キリストご復活への疑問

今年は4月1日が枝の主日、1週間後の4月8日がご復活祭になる。今は聖週間と呼ばれるキリスト教では大切な時期である。
カトリックの洗礼を受けて15年、教義をきちんと勉強してこなかったせいなのか、この期間になると、なんだか落ち着かない。

12月25日のクリスマス(キリスト生誕祭)は素直にお祝いできるのだが、クリスチャンにとって、クリスマスより大切だと言われるご復活祭は、どうも苦手である。
一つには移動祝日で、毎年、日が変わることもある。生誕の日は変わらないのに、死亡の日は変わるのが納得できない。

生誕2000年を超えて、なくなられてからもそれに近い年数、何があったのやら、このご復活の奇跡が信じられないでいる。
そして、キリストが復活されて、全ての悪を取り除き、私たちに幸せや善なるものを残されたというが、この世の中、悲惨なままである。

信者の中で、「キリストのご復活おめでとう」とお祝いを言いあうが、何も変わらないのに、何が「おめでたい」のか疑問で仕方ない。
こんな疑問を先輩信者にぶっつけると、この異端者はなんてことを言いだすのでしょう、といった表情をみせられるし、神父様やシスターたちは、教条的な説明をなさる。破門されても困るので、納得したような顔をするが、納得しきれるわけではない。

「キリストの愛」を信じているので、それだけでいいのかと信者で居続けているのだが、こんな疑問を持っている私を、どうかイエス様、不届きものとはおっしゃらないでください。

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