ライヴァル由紀さおり

このごろ、由紀さおりがアメリカ、カナダ、イギリスなどでブレイクしているとか。彼女の歌う「夜明けのスキャット」は大好きなので、喜んでいる。

彼女のこの歌を初めて聞いたのは、40年以上前、テレビ局で働いていた時である。地方の大学を卒業して6カ月後、東京へでてきた。友人の紹介で、テレビ局にアルバイトとして働き始めた。現業部というセクションに配属されたが、そこは映像、音声、照明といったスタジオで働くひとたちのセクションで、私の仕事は、時間的に不規則なスタッフのための事務をとることであった。

連絡のためにスタジオに顔を出すのも仕事の一環で、そのうち、シフトにのっている収録番組をチェックして、大好きな歌番組の時には、ほとんどデスクよりスタジオですごすようになっていた。(40年もたてば、時効でしょうね)
そんなときに、由紀さおりの夜明けのスキャットを聞いたのである。ルールルルルー、と歌う声の透き通っていて、カメラテスト、マイクテスト、そしてランスルー、時には本番までしっかりスタジオで聞いていたものだ。

小学生のころ、まだテレビも普及しておらず、ラジオが主の時代だったが、川田姉妹や安田姉妹という童謡歌手がいた。わが家は歌うことが大好きで、よく合唱をしていた。3歳上の姉とデュエットもしていたので、K姉妹として売り出そうか、ともちかけた。姉は年上だけに、現実を知っていたのか、あるいは私の歌唱力に不安をもっていたのか、「無理よ、あんたの大根足じゃ」と関係ない理由であきらめさせられた。
歌と大根足の相関関係はわからなかったが、そこまでの実力がないことはわかっていたので、すぐにあきらめた。

そんなくだらない思い出が、由紀さおり=安田妹ときいて、「わがライヴァルではないか」と注視したわけである。
ライヴァルだけれど、憎いライヴァルではなく、大好きな歌手として、週1回ある看板の歌番組収録の日、出演者をチェックしては、スタジオに入っていた。

ピンキーとキラーズ、南沙織、あとどんな歌手がいたか、忘れてしまったが、当時は歌番組はほとんどが生放送で、リハーサルも長く、出演者も長時間束縛されていた。

40年以上前とちっとも変らない彼女の声を聞いていて、ラより上の音が出なくなった私は、潔くライヴァルの地位を退き、ひたすら応援しているのである。

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