ひなげしの花

今朝、目が覚めたのが7時半、雨戸をしめているので、部屋の中は暗く、時間がわからない。テレビをつけた。そして7時半というのがわかったのだが、BS1ではワールドウェイヴをやっていた。赤い花が背景にある。

BBCのニュースをみていると、やたらとでてきた赤い花のバッジである。バッジかどうかはわからないが、アナウンサー、あるいは街を行く人、インタヴューを受ける人、ほとんどの人たちがつけている。11月11日の番組では、戦没者の慰霊祭が行われていたが、そこに出席されたエリザベス女王の胸にもある(他の人たちと違って2輪の花だった)。

イギリスの習慣にはうといので、これが何を意味するか、推察はできても、はっきりとはわからなかった。それを今朝の番組で教えてくれた。
11月11日は、ヨーロッパでは第一次大戦が終わった日である。フランスでもArmisticeといって、国家の休日になっている。
実は11月11日のブログにこの日のことを書きたいと思っていたのだが、ニュースでは、やたらと2011年11月11日と、11が3回連続し、かつ11時11分11秒となれば6回、1の数が12もつながるということに重点をおいて報道されていた。

第一次大戦といえば、1911年から14年までだったように記憶している。開戦から100年、停戦からはあと3年を必要とするが、もう100年もたったのに、今でも国家の休日として、記念行事を行っていることを書きたかったのだ。

イギリスとフランスは戦勝国である。それでも犠牲者は多く、フランスのほとんどすべてのコミューン(市町村)の広場や教会に、Les soldats qui sont mort pour la patrie 1911-1914(祖国のために死んだ兵士たち)といった記念碑があり、亡くなった人の名前が刻まれている。

イギリスではこの日を戦没者追悼の日として、第一次大戦に限らず、全ての戦争で亡くなった兵士の追悼をしているという。追悼の意を表するのがこの赤い花、英語ではポピーというらしいが、いわゆるひなげし、フランス語であればコクリコの花だ。
なぜひなげしか、それはこの戦争を戦ったカナダの詩人が、戦場であるフランドルに咲き乱れるひなげしをみて詩を書いたらしい。それにちなんでということだ。

ひなげしの真っ赤な花は目立つし、とてもきれいだが、これは手入れのされていない休耕田や道端に咲き、けっして栽培されている花ではない。だからというか、イタリアではよくみかけた。
南フランスに住んでいた時、「ひなげし畑にて」(Au champ de coquelicot)というモネかルノワールの絵の場所を探したものだ。Stes Maries de la Merというカマルグ地方の海沿いの町の入り口にわりと大きなひなげし畑があって、車をとめて、「ひなげし畑の少女」を気取ったものである。

戦争は悲惨なものだが、この第一次大戦あたりでは、国対国の戦争で、宣戦布告や休戦条約といった取り決めで、終わりの日も特定できる。現代は戦争の形態が一変して、対テロ集団となっている。
戦死者と言われる犠牲者がなくなる日というのは来るのだろうか。

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