孤独の国フランス?

以前、フランスは個人主義が発達していて、個人、個人の生活を重視し、家族の紐帯が疎であるというような話を聞いていた。そして、それに比べて、日本は家族主義がまだしっかり残っており、老人の孤独など、あり得ないといった説だった。

2006年には灼熱の夏がフランスを襲い、バカンスで出かけた若者たちと違い、パリなどに残った独り暮らしの老人が孤独死したというので、社会問題になったこともある。さらには、孤独死した老人の家族がわからないケースもあったが、家族と連絡をとると、ヴァカンス中なので、葬儀は役所が代行しておいて、という返事があったとか、世も末というような議論がされていた。

日本でも、行方不明の親の年金をそのまま受領していたり、死亡を届けず、120歳になるような年齢まで受領していたり、と、どういう神経をしているのか、わからないような親子関係もあった。

クリスマスからお正月にかけて、里帰りや帰省といった行事をみていると、フランスより日本の方が親子関係が希薄ではないかと思ったりする。
フランスでは、だいたいの家族は、クリスマスと復活祭の行事を一緒にすごす。いつもは離れている家族が実家なりに合流するのだ。親が年をとれば、子どもの家が会場になることはあっても、親を中心に据えていることにはかわりがない。

私が知っているフランスの家族は、保守的で、敬虔なカトリック信者、わりと豊かな中産階級以上のクラスときているからかもしれないが、よく家族の集まりがある。クリスマス、復活祭などとは別に、親の誕生日、結婚記念日(何周年)、そのほかの宗教的行事(洗礼式、初聖体拝受など)にも大人数の集まりがある。
親とは別に、洗礼の時の、代父、代母とのコンタクトも密である。

私が家族の一員として扱われている家庭の縁で、結婚式などにもよく招かれる。遠くに住んでいるのだから、無理なのに、とこちらは思うのだが、その縁を大切にしてくれているのだ。

1月29日の午後、私の代父の家では、甥や姪たち30人以上を招いて、エピファニーの集まりをしたという。エピファニー(御公現の祝日)は本来1月6日だが、それを遅らせてのお祭りだ。ガレットというお菓子とシャンペンでお祝いをするという。もちろん、それ以外の御馳走も出るだろうが、基本的には軽食が出るだけである。
うらやましく思う。兄弟姉妹の付き合いもおろそかになり、甥や姪など、名前を覚えてもいない。一声かけて、それだけの人数が集まるとは、たいしたものである。

絆という言葉が去年から口にのぼるけれど、はたして、どれだけの絆が結ばれたのやら。わが家は懸命に結びなおしているところだが。

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