エジプトの騒動

チュニジアのジャスミン革命に続き、エジプトで民衆が騒いでいる。ほぼ30年続いたムバラク政権への反抗だ。

10年前にいたコンゴ民主共和国は、わたしたちがいく直前に32年の独裁政治が反乱軍によって倒されたばかりだった。モブツ大統領、彼は最後は病気もあって、自国にいるより、外国(フランス)にいたし、モロッコに亡命して、病気で死んだ。

コンゴの場合は、反乱軍の指導者カビラが大統領に就任し、新体制を作ったが、チュニジアにせよ、エジプトにせよ、はっきりした野党や反対勢力というのが存在しないようだ。

空港には500人ほどの日本人が、待機を余儀なくされているという。日本人ばかりではなく、諸外国人、またエジプト人で逃げ出そうという人もいるだろうから、空港は大混乱なのではないだろうか。

日本にいると、平和ボケやら、あまりの時間に正確なことに慣れて、いついかなる時に何かが起きるということを予想しない。
前原外務大臣はエジプト大使をよんで、エジプト航空のさらなる増便を要請したという。エジプト航空!!!あてにできない航空会社の一つだった(今はしらない)。エジプトに旅行したのはずいぶん昔になってしまったから、空港の様子もわからないが、エジプト航空の略号をもじって、到着しない飛行機会社といったジョークもあったように覚えている。

開発途上国での旅行では、かならず軽食(ホテルででた朝食のパンを1,2個とかビスケットを買っておく)と水(ボトル)を準備しておくこと、クレジットカードが使えなくなるから、現金(ドル)を額を多様に持っておくこと、などが常識といわれていた。現金を持っていると、盗難が心配で、一度無事にすむと、その用心を忘れがちになっていた。

そんなことを思い出させる状態だ。内乱という状態ではないから、空港が襲われることはないだろう。それがまだ救われる、と心配しつつみている。

愛妻の日

1月31日は愛妻の日なのだそうだ。これは数字の1をアルファベットのIにみて、アイと読み、31をサイと読んで、続けるとアイサイ、すなわち愛妻となる。

こういう風にこじつけて言うのは、わが村「嬬恋村」つまり妻を恋する村だからである。なんだか、妻を愛する協会のようなものがあって、そこと共同してこの愛妻の日を決めたらしい。

吾妻郡嬬恋村、とてもロマンチックな、愛情あふれる名称だ。住まいを決めたのは、それに惚れたところもある。その昔、日本武尊がなくなった妻弟橘姫(おとたちばなひめ)を恋うて、「吾妻はや!吾妻はや!吾妻はや!」と嘆いたことによるとか、なんだかきちんとしていなくて申し訳ないが、そんなことで、吾妻郡や嬬恋村の名前が決まったという、それはそれは由緒ある名称なのだ。

この村の名前にちなんで、「キャベチュー」(キャベツ畑の中心で愛を叫ぶ)という催しもあったが、今では愛妻の丘というのが作られており、そこで愛を叫ぶという企画が年に何度か行われている。

パノラマラインという景色のいいドライブウェイの途中にある。つれあいに一度、そこで愛を叫んでみない?と誘ったことがある。つれあいの返事は「愛はない」とつれないものだった。これがフランスなら、「愛がない」と言えば即離婚ということになるのだが、こちらもさほど「愛がある」とも思えないので、これで「愛を叫ぶ」行事はパスすることになった。

こういう行事は大切だと思う。日本では結婚期間が長いと、つい言葉に表さなくても気持ちは通じていると思っているようだが、言葉に表すことも大切だ。愛と感謝、これは常々言葉にあらわす必要があると思っている。

ついでに8時9分、夫婦でハグをするといいそうだ。8がハ、9がグ、ハグで夫婦の愛を確かめましょう。

恵方巻きが近年流行しているのだから、この愛妻の日も、PR次第では全国レベルではやるかも、その次は世界レベルに広げたい。

納税の義務

春が近づくと気分がふさぐことが2つある。おわかりだろうが、スギ花粉と税金の申告だ。

若いころ、税金をとられる、と言って年長の従姉からたしなめられた。「税金はとられるのではありません、納めるものです」と言われ、そうか収奪されているわけではないな、と思ったけれど、自発的に納める気分にはなれなかった。

それでも源泉徴収をしない職場だったので、自分で申告をして、納税していた。もちろん、できるだけ控除をうけようと努力はしたが、独身、子供なし、健康(医療費控除なんてとんでもない)、基礎控除だけだった。

現在もつれあいの助言を得ながら、申告書を作る。E納税は苦手だ。税務署にいって、そこで申告済みの判をおしてもらって、安心して春の憂鬱の一つが終了する。

そういっても高額納税者ではない。収入源が年金(税金がかからない金額)、印税(年額1万に満たない)、給与(年40万円未満)と複数にわたるから、申告する必要があるだけだ。どちらかといえば、納税より、還付目的かもしれない。

フランスの知人は、納税は国民として、選挙同様に必ず遂行すべき義務であるという。知人の身うちの一人が、事業を売却して、相当な売却益を得た。彼らがとったのは、ベルギーに移住することだった。多額の税金を逃れるためらしい。スイスやリヒテンシュタイン、ベルギーなどに移住する人は多い。

知人は、フランスに納めるべき税金をほかの国に納めたと、不満そうであった。そういう行為が、フランスの税収を少なくさせ、財政のひっ迫を招くというのだ。金持ちは金持ちとしての義務(多額の納税をする)を負うべきだというのが彼の意見である。

そういった中には、フランスに富裕税というのがある。不動産をふくめ、各種のぜいたく品に課税される。これは社会党が政権をとったときに創設された。この税金は(再)就職促進最低所得保障という福祉施策の財源となっている。


消費税のほかに、このように富裕層をターゲットにした税金をつくることを考えてはどうだろう。フランスの富裕税も、大反対はあって、一時、保守が政権に復帰したとき、廃止されたものの、再び社会党政権下で復活し、もう定着しているようである。

富裕税の対象者になりそうにないので言っているのだが。

子供手当

こども手当がきわめて不評のようだ。話す人のほとんどがばらまきだという。だいたいは受給する子供をもたない人たちではあるが。

平成23年度の予算案は、3歳までを2万円、それ以上、中学生までは現行の1万3000円でということらしい。そして、親のパチンコ代になるだけだという批判や、給食代も払わない親がいる、といった問題については、それなりの施策をとるらしい。

フランスにも同じような解決策をとったケースがある。それは学校にこない児童が増えてきたことに対処している施策だ。児童が学校を欠席するのは、親の責任だとして、責任を果たさない親には、家族手当を支給しないというのだ。

しかし、児童が学校へ行かないのは、親の責任とばかりは言えないケースもあるだろうに。登校拒否のケースでは、親が学校へ行かせようとしても、行かない、行けないということもあろう。

したがって、この方法を不公平と声もある。しかし、当局は割と強硬で、親の義務不履行の場合、750ユーロの罰金も科せられる。

私はこども手当には賛成だ。おむつもミルクも最低必要なものを整えるだけのお金を保証してやりたい。でも財源をどうするか、と言われると、財政にうとい私には何もアイディアはないのだが。


国際離婚

その昔、国際結婚は一つの夢だった。白い馬に乗った背の高い、スマートな、青い目の、金髪をきらきら光らせて、求婚してくれるのを夢にみていた。当然、お金持ちで、ハリウッドのスターみたいな生活を保証してくれる、それが国際結婚だった。

大人になって、外国の機関で働いた。まわりには外国人男性がたくさんいた。エリートもいた。しかし、白馬の王子様とはちょと違う、と思うだけ年の功をつんでいた。

少なくとも日本人男性より魅力はあった。レディーファーストは徹底しているし、洋食を食べるとき、ナイフとフォークの使い方も堂にいっている(当然)。スープを飲むときに音もたてない。

これだけでも、私が思う男性の魅力は、日本男児よりずっと大きい。しかし、なんだか違う。
何が違うのか、それはコミュニケーションが思うようにとれないことだった。ふつうの話は外国語でしても、どうにか通じるが、ことジョークを言いたいとき、あるいは故事来歴を引用したいとき、外国語ではできない。

いつも言いたいことの半分で終わってしまうので、欲求不満に陥った。これが結婚すると、毎日のこと、と思うと、とても結婚なんて考えられない。

結婚すれば、そのうちのいくらかは離婚に終わることもある。日本人同士の離婚でも、すんなりいくことは少ない。そこに子供がいれば、子供をどちらが引き取るか、面会はどうするか、問題山積だ。


日本では結婚中は両親で子供の養育を担当するが、離婚すると、どちらかの親が親権をもつことになる。ところが、外国では共同親権といって、双方の親がもつことが多い。日本人の特質なのだろうか、これまでは夫婦だったのに、離婚したとたん、憎しみが勝って、子供に会わせないという行動をとることがある。

離婚の原因がDVだったりすると、その行動も理解できないわけではないが、一般的に通用する論理ではない。国際結婚で生まれた子供の権利(つまりは親にとっては義務)を定めた「ハーグ条約」、日本はまだ加盟していない。国際的な「子の連れ去り」といった事件も発生している。

国際結婚をする人は、すべてにグローバルに考えるようにしておかなければならない。やっぱり私はできなかった。今や、グローバルどころか、きわめてローカルな生活だから。

名前についての考察

夫婦別姓についての議論がかまびすしい(でもないか)。おおむね結婚時に姓を変えることになる女性が、生まれた時からの姓を維持したいという要求をしている。

私もその意見に与している。若い時は親と離れたくて、結婚をして、旧姓を捨てることを望んでいたのだが、今では旧姓がなつかしく、結婚時に別姓を主張したりした。事実婚しか方法がなく、それも不都合が多かったので、そこは主張を取り下げたのだ。

名前は一生原則として変わらない。改名も可能ではあるが。それにしても、このごろの新生児につけられた名前の読みがわからないこと、はなはだしい。

結空(ゆら)、彩羽(いろは)、花音(かのん)、絆暖(はのん)、心道(こどう)、咲良(さくら)、凛音(りお)、寧乙(ねおと)、町の広報からピックアップしただけでも読めない名前がたくさんある。というより、ほとんどが読めない。

親は振り仮名をつけなければ読めないような名前をつけて、子供が将来、困ることが多いのに思いをいたさないのだろうか。字画や字の印象で決めているようだが、日本で漢字と読み方の両方を必要とするときに、不便さも個性と考えているのだろうか。

受け付ける戸籍係りもきっと困惑していることだろう。将来年金の書類で困らなければいいけれど。

以前、悪魔という名前をつけようとして、受理を断られたケースがあった。フランスでも子供の利益に反すると戸籍係りが判断する名前は断わられる。物品の名称や野菜の名前はだめだという。また性器にかかわる名称も受け付けてもらえない。

アフリカにいるとき、そこでは尊敬する人の名前をもらってつけることが多いという。隣にあったスペイン大使の公邸で働く女中さんは、生まれた女の子に、大使夫人の呼び名「マダム・カトリーヌ」とつけたそうだ。ただの「カトリーヌ」ではなく「マダム・カトリーヌ」としたのが、我々には理解しがたい。

我が家の庭師は、息子に夫の名前、それも名ではなく、姓をつけたいと言ってきた。夫はお祝いはするが、それだけは勘弁してほしいと、辞退していたが、庭師は納得のいかない表情だった。夫はいつの日か、アフリカに隠し子がいるといううわさでもたったら大変だと思ったらしい。
もう半世紀以上持ち続けた名前、満足しているわけではないが、この名前で死んでいくことになるのだなー。

父親の年齢

野田聖子議員は50歳で出産をした。代理出産では60歳代の母親が娘のかわりに出産をしているケースもある。でも普通、40代の女性が出産すると、超高齢出産といわれる。

男性は何歳くらいまで父親となれるのだろうか。先日亡くなられて歌舞伎俳優は、70歳代でお子さんを設けられたそうだ。同じようなケースではフランスのシャンソン歌手イヴ・モンタンもあげられる。

フランスの調査では2005年では父親となる平均年齢は33歳だったそうだ。それが平均年齢が伸びたり、複合家族の増加、再婚での出産などの理由が重なり、平均年齢が40歳を超えたという。

最近ではミシェル・ポルナレフ(知っている人はシャンソン通)が66歳で初めての子を2010年に得たというし、エルトン・ジョン(63歳)はやはり2010年クリスマスに、代理母により誕生した子を、同性のパートナーとともに養子縁組をしている。

私には実子がいないが、数年前、フランスの友人の子供の代母となった。その折、私自身の代父から言われたのは、代母となれば、実の両親にいざという場合、代理になる覚悟が必要だ。そして宗教的な秘跡(初聖体拝受、堅信、結婚など)に立ち会う義務がある。たとえば結婚などは20年以上あとのことになるだろうが、そのとき、フランスまできて結婚式へ出席できるのか、そんなことも考えて引き受けなさい、ということだった。

子供の成長に責任を負うことを考えると、あまりに年を加えたあとで、親になるというのも考えものだ。

しかし、精子だけを考えると、冷凍しておいて、受精卵の形で利用すれば、親の年齢は関係なくなってきそうだ。

なんだかついていけない世の中になってきたものだ。

la misere(ラ・ミゼール:貧困)

昨日(1月23日)、NHKテレビで、ハイチで働く日本人のシスターであり医者である女性を扱った番組をみた。昨年1月17日に大地震がおそい、甚大な被害をうけたハイチの1年後と、この地で20年以上働いているシスターの活動を扱っていた。

1年たったのに、まだテント暮しの人、病院は崩壊したまま、ライフラインも回復していないハイチ、悲惨そのものである。

しかし、崩壊した病院のそばに、テントの病棟が作られている様子をみて、私はもっと悲惨なところを知っていると思ってしまった。

貧困の度合いを競うわけではないが、私が10年前にいたアフリカの某国はもっとひどかった。病院なのにベッドはない。もしあっても壊れた枠だけで、マットレスもない状態だった。
マザー・テレサといった宗教団体が運営する病院は、援助を受けることも多いのか、どうにかベッドに病人が寝ていた。でもシーツが敷かれたベッドは珍しかった。

マザーテレサの病院は、エイズ患者のためであり、また別の病院にはハンセン病の患者のためであった。半ば見捨てられたような有様で、直視できなかった。

貧困、悲惨な状態にある人々にあって、なにもできないのではない、なにかできるのになにもしない、あるいは少しは援助しても、それは気休めと知っている程度のこと、とわかっていると、罪の意識にとらわれる。

日本に帰ることが決まったとき、本当にほっとした。ほっとすることにも罪の意識だったけれど、毎日、とことんの貧困をみるよりは気が楽になると思ったのだ。

美容院にいく回数を1回減らす、おやつのチョコレートを買わない、喫茶店によらないで、自動販売機のコーヒーを立ち飲みする、いろんな倹約の方法はあるけれど、こんなことではどうしようもない貧困、昨夜はあのアフリカの病院の様子が夢にでてきた。

少子化対策(2)

出生率が2,01というフランスでも、子供を産む年齢が30歳をこえたということである。これは女性の学業に携わる期間が延長していること、女性の就労者が増えたこと、そして子供を産む時期について、資格を有し、安定した職業につき、住宅や配偶者という条件をきちんとしたものにしたあとで、というので、30歳をこえての出産になるという。

日本でも同じことが言われている。しかし、その出生率の差はどうしたものだろう。理由に婚外子の存在もあげられる。mere celibataire(未婚の母、フランス語のアクセントが抜けているのは申し訳ない)という語が1980年代のフランスでは異端な存在としての扱いででてきた。それが現在では特別の扱いではない。

結婚をする人が減少している。2010年、フランスでは24万9000組の結婚があった。そして、そのほかに19万5000組がPACSの契約で結ばれている。このPACS(パックス)というのは、連帯の民事契約というもので、正式な結婚ではないが、結婚に準じた形式の契約である。これはそもそもホモのカップルのために考えられたが、その範囲はホモに限らず、異性のカップル、あるいは親族の中でも結ぶことができる。2010年に結ばれた19万5000件のパックスのうち、95%は異性間であるという。

カップルとして存在していても、それが結婚という形式をとっていない場合、生まれた子供は婚外子である。フランスではこの婚外子が非常に多いという。

日本では未婚の母というのは、まだ色眼鏡でみられそうだ。同棲というスタイルすら、まだおおっぴらにできない。こういった社会的な拘束を解き放ち、産婦人科医の問題、保育所の問題、などを解決すれば、フランスのように、出生率はあがることだろう。

しかし、生まれてくる子供、増えたからと言って幸福な人生が待っているのだろうか。やっぱりちゃんとした父と母の間に生まれ、愛情をもって育てられるという条件下でなければ、数字だけあがればいいというものでもないだろうに、と思うのは庶民すぎる考えだろうか。


ジャスミン革命

アフリカ地中海岸の国、チュニジアで革命が発生した。これを革命と呼んでいいのかどうか、政治学や歴史学などでは問題にしそうだが、ジャスミン革命と命名されたという。

チュニジアには1980年代に一度観光旅行をしたことがある。美しい国だ。観光が産業の一つとして、重要視されていたからか、遺跡や砂漠、海岸、どこもきれいに整備されていた。そしてどのホテルでも、薄いブルーのジャスミンが咲いていた。

ほの甘いにおいがとても心地よく、青い空、乾燥した空気、人のあまりいない遺跡や海岸、魅せられた。もう一度訪問したいと思いつつ、再訪していない。

去年のちょうど今頃、チュニジアの知人ベビア・チヒ(Bebia Chihi)が大臣に任命されたという知らせをもらった。ベビアとはフランスに共通の知人がいて、その家で常々話題にあがっており、彼女も私のうわさをきかされて、お互い、とても知っているような、それでいてまだ会ったことのない関係だった。

ところが、2009年に、その家で遭遇したのである。当時彼女は石油会社の社長で、会議のためパリに来たのだが、ホテルではなく、知人宅に泊まりたいと連絡してきた。そこで私と会ったのだ。

フランスの知人との接点は、彼女が関税局で働いているとき、フランスの関税学校へ留学し、知人宅に下宿したことである。それからずっと交際が続いていた。

2010年1月、どういう経緯かは知らないが、突然大臣に任命されたという知らせがあった。「女性問題・家族・児童・高齢者担当大臣」だという。石油会社の社長になったのも、関税局の役人だった人の経歴としてはよくわからないのだが、民間人が登用されるにも事情がわからない。

チュニジアを旅行したとき、観光スポットの一つに当時のブルギバ大統領のお墓があった。金ぴかの大きなモニュメントで、ガイドは、「大統領が死んだ時、葬られる場所です」と説明するが、なんと無駄なお金を使っていることよ、というのが私の感想だった。

ブルギバ大統領はフランスから独立するのに功績のあった政治家で、独裁者でもあった。だからそんな豪華なお墓にお金を使うことができるのだと思った。そのブルギバが亡くなり、後継者はきっと西欧的な民主的に選ばれた大統領であろうと思っていた。

女性の地位もそう低くなく、モロッコやリビア、アルジェリアというマグレブの隣国に比べて解放された印象があったからだ。
ところが、今度のジャスミン革命で、ベンアリ大統領の専制ぶりが明らかになった。その政権の一部を担っていたベビア、どうしているのだろう。政治家ではなかったし、汚職に染まる人柄でもなかったから、生命に危険があるとは思えないが、ただただ無事を祈るばかりである。

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