ダニエル・ミッテラン、元大統領夫人死去

昨日のフランスのニュースで、故フランソワ・ミッテラン元仏大統領夫人、ダニエル・ミッテランが死去したと報じていた。逝年87歳ということだ。夫は1996年になくなっているから、15年の未亡人生活であった。住まいはパリ7区にあり、その前は何度となく通ったことがある。

大統領夫人でありながら、フランス=リベルテ(フランス自由)財団を組織し、第三世界の少数民族や、被統治民族の援助活動に打ち込んでいた。
日本にもこの活動のために、寄付を集めに来たことがある。当時は、大統領夫人でもあったので、大使館のバックアップはすごいものがあった。日本での旅行先は、あらかじめ、大使館員がチェックし、また東京での宿泊はホテル・オークラと、かける費用はすごかった。

大統領夫人のお願いでもあるので、大企業の寄付も多く、おそらくは訪日の費用などは軽いものだったろう。しかし、彼女自身が、フランスの国の費用が私的な活動に使われていることを承知しているのかな?と疑問に思ったこともあった。
しかし、大統領夫人の活動だからこそ、日頃、見捨てられがちな少数民族の問題が脚光を浴びるという利点もあった。

夫フランソワとの仲はとうの昔に冷えていたらしい。夫が大統領に選ばれ、エリゼ宮に住むようになっても、彼女はパリ7区の自宅に住み続けた。エリゼ宮には、夫の愛人が住んでいた。この事実は、フランソワがインタビューで、愛人やその間の子どもの存在を聞かれて、「それがどうした?」と肯定したことで白日のもとにさらされた。

フランソワ・ミッテランの2重の私生活、たとえば、クリスマスを本来の家族、ダニエル夫人とその子どもたちとすごせば、新年は愛人と、というのを、ダニエル夫人はどうのように受け止めていたのだろうか。とは言いつつ、彼女も愛人がいたという。

ドゴール夫人は極めて家庭的、ポンピドゥー夫人は積極的に慈善活動などに携わった、ジスカール夫人は貴族的、シラク夫人は自身も地方政治家として活動、とそれぞれに個性ある大統領夫人が続き、また現サルコジ夫人も特異な存在であるが、ダニエル・ミッテラン夫人はその信念において、特別の存在だったようだ。
死後はジャルナックにある夫のそばに眠るのだろうか。


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