ」と迎えにきてくれるのを待っていた。

夕方の買い物に出されるのも私、掃除わすれの個所をあわてて掃除しなさいと言われるのも私、と今でいういじめ(姉たちにいわせると、年少者がして当然)にあっている中で、従姉はやさしかった。
その従姉も、高校を卒業すると、東京に働きに出、それからの人生で交差することはあまりなかった。

昭和20年代、離婚したり、夫に死に別れした女性は、実家にもどるケースが多かった。叔母も結局、従姉が結婚し、子どもが生まれるころに、従姉とすむために実家を離れたような記憶がある。子どもなのに、変な潔癖をもっていた私は、病気の夫をおいて実家に戻ってきた叔母を許せず、大きくなるにしたがって、意地悪をした記憶がある。男性と親しくしたりすると、邪魔をしたり、嫌味をいったりしたものだ。

今なら、30代、40代を実家の掛り人としてすごす心細さ、女ざかりであること、などわかってあげられるのだが、なんせ古い時代、異常なまでに潔癖だった。そんな意地悪な私なのに、高校時代、両親が仕事の関係で別の場所にいき、弟は同行したが、私は高校ということもあって、実家に残った。叔母は、母かわりに、ご飯作りからすべてやってくれていたのだ。お弁当がお粗末だ、夕食のおかずが気に入らない、いろいろ文句をいった。叔母は料理上手で、少ないお金でおいしい料理を作ってくれていたのだが、それも今だからわかるのである。

大学は実家を離れていたので、叔母とはそんな中で分かれてしまったようだ。従姉も嫁ぎ先が遠隔地だったので、会うこともなかった。
その後、叔母も従姉もくわしい事情はしらないが、お金のことで失敗したりで、近づかない方がいいといった、親戚のうわさ、それよりもなによりも、自分自身が生活していくことに必死で、無音のままで数十年がすぎてしまった。

叔母が亡くなったのはもう数年前になり、その時も知らせはうけたが、遠隔地でもあり、これまで付き合いもなかったことで、つれあいの同意も得られなかったので、葬儀に出席することもなかった。その後、何年かのちに、従姉が病気であると知り、なぜか、その時、姉2人とそろってお見舞いにいこうと盛り上がった。

一緒にくらした年数の数倍の年数を、会わずにすごしてしまった。兄弟姉妹ならそんな冷たいことはしなかっただろうに、という悔悟の念が込み上げてきた。叔母によく似ていたから、叔母へのすまなさもこみあげてきたのだ。

そして昨年、従姉は長い入院生活のあと亡くなった。糖尿を患い、のどを手術していたので、会話はできず、交流とて淡いものであったが、その死は重く私の心に残っている。
現在の仕事の一環で、いろんな家族をみているが、あの当時の家族のありかたが、従姉にとってどうだったのか、幸せであったろうか。

今日は一日、そのことを考え、今、追悼の火をともしている。

77777, ラッキーナンバー?

今朝のわが家の愛車、77773kmの走行距離であった。当然、今日の外出で77777を迎える。つれあいとともに、今日はなにかいいことあるのかな?と楽しみにしていた。

そんなにゲンを担ぐ方ではないが、やっぱり77777となれば、特別に思える。自宅を出て、前橋群馬大学病院へ。いつもの駐車場は、待車が数台あって、時間がかかりそうなので、遠くの駐車場になる。「ついてないね」とつれあいと話す。

受診の科にいけば、大勢の患者が待っている。また1時間待かしらと、覚悟して待っている。ところが予約時間より前に呼ばれて、受診できた。このおかげでゆっくりランチタイムを確保できた。

午後は仕事、自分の都合ではなく、相手の都合で、時間が1時間延長することになり、無給での延長となった。
それ以降は、いつも通りの進行で、自宅へ戻ってきた。

結局、今日の幸運というのは、受診が早かったということだけだった。

つれあいはときどき宝くじを買う。いつも今度こそは「億の間」いりよね、と1億円があたるのを期待しているのだが、毎回最低の金額しかあたらない。これは当たったとは言えないらしいが。

土曜日には菊花展なる催しにいき、福引に挑戦したが、等外のタオル1本を得ただけだった。そもそも福引で賞品をゲットしたことなど、記憶にない。

いつもそんな時には、「大切な運は、もっと大きなチャンスで」と思うことにしているのだが、宝くじもだめだし、だいたい運などついていないのではないかと思ったりする。

車のナンバーで、7777とか8888などを持っているひとは、そのナンバーを得るためにその人の持ち運を使い果たしたのではないか、と思う。

今日、無事故で、おいしい昼ごはんも食べたし、これはといういいこともなかったかわりに、悪いこともなかった、それが一番の運だったのかも、とつれあいとなぐさめあった。



警官を雇えぬ街

「警官を雇えぬ街」というのが、今朝の朝日新聞のトップ見出しだった。車で新聞をとりにいき、一面をみたとき、これはギリシャの話だと思った。そのほか、「自治体破産」、「犯罪が急増」、「自警団結成」などとある。ギリシャでは公務員を解雇したりしているので、警官数も減って、その結果を報道しているのだと思った。

ところが、記事を読むと、これはアメリカのことである。実際に破産してしまった地方公共団体も存在するようだ。日本なら夕張市がその一歩手前?だったが、現実に破産してしまう例として公共サービスがなくなってしまうことが説明されている。

ウォール街での若者たちの占拠、99%の人々が苦しい生活をしているという切羽詰まった訴えなどをみていても、常にアメリカン・ドリームの話をきき、アメリカ留学あるいはアメリカで働くことが、成功への道とインプットしてきた世代には、なかなか理解しがたい。

自助努力の国だから、大学などの学費が高いというのは聞いている。しかし、奨学金の制度や、学生のアルバイトなどがきわめてよく整備されているから、親の援助なしで高等教育をうけられる、と思っていた。そんな恩恵は全ての学生が受けられるわけではない。結局学費ローンというもののお世話になるそうだ。

それも公的なものと私的(銀行)のものがあり、今日のテレビでは、オバマ大統領に訴えたら、救済措置をとっているという返事があったけれど、それは公的なものだけで、銀行ローンには適用されないので、なんの救済にもなっていない、ということだった。

世界のどの国が問題が一番少ないのだろう。新聞を読んでいると、どの国も、すぐに沈没しそうな泥船になっている。
フランスも、もうじき、ホームレス(SDF)の人たちのための、食糧援助や、テント村などが始まることだろう。
なにか心温まる、平和な話題がほしいものだ。

マージャンをやりたい

4人でマージャン卓をかこむことがなくなってもう17年はたつだろうか。以前、東京都心に住み、わりと時間に恵まれた生活をしていたころは、月に1回、友人たちとマージャンをしていた。

まず上手で、計算のできる人を選ぶ。必須のメンバーだ。何人も候補者はいるのだが、だいたい男性で、仕事が忙しい。7時に集合して、8時ごろからマージャン開始という誘いをかけると、10時からなら参加できる、とか遅い時間からの参加を言う人がほとんどだ。

女性はほとんど、いつでもOKなのだが、みんな初心者、計算はできないし、マージャンのあがりても知らない人がいる。

4人そろわず、流れたことも、5人、6人と参加者ができて、私がやりたくて計画したのに、私の出番がなくなったり、いろんなケースがあった。
実に楽しいマージャン会になった。会話が面白い。丁々発止の会話になる。それぞれの仕事の話をしながら、勝負のタイミングは逃さない。たった1000点の手のために降りない私に、上手なおり方、あるいは逃げ方を教えてくれた5人目のメンバー。

パイを捨てる指と、だれかの指がふれて、キュンとなる、なんてこともあったような、なかったような。

時代が変わった。今では、一人でパソコン相手にマージャンをしている。東京に住まなくなったこともあるけれど、パソコンがなんでも相手してくれる。手紙ではなくメール、電話をかけるのも遠慮気味で、メールばかりになる。
パソコン相手のマージャンはどうにでもなれと、1000点でもつっぱる。負けてもくやしくもなんともない。

人と人との交流がだんだんに機械的になってきたような気がしてならない。体温、息づかい、声、語調、5感を使って、それに頭も使ってやったマージャンがなつかしく思い出される。

パソコンなかりせば、わが人生、安らかならん

今日は好天にもかかわらず、昨日の落ち葉かき作業をやりすぎて、腰は悲鳴をあげているので、外の仕事はやめた。

何をしましょうと、少し早目にパソコンの前に座った。パソコンは、日頃、夜の作業にしている。夕食後、テレビをみながら、メイルチェック、フランスのニュースをみたり、日本のニュースをみて、ブログをかくことにしているのだが、今日は昼間からその作業をやってみることにした。

ただし、メイルチェックのあと、インターネットで検索したいことがあって、それをクリックした。ちゃんとメイルを終了させてのことなのに、前に行った作業が終了していない、というお知らせが出た。それなら終了させなきゃ、とその指図の部分をクリックしたら、さあ大変!!なんだか知らない画面が数十でてきた。すべて同じ画面。それなら最初の部分から消していけばいいや、と赤いX印にあわせてクリックするが、うんともすんとも言わないのは当然ながら、動かない。

それから画面が固まってしまった。どうしたらいいのでしょう。つれあいがどれどれとみてくれるが、彼自身、そう強い人ではない。なんだかんだとマニュアルを読みながら、操作してくれているが、私はこんな状態のPCのそばにいると、自然発生的頭痛になるので、逃げる。

午後の時間はこんなことで、無為に終わってしまった。パソコンは大嫌いだ。なるべく使いたくない。でも仕事や、友人との交流をするにはパソコンが必要不可欠になっている。でも使いながら、不安で仕方がないことばかりだ。

フランスの友人にメイルを送れば、付けていない添付がついてきているという。急ぎ、添付は開けないでともう一度メイルを送る。もしかしたら、ウィルスにかかったのかも?と心配になる。インターネットでの決済など、絶対やりたくないことだ。
ああ、パソコンさえなければ、日々、平安なのに、と、パソコンを開くたびに言うので、やめたら?とつれあいは冷たく言う。

計画停電で、電気のない時間を過ごし、電気のない時代を思い出した。パソコンをなくしてみるのも一つの方法だけど、やっぱり、世捨て人にはなりきれないから、別の葛藤がでてくることだろう。

落ち葉かき

この数日の好天と暖かさ、晩秋とは思えない。標高1000メートルのわが家では、紅葉も終わりに近い。庭をみると、落ち葉が庭をおおっている。山の中だから落ち葉の量がすごい。落葉樹は新緑が鮮やかだし、秋の紅葉も見事だから、季節感を味わえる木々として、好ましいとは思うけれど、この落ち葉、どうしてくれよう。

ほおっておけば、1カ月もしたら、雪が降り、積もってしまえば見えなくなる。そこまで待つか、と思いはすれど、庭というからには、やっぱり落ち葉は気になる。まして、庭の一角に枯山水なるものを作っている。そこが落ち葉で隠れてしまっているのだ。

わが家は竹ぼうきを使うけれど、掃除機のように吸い取る道具や、逆に吹き飛ばす道具もある。そんな便利な道具はわが家にはない。箒でだめなら、手を使う。

今年は福島原発の事故のせいで、枯葉を腐葉土にするのは歓迎されないようだ。いつもなら、庭の一角に腐葉土コーナーとして、うづ高く積み上げて、腐葉土になるのを待つのだが、今年はどうしよう。落ち葉焚きは、CO2を増やすことと、火事をおこす危険があるから、禁止されている。落ち葉たきをして、最後にサツマイモをいれて、焼き芋なんて、楽しみの極みなのだが。

ふわふわ、さらさら、数日の好天で乾きに乾いた落ち葉は、集めるそばから逃げていく。太陽のにおいもする。
自然の恵みを感じるときだ。ナツツバキ、どうだんつつじ、ヤマウルシ、レンゲツツジ、楓、ヤマブキ、萩、白樺、桜、サンショ、などはいいのだが、カラマツは困りものだ。腐らないという。庭一面に散っていて、はいても箒の目をぬけていく。

文化の日の一日、こうして落ち葉はきで終わった。

諸聖人の祝日

11月1日は、フランスでは国の祝日になっている。諸聖人の祝日だ。宗教的な祝日なのに、日が固定されているのは、8月15日のマリア被昇天祭と同じである。

この日は、一般に墓参りの日とされている。亡くなった家族や友人の墓に参る。菊の鉢植えを備える人が多く、この時にあわせてお花やさんには菊の鉢がたくさん並べられる。墓地の入り口あたりには、特設スタンドもできる。

11月1日にあわせて、メディアは死に関するニュースを報道する。葬儀についてもそうだ。F2の放送を見ていたら、フランスでも火葬をする人が増え、埋葬の30%を超えたということだ。
埋葬については、お國によって違うものだ。フランスでは土葬が普通で、火葬をするには特別の手続きが必要だった。おそらく今でも同意書が必要だろう。しかし、墓地もだんだんに不足したり、死後のことについても、考えが変わってきたようだ。

日本では、東北地方大震災のあと、火葬場不足で、死者の多くがいったん土葬にされた。早く荼毘にふしてあげたいと、遺族の方々が申し訳なさそうに、仮埋葬の場所でお参りしていらした姿が印象的だった。日本では、火葬にふすということが、死者を送る作法になっている。

イスラムでは、土葬でなければならない。日本で亡くなられたイスラム教徒の方々は墓地を確保するのに苦労しているようだ。

今日の放送で、葬儀費用は平均で3100ユーロかかるとか。日本円にすると35万円ほどだから、ずいぶん安いような気もする。以前は、葬儀屋さんは、たしか地方自治体が経営していたが、規制がとれて、民営化されたはずだ。葬儀費用について、あまり事前に費用の提示がなく、明朗会計ではないようだ。
そしてこの10年で34%アップしたというが、あまり高くならないうちにすませましょう、というわけにはいかない費用である。

このごろ、日本では通夜をすることなく、病院から火葬場へ直接運んでの直葬というのがあるらしいが、批判もあるようだ。家族葬にしても、近しい家族はいいが、告別式などがないと、友人・知人がお別れできず、心のけじめがつかないという。葬儀は死者のためではなく、生きている人間のためなのだそうだ。
そうしてみると、葬儀自体も考えなければ。



英王室の決断

先日、英王室が王位継承の順位を「男子優先」から「長子優先」と変更したとか。つまり最初に生まれた子が王位継承権をもつことになる。
現在、エリザベス女王を継ぐべきは、長男のチャールズ皇太子で、2位はこの春結婚したウィリアム王子となる。英王室は、ウィリアム王子の下にもヘンリー王子がいるし、チャールズ皇太子の弟アンドリュー王子(現ヨーク公)もいて、男児には事欠かない。

それでも長子優先としたのは、「男子優先」が時代遅れと認識したからだ。女王がすでに存在した国であること、現在、女王をいだいていることも、抵抗感をなくしているのだろう。結びつきの深い欧州の王室は、すでにスウェーデン、オランダ、ベルギーなど長子優先としている。だから現にオランダも女王である。

日本での男系男子のみの皇位継承は、特殊な例かもしれない。フランスは共和政だが、今でも王政復古を望んでいる王党派という存在があるが、もしブルボン王朝復活すれば、ここも男系男子をとっているので、日本と並んでくれるかもしれない。

「女性天皇」を誕生させる論議が消えてしまったが、日本でも、当然、考えるべきことではないだろうか。あるいは、女性皇族が結婚すると、お嫁にいくという形で、皇族から離れるが、これもおかしい。イギリスでは女王の妹のマーガレット王女も、平民と結婚されても、プリンセスであり続けた。日本でも貴族制度がないのだから、すべて平民だろうが、平民と結婚されても、皇族として残られていいと思う。

今回、進歩的な変更をしたイギリス王室、しかし、ウィリアム王子の結婚相手が、平民であるというは初めて?というような解説がご成婚時にあった。日本では現皇后陛下から平民出身なので、その分は進歩的ともいえる。

スペインなどは、つい最近までとても保守的な王室制度をとっていたのに、皇太子の結婚相手は、再婚?であったり、王女の結婚相手がスポーツ選手?であったり、すっかり開放的になっている。これは王室自体がリーダーシップをとられたのだろうか。

フランスのマルメゾン城を訪れると、そこに欧州の王室系図があり、ナポレオンの最初の妻であるジョゼフィーヌの長男ウージェーヌの娘がスウェーデンの王室に嫁ぎ、そこから姻戚として、欧州の王室へと血がつながっているのがわかるが、今後は、みんな親戚といった関係はなくなっていくに違いない。


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