寄付という行為(2)

今日の昼間のテレビで、児童養護施設への寄付について解説していた。施設として、寄付をしてもらう前に電話などで、何を必要としているかを聞いてほしい、ということだった。

施設では、必要最低限のものは国家や地方公共団体からのお金4万7000円いくらの支給で賄っているということだ。それでは足りない分を寄付でという。ふつうの家庭で経験することを味あわせてやりたい、そのためにこんなものがほしいという要望があった。

そのなかにディズニーランドにつれていってやりたい、という希望があり、これは娯楽にあたるので、公的なお金では賄いきれないという。これを聞いて、番組のコメンテーターたちは、口ぐちに、情操教育の一端だから、それくらい認めてやりたいですね、などと、言っていた。

ちょっと待ってほしい。私は高額な税金を払っているわけではないが、まじめな納税者という自信はある。小額納税者のくせにと言われれば、引き下がらざるを得ないが、収めた税金の中から、ディズニーランドへ遊びにいく費用を払われたのでは納得できない。

ディズニーランドにかかる費用がいくらか、ご存じだろうか。私はこの10年、足を運んでいないので、現在のパスポート(1日あそべる)がいくらするか知らないが、相当の金額であることは承知している。

ふつうの家庭のなかで、ディズニーランドに行って遊べる家庭というのはそう多くないと思う。
だからそういう情操や娯楽をそんなものに使ってくださいと言って寄付してくださる人がいればいいのだけれど。

でも寄付する人たちは、もしかしたら、食べるものや着るものを倹約したうえでのことかもしれない。

このごろの報道をみて、日本の福祉施設はやっぱり恵まれている、と思ってしまったのは、アフリカ経験者の嫌味だろうか。

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