虹を見ました

今日は午後、前橋にいました。お昼頃はいいお天気だったのですが、3時過ぎ、黒い雲が空の一隅にでてきて、車のフロントグラスにぽつぽつ雨のしずくもかかってきました。

そして前方に大きな虹がかかっていたのです。久しぶりにみる虹でした。フランス語ではarc en ciel(アルカンシエル)(空の弓)と言うのですが、弓の形をしているのが普通のようです。今日の虹は半分ほどがはっきりみえました。

弓の形をしているのが普通と思っていたのですが、以前、アフリカのキンシャサに住んでいた時にみた虹はほとんど直線でした。直立した木のように、地面から虹が立っているのです。びっくりしたことを思い出しました。

この時は、ホテルの最上階の部屋にいました。15、16階建のホテルだったように思います。このホテルは、住んでいた家のすぐ近く、それなのに、なぜホテルにいるの?と言われると、気分転換でした。

当時のキンシャサは、内乱こそ収まったものの、きな臭い空気は残っていて、治安は悪く、外出がほとんどできない状態にありました。住居はそれなりに広いのですが、ドアに窓、すべてに鉄格子がついていて、家の中にいると、牢獄に閉じ込められたような気分になりました。

庭に出ると、ガードマンや庭師がうろうろしていて、落ち着く場所がありません。そして塀の上には、とがったガラスの破片や鉄条網が張り巡らせてあり、やっぱり閉じ込められているような気分になるのです。

そんな中で生活していると、安全と水はふんだんにある日本から来た身では、精神状態がおかしくなるのです。
それかといって外出もままならず、ある日曜日、つれあいがそのホテルで昼ごはんをたべ、その最上階の部屋で午後の時間をすごそうと言ってくれたのです。

ほっとしました。空が見えるのです。住んでいるところは、2階建の家ですが、周囲に高い木(ヤシやパパイヤなど)があり、それに遮られて、空が狭いのです。広い空に、見晴らしのよさ、くつろぎました。
ベランダのそばに座って、景色をみたり、読書をしたりしていました。

ところが、スコールになり、びっくりするほどの雨が降りました。バケツをひっくり返したという表現そのものです。
でもその雨があがったとき、直立の虹が出現したのです。つれあいも初めて見たといっていました。

その虹をみて、もうしばらくはこの地の生活も耐えられそうだと思いました。虹というのは、不思議な効果を与えるような気がします。今日も、虹をみながら、なにかしら希望がわいてきたのです。元気がでました。

今日の虹をどれだけの人がみたのでしょうか。見たひとの数だけ、希望がわいてきたのならいいのですが。

リスト生誕200年記念音楽会

昨日、久しぶりに音楽会に行った。夏の草津音楽祭以来である。この地に居をかまえて、本当に音楽会から遠ざかっている。一つは地の利のないこと。軽井沢の大賀ホールにせよ、小一時間の往復がかかるし、峠越えだから、夜道の運転はつらい。草津にしても40分はかかる。

昨日は前橋だった。往復で4時間はかかるので、いつもならどんなにいいプログラムでも考えないのだが、このところ、つれあいが前橋の病院に入院しているので、連日のように通っている。ついでにといったら語弊があるけれど、ちょうど、音楽会のチケットをいただけることになった。

リスト生誕200年という。去年だったか、ショパンの生誕200年を祝ったばかりだが、リストも大好きな音楽家だ。昨日のプログラムは、メインがフランツ・リスト室内管弦楽団で、前半にソプラノ歌手幸田浩子、後半にピアノの野原みどりが客演している。

オール・リストプログラムというわけではないが、リストでは「ハンガリー狂詩曲第6番」、歌曲「おお、夢に来ませ」、「平和は見いだせず」、「愛の夢第3番」、リスト編曲のワーグナー「楽劇トリスタンとイゾルデからイゾルデの愛の死」、「ラ・カンパネラ」、「マレディクシオン」、「ハンガリー狂詩曲第2番」などだ。

リストは「巡礼の年」などでもわかるように、宗教色のつよい曲が多い。そのなかで、初めて聞いたこのピアノと室内オーケストラの「マレディクシオン」(呪い)は、ちょっと異色で、リストらしいのか、らしくないのか、変わっていた。

リスト生誕200年というので、リストの曲が聴けるというだけで、プログラムは当日、その場で初めて知ったのだが、こういう発見があって、コンサートを生で聴くというのは魅力がある。

この室内交響楽団のメンバー、コンサートマスターに息を合わせる具合が絶妙だ。視線の交わし合いなど、席が前方だったので、しっかり見える。2時間ちょっとのコンサート、帰りは夜道のドライブ2時間で疲労困憊状態になったけれど、たまにこんなエクセプショナルなことがあって幸せだ。

ボージョレー・ヌーヴォー2011

11月第3木曜日、今年は17日の今日がボージョレー・ヌーヴォーの解禁日である。今年は大震災や原発事故があり、催し事が控えめだったので、あまり騒がれないかと思っていたが、どっこい、今朝からニュースなどで、大賑わいだ。

もう11月にはいると、入荷が始まったという報道があった。こんなにおおっぴらに解禁日以前に日本に届いている事実を報道するのは、今年が初めてのような気がする。
これまでは、第3木曜直前に成田なり羽田に到着し、それを成田のホテルで0時に飲むというのが、ニュースの取り扱いだったが、今年は、早々と入荷したものを、日本各地で、17日午前0時に飲んでいる様子が写されていた。

Beaujolais Nouveau est arrive!!(ボージョレー・ヌーヴォー エ タリヴェ)という掛け声で、フランスはバーやキャフェで新酒を飲む。

去年はお知り合いから頂戴したので、買う必要がなかったけれど、今年はいただく予定もない。つれあいが入院中なので、一人飲むのもつまらないと思っていたが、ご近所の友人宅で飲みましょうということになった。

朝からテレビでは、今年の価格は、ユーロ安の影響で、去年よりもっとお買い求め安いといっている。ワンコイン(500円)以下のボトルもあるという。そんな知識で、村のスーパーに出かけた。お酒の売り場に特設スタンドでもあるか、と期待していたのだが、売っていない。レジの女性がすまなさそうに、コンビニならあるんじゃないでしょうか、という。

そうか、コンビニにあるのか、とセブン・イレブンに行った。レジの近くにある。値段もみずに、数本レジに運ぶ。ワンコインということはないだろうが、1000円もしないだろうという意識だった。ところが、とんでもない数字がでてきた。「レジの打ち間違いじゃないの?」と聞くと、ボトルに貼られた値段のチケットを見せられる。おやおや、いいお値段だ。2本だけ買うことにした。

今年のお味は?と聞かれても、去年の味を覚えているわけでもなく、このごろ、久しくアルコールをたしなんでいないので、ワインもその中にはいっている。
でも飲みやすいのはいつものことだ。そして悪酔いしない。軽くて、さっぱりしているのがよい。

友人宅は徒歩5分だ。私道とはいえ、ワインをのむのに、車は使わない。さいわい、お天気も良く、星空がきれいだ。寒くなって、夜、外に出ることがなくなっていたので、久しぶりで星空を見、夜の空気を吸う。
ほんの2杯のボージョレー・ヌーヴォー、ほろ酔い気分に、冷気が心地よい。今年も味わえてよかった!!

茶のしずく石鹸余話

このごろ、茶のしずくを始め、33の石鹸が「小麦由来成分によるアレルギー」症状をひきおこすというので、問題になっている。

その代表が茶のしずくなのだが、この石鹸を製造・販売する会社は福岡に本社がある。福岡出身の私だが、友人からこの製品を紹介されるまで、全然知らなかった。お茶を主成分として、とてもビオな石鹸として紹介され、試供品(正確には製品そのものだが)として数個いただいた。

その石鹸に、「小麦成分」が含まれていたかどうか知らないが、アレルギーがあまりな私だから、泡立ちはいいし、いかにもビオという雰囲気で気に入った。娘に渡し、そしてフランス旅行のとき、おみやげとしても持参した。ビオ好きなフランス人女性にプレゼントした。

「あきらめないで」という女優の宣伝にも、この石鹸の洗顔効果を表しているようだった。気の毒にこの女優は、最近も自然食品の宣伝をしているが、なにか不信の思いがでてしまう。味噌をつけたようだ。

娘は使ってしまったようだし、何も言わなかったから、アレルギー症状は出なかったと思うが、フランスの友人がどうしたのやら、問い合わせもできず、心配している。そもそもその石鹸を使ったかどうかもわからないのだが。
フランス女性は、石鹸洗顔をあまりしないのだ。クレンジングのみの人もいる。お風呂にしても、入浴剤だったり、ムース状のものを使ったりだ。

でもどうしてこんなことになったのだろう。ビオが売り物の石鹸がアレルギーをおこすなんて。小麦成分は保湿性に優れているので、石鹸が固くなるのを防ぐらしい。
最近、いろんなビオを売りにした化粧品を試しているが、いつか、このような形で問題がでてきやしないか、心配だ。

若気のいたりか反抗か

このごろ、若いころの気持ちを振り返ることが多い。それだけ年をとった証拠だろうが。まあ、昔は本当に反抗的だった。とくに高校時代がそうだった。なんであれ、権威あるいは保守というのが大嫌いだった。とくに父親には反抗していたのだが、こわかったので、反抗自体は心中で行い、表面的には従っていた。

学校の先生、政治、なにもかもが唾棄すべき存在で、大人になったら、そういう存在を一掃しようと決心していた。理論的なものはゼロなのに、無政府主義:アナーキズムなんてことばが格好よくて、社会主義をこえて無政府主義が最高などと、無責任に口にしていたものだった。

ちょっと日和見的な部分もあるから、養ってくれている両親には、表面だって反抗はできず、もっぱら、その対象は同居して面倒をみてくれていた叔母だった。食事を作ってくれるから、後片づけなどはしなければならないとわかっていても、それを先に叔母が口にすると、「わかってる、勉強をすませてするから」などと口答えをし、挙句はしないままだったり、いい加減な反抗だった。

年配の婦人たちの、もったりした言い方も、いらいらしていた。そんな旧弊な生活をしているから、女性の地位が向上しないのだと、男尊女卑にみえる九州の生活がいやでいやでしょうがなかった。

オバマ大統領のいうチェンジ、変化を求めていたのもこのころだったが、自分で変化をつける気概はなかった。なんでもいいからイクサイティング、興奮するものがほしくて、失恋も自分を悲劇の主人公にする題材のひとつだったし、経済的に恵まれないのも、逆境から抜け出すストーリーを作って、自分を救っていた。

そんな変化を求める気持ちから、いろんなことにトライしたし、刺激をもとめて外国へも出かけた。外国は本当に面白かった。歴史や地理で学んだことが目の前にある、とか、外国人との意思の疎通ができると、なにかよほどのことを成し遂げたように感激したものだった。

いつのまにか、変化のない生活に耐えられるようになった。そして、変化のない日常をありがたいと思うようになった。政治でもそうだ。戦後続いた保守政権にうんざりし、民主党が政権交代をしたとき、その振り子の幅が許容範囲だったから、久しぶりにイクサイトした。

高校生の時代なら、TPPも絶対に加盟賛成派になっただろう。TPPに参加して、世の中が少し混乱しても、それを面白がるだろう。今や、静観するにすぎない。大きな変化があるのは困るなと思うのだ。変化に応じる能力を欠いてきたからだ。現在の生活が恵まれているのかもしれない。あるいは価値基準が変わって、小さなことに幸せをみつける能力がついたからかもしれない。

でも、このごろ、ちょっと突っ張っていた若い日々が懐かしく、あの反抗心を取り戻したくなっている。そして対象とするものは?

草津・志賀道路

今年は11月14日に草津・志賀道路が閉鎖になった。国道292の別称だが、草津から白根山の山頂のすぐ近くを通り、渋峠など2000メートル近くの高度を通る道路だ。だから冬期は閉鎖になる。

時には、閉鎖予定より前に雪や凍結で通れなくなることも多い。しかし、地元の人間にとって、この閉鎖される日はタイヤを冬用に変える一つの目安になっている。

去年は10月末に相当量の降雪があり、その日から実質的に閉鎖になったように記憶している。前橋からの帰途、雪交じりの雨が降っていた。道路の掲示で、草津雪で交通止めとなっていた。あわてて途中のタイヤ屋さんによって、冬タイヤに変えたことを思い出す。

今年はまだ雪をみないけれど、292の閉鎖を前にタイヤを変えておいた。転ぶ前の杖みたいなものだ。とたんに車の加速能力が落ちたような気がする。

イマジネーションの世界だが、もし、292を走行中、雪が降り始めたらどうなるのだろう。山の尾根を走るようなところもある。たとえ冬タイヤをはいていたとしても、にっちもさっちもいかなくなるのは必定だろう。

春先に、この道が再び走れるようになる前、除雪をすませた道路を歩かせてくれる。道路の両側は雪の壁になっている。3-4メートルの高さがあるそうだ。

朝晩の零度前後の気温の日々が続くと、あの冬の、雪道運転が思い出される。だんだんに慣れていくが、最初のこわいこと。
今年は暖冬という予報があって、安心していたのだが、先日の気象予報士の話で、ラニーニョ現象が発生したとか。そして平成17年あたりの豪雪の年に似た気象になりそうだということだ。
その年、この寒冷地に東京から移ってきて、びっくり仰天の冬をすごしたのだった。いやな予感の日々である。

入院個室の料金

明日からつれあいが入院する。先月に続いて2度目の入院だ。前回も個室にははいれなかった。今回も無理ですと言われている。

皇太子殿下の長女愛子様が、1泊18万9000円の個室に入られていたというので、批判の声があったように週刊誌のタイトルに書かれていた。高すぎるという論調のようだが、いやしくも皇孫でいらっしゃる方が、入院なさるのに、どんな病室かは知らないが、最高級の病室にはいられて、なんの不都合があろうか、と思う。

最高級のお部屋は天皇・皇后両陛下の入院にとっておいて、その次くらいにお入りになるべき、なら、そうすればよかっただろうが、1泊の料金が高すぎることはないだろうと思う。なんせ、庶民ではない。日本に存在する唯一の特権階級に属していらっしゃるのだから。

こういう病室の料金を話題にするとき、いつも思い出す逸話がある。パリ郊外のヌイイ市にアメリカン・ホスピタルという有名な私立病院がある。英語での受診、日本語も可能な、それこそTPP加入なんてことになれば、この種の病院ができて、医療格差が生まれるだろう、典型的な病院だ。
食事など、いろんなメニューが提示され、好きなものが選べるし、ワインのストックもすごいものだという話である。病院でアルコール?と思うが、病気次第では、飲むのも可能なわけだ。

幸いというのか、私は足を踏み入れたことはないのだが、同じくヌイイの、病院のすぐ近くに住む、わが代父は、会社社長当時、なにかの病気でアメリカン・ホスピタルに入院したという。もちろん個室で、大変快適だったそうだ。ある日、病院の事務長がきて、できれば病室を変わってほしい、と言われたそうだ。入院費をただにするからという。代父はなんの不都合もなかったので、快く承知し、病室を変わったそうだ。新しい病室には、大きな花束が届けられたり、いろいろ厚遇されたらしい。

そうまでして病室を変えなければならなかった理由、それは代父のもとの病室のあった階すべてを貸し切った人がいるためだった。それは、サウジアラビアの王妃だったそうだ。アラブのお金持ちの利用も多かったらしいが、彼らが入院すると、看護婦へのチップの単位が変わったそうだ。

つれあいが入院する病院には、1泊18万円もするような個室はない。つれあいにそういう病院にしたら?と聞くと、半泊もできやしない、1時間がせいぜいかな?とかわいそうな返事をしている。
全額とはいかなくても、半分くらいは入院保険で補てんできるから、個室をと思うが、そういう人が多いのか、空き室は当分ないし、入院そのものが混んでいるのだそうだ。

入院中にボージョレーヌーボーの解禁日があるけれど、かわいそうにつれあいは飲めそうにない。

冬の節電

寒冷地の冬の節電はむずかしい。この数日、暖かくて日中、暖房をとめることができるが、そろそろ、水道管の凍結防止のための電気をいれておく必要がある。

日本では一般に家屋は夏向きに作られている。寒冷地ではあるが、夏場の別荘として建てたので、開放的で、開口部分がとても多い。暖房効果があがらないわけだ。
水道の凍結防止が一番電気をくう。水道やトイレで、常に水を流しているという方法もあるが、零下10度をこえると、流しそこなった部分がてきめん凍ってしまう。

メインの暖房はファンヒーターだ。灯油を使うけれど、電気も必要だ。そのほか、暖房機としては、オイルのパネルヒーター、扇風機型のヒーター、昔風の横型のヒーター、それにアラジン型の灯油ストーブがある。火鉢もあるけれど、これは全然使っていない。それに8畳間にある1畳分の掘りごたつだ。

つれあいが年齢があがるとともに、寒さに耐えられなくなってきた。風邪をひかれてもこまるので、暖房は高めに設定することになる。健康を考えると、暖房を倹約もできない。

必要のないものについては、コンセントを抜く、照明は必要なところだけということはやっているが、これだけ、暖房や凍結防止をしていると、本当にわずかな節電でしかない。

一つ、実行可能なのは、睡眠時間を長くとるという方法だ。起床時間を遅く、そして早くに就寝すれば、暖房をつける時間が短くなる。などと、お寝坊の言い訳にしている。

重ね着をしてということもよく推薦されているが、薄着になれてしまい、厚着をすると、肩が凝り、頭痛がしてくる。小さい時は、暖房なんてなく、火鉢で暖をとるだけだったが、6枚は着こんでいた。もう、とてもそう着こんでいられない。ヒートテックとか、なんとか、宣伝されているが、化学繊維は肌が拒否する。

薪ストーブをいれることも考えてみたが、薪を準備するのも難儀な仕事だ。つれあいと知恵を出し合っているが、まだなかなか名案がでてこない。本格的な冬はまじかなのだが。

わが家の豚汁

今日、久しぶりに豚汁を作った。具は豚(細切れ)はもちろんだが、最重要の具は、サトイモである。わが家は夏の間、畑をしていて、ジャガイモを作っている。したがって、ジャガイモ消費のため、豚汁もジャガイモを使っていたのだが、これでは味が違う。

実家では必ずサトイモだった。だからどうしてもサトイモがはいっていないと、豚が入っていても豚汁とは思えない。久しぶりにサトイモを買ってきた。他の具は、冷蔵庫にはいっているものをいろいろいれる。今回は、大根、ニンジン、生シイタケ、牛蒡だ。

猫めしといって、お行儀が悪いと言われるが、とろとろにやわらかくなったサトイモをつぶし、お汁自体をどろどろにして、その中に白いご飯をいれて食べるのが大好きだ。最高のごちそうだと思う。今日はたまたま、帰宅が遅くなるので、豚汁は出かける前に、お味噌をいれるだけにしておき、メインはウナギにしたので、白いご飯ではなくなった。猫めしはあきらめたが、サトイモがやわらかく、おいしいこと、疲れがふきとんだ。

つれあいもおいしいねと言って、食べてくれたが、彼にとって、豚汁はなにが必要か、聞いたこともない。私の味を押しつけだ。
一つ、彼の家の作り方を踏襲しているのは、きんぴらだ。わが実家では、牛蒡のきんぴらは、牛蒡だけだったのだが、東京に出てきて、ニンジンを加えるやり方もあると知った。つれあいはニンジンこみのやり方が、真のきんぴらだという。

たまには妥協も必要だから、今では、きんぴらにニンジンをいれているが、実家に帰ったとき、牛蒡だけのきんぴらを食べて、やっぱりこれがきんぴらだわ、と思ったものだ。
レシピーなどと言われるこのごろのお料理だが、私は母のお料理を作れない。母はレシピーなど作っていないし、教えてもらったこともない。
それなのに、味はしっかり残っているらしい。実家に帰って、今では兄嫁が作ってくれるが、これは兄嫁の味である。
ところが、姉たちの料理を食べると、それがしっかり母の味、つまり私と同じ味(微妙には違うけれど)なのだ。

母の料理で、どうしてももう一度食べたいのは、カマス寿司である。カマスを開いて、塩をし、そのあと酢にどのくらい漬けていたのだろう。それに酢飯をつめる。千切りのショウガをカマスと寿司めしの間に散らしている。
本当においしかった。秋の運動会の定番料理だった。

姉に作ってよと頼むと、「あんたがやりなさい」とつれない返事だ。いつかやりたいけれど。。。。

一夫多妻復活?

このごろ、ギリシャだ、イタリアだと、ヨーロッパの国が話題の中心を占めているが、ついこの間、主要テーマだったチュニジア、リビアはどうなっているのだろう。

この両国は、いわゆる「専制政権」から解放されたのだが、イスラム法を今後の国家法とする、という。いわゆるシャリアを基本法にするというのだ。そしてそのなかの、一夫多妻制も適用するとか。

チュニジアには知人がいる。パリの私の代父宅で会った女性だ。彼女は税関の役人だった時、フランスの公務員研修学校に留学した。その時、紹介されて、代父の家に下宿したそうだ。それ以来、代父夫妻との付き合いが続いていたという。

私が彼女と会った時、彼女は公務員を辞め、石油会社の社長となっていた。ご主人は、大学教授、二人の息子もいて、大変恵まれた環境にあった。
パリで行われる、石油関係の国際会議に出席、そのとき、代父の家に泊まった。私も泊まっていたので、そこで初めて知ったのだが、お互い、代父から話を聞いていたので、初対面なのに、ずっと昔から知っているような感じで、すぐに親しくなった。お互い、自国へ招待したが、まだ実現はしていない。

パリで会った年の暮、彼女が女性問題や、家族・高齢者問題を担当する大臣に任命されたことを知った。さぞかし忙しかろうと、チュニジア訪問は遠慮していた。
ところが、昨年12月の政変である。その後、旧政権に属していた人々はどうなったのか、気になっている。

イスラム社会にうといので、どれだけの国が一夫多妻を認めているのか、知らないが、チュニジアは旧政権下でも、一夫一妻で、女性の社会進出も可能だった。
それが一夫多妻になるという、女性問題を担当していた彼女はどんな気持ちだろう。

一妻多夫も認めるべき、と言いたいところだが、そんなことをしたい女性はあまりいないだろう。一人で持て余しているというと、つれあいが悲しい顔をするので、口にはできないが、どちらかと言えば、そう考える女性も多いはずだ。

300ほどの議席に1万人が立候補したという、チュニジアの総選挙、結果のほどもみていない。当事者ではないから、口をはさむことはできないが、時代に逆行している一夫多妻、適用されなければいいのだが。

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