ギリシャの自殺

ギリシャの年金生活者が、年金減額で生活することができなくなったと、自殺したことが大きく報道されている。
何という悲劇だろう。年金減額で、生活そのものもだが、持病の治療薬も買えなくなった、ゴミ箱をあさるようなことになる前に、と誇りある方のようだ。この自殺で、政府の緊縮財政に対する国民の不満が再出現しているという。

どう考えたらいいのだろう。日本で見られた飢餓による死、孤独死、そうなる前に、というこの方の状況は、どうしようもなかったのだろうか。
年金生活者として、若い人たちは、もらえていいわね、と言われるが、額面通りにもらえているわけではない。介護保険は4月から30%アップ、国民健康保険も免除されないし、税金も納めている。
もし、ギリシャ的な緊縮財政を実行することになり、一律2割とか3割カットとなると、生活できるかどうか、私たちも疑問である。

この自殺という行動は、ギリシャ政府の施策への批判あるいは非難なのだろうか。政府に他の方法はあったのだろうか。国家自体が破産しそうなとき、国民はどこまでその共同責任を負うべきなのだろうか。
外から見た場合、この自殺という行為は、過剰な反応のようにも思える。この行為によって、せっかく平穏になっていた国民の意識が、再び反抗へとむかいそうだ。

だからといって、政府に対して、従順にせよ、というつもりもないのだが、国民も大所高所にたつ必要があるのではという思いもある。

ユーロ危機は、ギリシャからスペインに移りつつあると言われているが、スペインではEUで失業率がもっとも高いという。それもこれも、緊縮財政がゆえという。
放漫経営のつけなのに、緊縮にしてもだめだというし、どうすればいいのだろう。迷路にはいりこんでしまった。

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