本当の親はだれ?(4)

「愛の結晶」ということばがある。子供が誕生すると、昔はこの表現を使っていた。今ではどうだろう。そう呼べない子供も多いに違いない。

「できちゃった結婚」というと、妊娠をしたのちに、籍をいれるといった結婚である。妊娠イコール性行為をもった、それは愛情の表現だと思うのは間違いなのだそうだ。性行為にはつきつめた愛情などは必要ない。それにより妊娠しての結婚だから、それは「愛の結晶」とはならないという。

代理出産ということが可能になって、だれが代理するのか、という問題が生じた。日本で代理出産をおこなっている根津医師は、親族間(現在では母と娘)でしか行わないそうだ。しかし、アメリカやインドでの代理出産となると、これは仲介業者が存在し、ビジネスとなる。縁もゆかりもない女性に頼むことになる。

やむにやまれぬ、差し迫っての気持ちではあろうが、ビジネスとなった場合、依頼者がお金を払うのは当然だ。代理母を引き受ける人は、お金だけではないにせよ、それが大きな要因であることも事実である。

ここにも現存する経済格差の問題、それよりもこの代理出産がもっと頻繁に行われ、一種の生物再生手段となったとき、精子や卵子の選択、代理母の選択、これが依頼者の恣意にゆだねられそうな気がする。

また精子や卵子を冷凍保存できるなら、これは依頼者が自分の精子なり卵子を保存しておいて、産み時を選択することすら可能なのだ。死後の出産ということもありうる。

 
これだけではないだろう問題点を、すべてクリアする法律というのは可能なのだろうか。たとえ禁止しても、抜け道が存在し、そこに命が芽生えたとき、それを殺せということはできないだろう。

私のような単純な人間には、複雑な問題が絡み合っているだけに、逃げてしまったのかもしれない。だから必死の思いで代理出産にかける人たちに、無理解であるのかもしれない。

だけど、どうしようもない重たい気持ちが、野田議員の出産にも避けがたいのだ。向井亜紀さんと高田延彦さんご夫妻のケースとはまた別だし、ホモのカップルの養子問題、性不同性障害者の問題もある。問題山積、また明日。

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