年賀状

昨年末、喪中欠礼のお葉書を数枚いただいた。その中に、30年以上前、勤めていた会社の元上司のものがあった。どなたが亡くなられたという記載はない。しかし喪中なので、年賀を遠慮し、かつさ来年以降も年賀状は失礼すると書いてある。

年に1回、年賀状のやりとりだけになってしまっていたが、ときどきなつかしく思い出す上司で、年賀状のたびに、ああもっと手紙を書こう、会えるといいな、と思っていた。住んでいる場所が違うので、それも難しいことはわかっていたし、それだけに年賀状で、せめて生存を確認していたので、これで断交かと、さびしい思いをした。

日頃ご無沙汰をしていても、年に一度、近況を知らせあう、という意味で、年賀状を重宝に思っていた。だから地方に引退したようになっても、なるべく年賀状は書くようにしていた。当初は全部筆で書いていた。

しかしパソコンを使うようになって、裏面は大部分を印刷するようにした。堕落の第一歩である。ちょっぴり近況を書き加えられるスペースは残している。宛名は手書き、というのが私のやり方だ。

罪悪感はある。こんなので、賀状と言えるのか、と自省している。ところが、いただく年賀状の愛想のないこと、宛名も印刷、裏も印刷、手書き部分はゼロというのがほとんどだ。宛名が印刷というのは、郵便局の仕分けには便利と思うが。

決心した。今年、印刷だけの方には来年は欠礼としよう。この失礼をお許しあれ。

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