百人一首

中学生の孫が遊びに来た。お正月は例年百人一首をする。孫が4、5歳のころ、ひらがなが読めるようになったころに始めた遊びだ。

ひらがなが読めるといっても、読むのに時間がかかる。最初の文字が「は」や「ひ」となると、数が多いので、2番目のひらがなまで読ませるのに数分かかっていた。

徐々に読むスピードも速くなったが、「ころもほすてふ」や「てふてふ」が「蝶々」であることを理解できないから、そういう難しいものは、十分待ってやらねばならない。
待ってやったとは感づかせないよう、タイミングをはかって手をのばす。孫の手が一瞬早く札をとらえる。「しまった!!」「残念!!」と惜しがって、孫の先手を祝福する。

こんなことはすぐに終わった。孫はちゃんと歌を覚え、下の句も読めるようになって、札をとるスピードは我々が待つこともない。こちらは毎年、視力が衰え、瞬発力がなくなり、全力で臨んでも、10枚以上の差がでてきていた。

ハンディキャップをつけてもらわなければ、と言ったせいだろうか、今年は百人一首をすることもなく、帰っていった。

百人一首といえば、外国人と遊んだことを思い出す。日本語がわかるフランス人が新年会と称して、我が家に集まった。そこでお正月の遊びというので、百人一首を取り出したのだ。

絵札を読んで、ひらがなが書かれた札をとる、というのが珍しかったようだ。該当する札を見つけると、手でガードして、一字一字読み上げ、確認をする。そしてようやく手を触れるのだ。

1回遊ぶのに、1時間以上かかる。読み手をしていると、1首について最低4回は読まねばならない。100首よむともうのどはからからだ。
彼らの知的好奇心を刺激したのか、この遊びは大好評を博し、数年間は続いた。

転勤で日本を離れるとき、お餞別になにかほしいものがあったらときくと、「百人一首」がほしいという人もいた。箱入りのものをプレゼントしたが、彼らは異国の地でも、新年にこの遊びをしているだろうか。

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