法治国家ニッポン

今日は亀岡事故の犠牲者の葬儀が行われたようだ。犠牲者(被害者)の連絡先を、警察や学校の教頭が、加害者の親に教えたという、あらたな問題が生じている。

18歳の未成年だからか、その後、その当人の話しがあまり出てこない。事故をおこしたあと、報道によると、倒れたひとを助けるでもなく、携帯電話をいじくっていたという。
その場に、救急車や警察以外の人がどのくらい集まったか、それは知らないが、当人がけろりとその場にいたということに、日本は平和だな、という感を否めない。

というのは、アフリカにいたとき、きつく言われたことがある。自分で運転をしていて、事故をおこし、それが人身事故であったら、その人を助けようなどと思わず、できるだけ早く現場を離れなさい。そして、後始末は、大使館なり、現地の知人なりに任せなさいというのだ。
その場を離れないと、集まった人々の怒りから、リンチにあう可能性があるというのだ。

それが真実なのか、または虚偽なのか、知らないし、運転技術もあやしく、また街の通りの名前もでていないところで運転はできないと、運転手を雇っていたので、そういった場面には遭遇しなかった。
しかし、リンチにあうというのは、おおいにありうると信じている。一度、ホテルの窓から通りをのぞいていたら、一人の男性が、頭をかかえていた。泥棒をしたというので、周囲の人々が打ちすえているのだとか。その結果がどうなったのかは知らないが、あの場面を思えば、交通事故により死傷者がでれば、そこには、同等の結果をもたらすリンチはありうる。

その18歳の少年に対し、殺人罪を適用せよと、言っている。その少年は、きっと、とんでもないと思っていることだろう。しかし、あんなに悲惨な事故をおこして、無事でいられるのは、ここが法治国家であり、国民がそれを守っているからだということに気づかなければならないのだ。

2011年3月11日に、大災害があって、東京などでは、帰宅困難者もでたのに、焼き討ちや打ちこわしといったことがないことに、外国は驚嘆したという。我々にしてみれば、当たり前のことなのだが、世界レベルからみれば、それは当たり前ではない。
日本の常識がかならず通用するものではない。しかし、夜でも外出できるこの平安さ、ありがたいものである。

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