国際離婚

その昔、国際結婚は一つの夢だった。白い馬に乗った背の高い、スマートな、青い目の、金髪をきらきら光らせて、求婚してくれるのを夢にみていた。当然、お金持ちで、ハリウッドのスターみたいな生活を保証してくれる、それが国際結婚だった。

大人になって、外国の機関で働いた。まわりには外国人男性がたくさんいた。エリートもいた。しかし、白馬の王子様とはちょと違う、と思うだけ年の功をつんでいた。

少なくとも日本人男性より魅力はあった。レディーファーストは徹底しているし、洋食を食べるとき、ナイフとフォークの使い方も堂にいっている(当然)。スープを飲むときに音もたてない。

これだけでも、私が思う男性の魅力は、日本男児よりずっと大きい。しかし、なんだか違う。
何が違うのか、それはコミュニケーションが思うようにとれないことだった。ふつうの話は外国語でしても、どうにか通じるが、ことジョークを言いたいとき、あるいは故事来歴を引用したいとき、外国語ではできない。

いつも言いたいことの半分で終わってしまうので、欲求不満に陥った。これが結婚すると、毎日のこと、と思うと、とても結婚なんて考えられない。

結婚すれば、そのうちのいくらかは離婚に終わることもある。日本人同士の離婚でも、すんなりいくことは少ない。そこに子供がいれば、子供をどちらが引き取るか、面会はどうするか、問題山積だ。


日本では結婚中は両親で子供の養育を担当するが、離婚すると、どちらかの親が親権をもつことになる。ところが、外国では共同親権といって、双方の親がもつことが多い。日本人の特質なのだろうか、これまでは夫婦だったのに、離婚したとたん、憎しみが勝って、子供に会わせないという行動をとることがある。

離婚の原因がDVだったりすると、その行動も理解できないわけではないが、一般的に通用する論理ではない。国際結婚で生まれた子供の権利(つまりは親にとっては義務)を定めた「ハーグ条約」、日本はまだ加盟していない。国際的な「子の連れ去り」といった事件も発生している。

国際結婚をする人は、すべてにグローバルに考えるようにしておかなければならない。やっぱり私はできなかった。今や、グローバルどころか、きわめてローカルな生活だから。

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