新春早々

新春早々、パソコンの調子が悪くなった。機械類に弱いので、「余分なことはしない」が主義なのだが、つれあいがいじくってしまった。つれあいは、自分は悪くないというが、彼がいじったあとで、おかしくなったのだ。

ブログが開かない、書けない、あせったものの、もしかしたら、もう止め時なのかと諦観の境地にもなったのだが、ブログを始めるきっかけを作ってくれた友人が励ましてくれる。もう一度だけという気持ちでトライしたら、どうにか開くことができた。

新年があけて1週間、もう波乱はいろいろ起きている。ユーロは98円台まで下がった。フランスの友人たちからは、悲鳴が聞こえてくる。こちらも悲鳴をあげたいくらいだ。120円台のときに買った1000ユーロをどうしてくれる、日本で換えれば2万円は損することになるから、これは必ずユーロ圏に行って使わねば、と今年の旅行を決心している。

イランの問題も、北朝鮮以上に気にかかる。アメリカがイランの石油の購入を禁止したり、その対抗措置として、イランがミサイル発射実験をしたり、EUが禁輸政策をとれば、イランはホルムズ海峡封鎖を口にする。
日本に石油が入らなくなったらどうしよう、原発が稼働しない今、石油は重要なエネルギー源なのに、と心配でならない。きっとこれが暑い時期であれば、発電量が下がっても、冷房を使わないというのだろうが、寒冷地では、暖房を使わない、使えないとなったら、もう生きていけない。

今日は七草、お正月の間、ごちそうを食べて疲れた胃をやすませるため、おかゆを食べるとか。別にごちそうを食べなかったから、おかゆはしない、とつれあいに言うと、それでいいよ、としきたりにこだわらない。

それにしても、今年も年賀状にいろいろ言いたい。いただけるだけで、十分満足すべきで、文句をつけてはいけないのだろうが、言いたい。
まず、家族の名前を列記してあるのは、家族構成もわかり、大変好ましいと思っているのだが、それにペットの名前まで加えているのが、腹が立つ。ましてや、ペットの写真入りもある。ペットの名前も写真も必要ない!!

震災でも明らかになったが、今やペットは家族同様なのだそうだ。愛情もひとしお、家族の一員として、はずすわけにはいかないのだろう。しかし、受け取る方がどう思うかを考えないのだろうか。

表も裏もパソコン表記、手紙の部分が全くない、これも個人の思いが伝わってこない。かと言って、「今年もよろしく」の一言だけも気に食わない。

そんなに文句をつけるなら、よほど心をこめた年賀状を書いたかといえば、そうも言えないのが、忸怩たるところだ。宛名は手書き、こちらの住所は印刷、それに花の写真を印刷し、あとは手書きではあるが、決まり文句を書いている。

こんなに儀礼化した年賀状なら止めればいいのに、とも思いつつ、年に1回、普段交際のない、それでいながら、昔からの知人・友人との交流ができるチャンスでもある。

そういえば、今年はもっと手紙を書こうとも思っているのだ。ただ、字の形がまとまらなくなってきている。加齢化現象だとすれば、今年はもっと加速することになる。

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