寄付という行為(3)

伊達直人さんのように、直接、養護施設に現物を届ける、これは施設のほしいものと一致したとき、中間経費が不要で、効率のいい方法である。

私が寄付をしようとしたとき、ためらう理由の一つが、中間経費でどれだけ寄付した金額の中から使われるかということが不明なところにある。

どんな慈善団体でも、それが団体として機能するとき、人間や機材を必要とするし、そのために経費がかかるというのは理解できる。しかし、そのために1万円寄付したものが、2000円くらいしか、寄付したいと思ったところに届かないのでは、あまりうれしくない。

だから、たとえば大水害などの災害で、寄付を募ったとき、つい赤十字ではなく、県や市町村の窓口へ送金してしまう。赤十字が悪いのではないが、つい広尾の大きな日赤本社をみると、経費がかかってそうだなと思ってしまうのだ。

けちくさい考えだ。これもアフリカで、あまりの中間搾取をみてきたことによるのかもしれない。
そういう意味では、曽野綾子氏がなさっている宗教者を通じて援助をするという活動は、経費もかけず(彼女のポケットマネーでなさっているということだ)、またどう使われているかという検証も、自費で現地へいらしているということだから、とても透明である。

私の寄付するお金をねん出する方法は、到来物があった時、想定金額を貯金箱にいれる。それが寄付をしようと思う時の基金となる。その時の経済状態によって、想定金額は偏見に基づき、高くなったり、安くなったりだ。あまり到来物というのはないのだが。

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