香炉峰の雪はいかに

昨日に引き続き、今日も雪が降っていた。折角雪かきしたところにも、しっかり雪が積もっている。さらさら、なんて擬音もいらないような、無音で雪が降る。
粉雪というのか、でも粉でもない、雨のように細長い感じの雪が降っている。

ひととおりの朝の行事を終えたあと、和室のこたつにもぐりこむ。雨戸をあけて、ガラス戸と障子があるだけだ。東側の窓だけ、障子をあける。つれあいが寒いから閉めてよという。雪景色がきれいだから、と説得しながら、白居易の「香炉峰の雪は簾をかかげてみる」を思い出す。

当時はガラス戸などなかったろうから、簾をあげたら、そこはもう外気だったのだろう。どんなに寒かったことか。清少納言の時代にしても同じようなものだ。
中学生のころか、旧家の親戚を訪ねた時のことだ。冬場だった。座敷に通されて、火鉢で暖をとっていたが、雪が降ってきたみたい、と障子全体をあけることなく、中間にあるガラスの部分の小さな障子を開けてくれた。雪見障子というのだろうか、わが家にはなかったので、なんとしゃれた障子なのだろう、どうしてわが家にはないのだろうと思ったものだ。

ずんずんと雪が積もっていく。庭の木々は、おもいっきり雪をかかえて、枝はたわみきっている。水墨画のような景色になっている。静寂の中、野鳥たちだけが、餌を求めて、ベランダに飛んでくる。

みているだけなら、雪景色は素晴らしい。しかし、不都合も多い。雪がふるというのは、そう気温が低いわけではないのだが、雪だけですごく寒く思える。
まだ導入していないが、薪ストーブで火をたきながら、ロッキングチェアで雪景色をみている、音楽はチャイコフスキー、なんていうのは最高なのだが。

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