基礎の仕事の大切さ

先週、お天気の日に、初めての畑仕事をした。苦土石灰を撒く仕事である。土をアルカリ性にする効果があるらしい。粒状の石灰を、畑全体に撒いていく。

そして今日は、肥料をまきこんだ。畑の地主さんが、牧場から生々しい肥料を運んでおいてくれた。それを畑全体にまきちらし、すきこんでいく。全て、手作業だ。機械を使うほどの広さではない(30坪くらいか?)。つれあいが一輪車に肥料をいれ、ところどころに小さい山をつくっていく。それを私がすきこむのだ。

たった30坪ではあるけれど、体力を使う。さらさらした堆肥ではないので、鋤にくっついて重くなる。
農作業の最初は、いつも面白くない。汚れ仕事で、体力を使い、腰にくる。「私はこんなことをするためにあなたと結婚したわけではない。令夫人にしてくれるんじゃなかったの」とぶつくさ、つれあいに文句をつける。
「令夫人が農作業をしていけない、という決まりはないだろう。そもそも、畑をしようと誘いこんだのは君じゃないか」とつれあいが反論する。

そういえばそうだ。ずっと以前に2年ほど、一人で野菜作りをしたことがある。その時の楽しさを忘れられず、この地に住もうと決めた時、畑の手当をしたのだ。一人でしたというのは大ウソで、土地を紹介してくれた人が、全ての準備作業をしてくれたのだ。その時、楽ちんだったのが、つれあいに野菜作りをもちかけた。

毎年、それなりに成果はあがり、食べきれない野菜は、安全野菜を求める友人たちに配っている。その喜び、楽しさが励みになるのだが、例年、この最初の基礎作業がつまらない。古代ギリシャでは、「労働」は「苦痛」なもので、奴隷がやる仕事だったらしい。我々も奴隷並みだ、と一鍬ごとに文句を言っている。

しかし、この土づくりが本当に大切なのだ。これをきちんとせずして、いい野菜はできない。人生すべからくそうだなと思う時だ。なにもかも、つまらないかもしれないが、派手さはないかもしれないが、基本となることを、きちんと積み重ねることで、その後に成果を得ることができるのだ。

今年は、どの野菜をどの場所に植えるか、といった先の楽しみの話題をつれあいがもちだす。ジャガイモ、トウモロコシ、キュウリ、モロッコインゲン、インゲン、大根、カブ、カボチャ、枝豆、黄色のズッキーニ、これらは定番だ。それプラス、ラディッシュ、ルッコラなども加わる。

早い野菜(ラディッシュ、ルッコラ)にしても今種をまいて、1カ月はかかる。また早すぎると、霜にやられる。人生そのものだ、とまた実感した次第である。それにしても疲れた!!

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