危機管理

クルージングの客船座礁のことで、まだいろいろ考えている。4000人が避難する方法だ。ゴムボートなどが装備されているのがみえたけれど、1隻に何人が乗れたのだろう。その順序をどういうふうに決めたのだろう。
普通、こういう場合、女子どもを先にというけれど、みていると、子どもは少なく、老人が多かったようだ。
夫婦を別々に扱うのか、一緒にするのか。はたまた、1等船室の客から始めるのか、など、想像している。

タイタニックの映画では、はっきりした等級の差別があった。それにタイタニックの場合は、ゴムボートに乗れた人たちだけが救われて、岸への往復というのはあり得なかったから、乗れるか乗れないかが生死をわけるのと同じだった。今回は岸からも近かったけれど、往復したのだろうか。

フランスの元船長は、こういう大型客船の場合、避難は難しいという。まず船客を集め、指示を下すまでの余裕があるのかないのか、その判断も大変だ。大洋の真ん中などとなると、条件はもっと悪くなる。
ヘリコプターによる救援が有効だというが、200機は必要といい、そんなにそろえられる国はないだろうということだった。

結局、私の場合、本当の危機に遭遇しなかったけれど、つれあいとよく想定問答をした。コンゴの首都キンシャサが内戦であやうくなってきたころのことだ。わたしたちの住まいはそう大きくなくて、ヘリコプターの発着はできないけれど、たとえば、それが可能な場所まで逃げていく。そこで女子供が先の場合は私が乗機するけれど、体重の軽い人を指定されたら、さあどうっちになるか、といって冗談で言いあっていた。

ベトナムの内戦の最後でも壮絶な脱出作戦が行われた様子を、ニュース番組の回顧などで見るけれど、キンシャサでもそれが起こりかねない情勢だった。私は反乱軍が侵攻する前、まだ定期便が飛んでいる間にヨーロッパへ避難したけれど、つれあいは、結局、1週間後、隣国へフェリーで逃げることになった。残留邦人全員で、フェリーニ乗れるのかどうか、もし全員乗れなかったらどうしたのだろう。

危機管理は難しい。言うのはやさしく、実際に遭遇したら、そう簡単ではない。私はそういう場合にリーダーにはなれず、指示に従う方だけれど、このごろ、昔の反抗心を抑えることはできるようになった。指示に納得できなくても、必要な場合は、それに従うということだ、と言うと、日常からそのつもりで、とつれあいは言う。

そうは言いつつ、日本の現在は、危機的状態にあるが、はて、リーダーは誰で、どう指示を出しているやら、ちっともはっきりしない。こういう場合は、誰の指示に従うべきなのだろうか。

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