奨学金

先日、テレビの報道番組で、奨学金返済を延滞したり、返済をほとんどしていない人やその連帯保証人に、返済を促す役目の人たちを扱っていた。

私も大学時代、奨学金を受けていた。高校3年の時に試験を受け、給付を確保して、大学受験に臨むもので、特別奨学金と呼ばれていた。この特別奨学金の試験に合格しないと、大学に入学後、申込をするのだが、それは一般奨学金と呼ばれ、金額も特別奨学金より少なかった。

親からの学資が十分得られるとは思っていなかったので、特別奨学金の試験に挑み、運よく合格したのだ。親元からの通学だったので、月額5000円を受給していた。返済は年間8000円を18年間だったと覚えている。もらう時は少ないなーと思っていたが、返済のときに、もらうのではなかったと思ったものだ。もらうのではなく、借りたのだということをきちんと認識していなかった。それでも完済はした。

我々の時代には日本育英会という組織しか、公的な奨学金の機関はなかったように思う。知らなかっただけかもしれないが。
今では、どんなものがあるのかは知らないが、地方自治体も含め、いろいろあるようだ。また学生ローンのようなものもあるらしい。

しかし、それらのほとんどが貸与であって、給付ではないことに注目すべきである。つまりは借金なのだ。そしてその貸与が、学生の将来を担保として、とても簡単に行われている。それも学費だけではなく、その生活費までと拡大しているから、金額は増えるばかりである。

たとえば、1カ月10万円を借りているとすれば、1年間で120万円となり、もし大学生で4年間なら、480万円である。こういった場合、利率がどうなるのか知らないが、約500万くらいの借金を負って社会人となるわけだ。

アメリカなどでは、もっとひどいようだ。テレビでみていたケースでは、1500万ほどの銀行ローンを受けながら、大学中退を余儀なくされた学生や、3000万ほどの奨学金借金を、返済途中で、レイオフにあって、返済不可能になった人のケースなどを報道していた。

社会人になったとして、今の世の中、うまく就職ができたにせよ、給与が高額であるわけがない。長い期間にわたって返済するのも、なかなか難しい。そんなことを承知で、奨学金あるいは学生ローンで借りているのだろうか。あまりに安易な借り方のような気がしてならない。

相談を受けたケースで、母子家庭なのだが、母親が精神的に不安定になり、働けなくなった。大学生の長女は、10万円の学生ローンを15万円に増額し、生活費にまわすのだという。卒業までに700万円ほどの借金を背負うことになるから、それはやめた方がいい、別の方法はないのか、と問うたが、他に方法はない、ということだった。

借りるはやさしく、返すは難しい、それをどれだけの人がわかって奨学金を受けているのだろうか。貸与ばかりでなく、給付の奨学金を増やすべきだし、また、昔にそうであった、一端働いて、学費をためて、という方法はとれないものだろうか。


光の春

今朝は日光が春そのものでした。雪の反射で、きらきら光ってとてもきれいです。8時すぎにようやく雨戸をあけて、あまりのきれいさに、ベランダに出ると、風のつめたいこと。「春は名のみの風の寒さよ」そのものでした。
ベランダごしに日差しがはいってくるのはいいのですが、窓ガラスの汚れが目立ちます。室内のほこりも浮き上がってみえてきました。

冬場は寒いことと、この年末は仕事をかかえていて、大掃除というのを(例年ですが)やらず、年明けに、少しずつと思っていたのが、寒さを理由にやっぱり延ばしのばしでとりかかっていないのが一目瞭然になります。
窓際においたバケツの中のメダカも、春を感じているのか、泡ぶくのようなものが浮いています。卵を産んだのでしょうか。水が濁っているので、すこし換えたかったのですが、卵かそうでないかの見極めがつくまで、水を少しずつたすだけにします。

ベランダの餌台にくる野鳥たちの鳴き声も変わってきています。少し高めになっています。彼らのヒエラルシーも変化があったのか、五十雀(ごじゅうから)、山雀(ヤマガラ)、四十雀(シジュウカラ)、十二雀(コガラ)と、大きさ順に力関係があるらしく、餌を食べる優先度が決まっているようです。しかし、このところ、観察していると、特にヤマガラとシジュウカラの力関係に差がなくなったようで、シジュウカラがヤマガラを待たせて、平気でえさをつついています。

目が痛くなってきました。花粉症のスタートです。以前は花粉症の症状が全くなかったのに、寒冷地にきて、花粉症とは縁がないと思っていたのに、数年来、目にくるようになりました。
前橋への通勤路に、スギの木がたくさんあることに気づくようになりました。もう赤くなってきています。この色の変化は、花粉ができているのでしょう。車の窓は閉めたままですし、外気は入らないようにしているのに、なぜか、赤いスギの木を見ると、目の痛みがひどくなります。

春の到来はうれしいし、春を待つ心は募るばかりなのに、こういう邪魔者もあることを覚悟しておかねばなりません。

金を少し売りました

先日、東京へ出かける用事のついでに、銀座であの田中貴金属へ寄りました。金を売るためです。
テレビでも宣伝しているので、わが家の金を集めてみたのです。いわくのあるものは除くことにしました。いわくといっても、たとえば、40年前、母とギリシャを旅行し、アテネの貴金属店で買ってもらった細い金のブレスレット、とか、フランスの代母からもらった十字架やマリア様のペンダントなどです。

曰くなしというのは、誰からもらったか、どこで買ったかわからないような、アクセサリー類とか、切れてしまった鎖、イヤリングの片方しか残っていないもの、アクセサリーボックスをみると、そんなものが、捨てきれずに残っています。そんなものを集めました。
つれあいもネクタイピンなどを供出してくれました。サラリーマン生活が長かったので、タイピンやカフスなど、いくつかあります。もう使うこともないだろうし、というより、壊れたものが半分はあります。

アフリカにいたとき、作った指輪あたりも曰くなしです。日本で銀座あたりを歩いているとき、一時、パワーストーンみたいな石を配っていることがありました。後生大事に持ち続けていたのを、指輪やペンダントトップに作ってもらっていたのです。重たくて、もう使っていません。

死蔵しているともいえる金、コマーシャルにのって売るのもいいのかも、と友人とともに出かけました。銀座店の4階が買い入れをしています。
一人ひとりボックスになっていて、隣の声は聞こえることがありますが、そう気になるほどではないし、顔はみえません。1対1の対応です。

差し出した金製品の、刻印のあるものとないものをまず区別し、刻印のないものについては、少し削って含有率をみますがよろしいですか?と聞かれる。もう使わないものばかりを持参しているので、それはかまわない。
案の定、金ではありません、と言われるものもあった。わが家にそんなに金があるはずはないから、と奇妙に納得だ。

24金、22金、20金、18金、14金と含有率によって値段は違い、それぞれの金額を提示される。もう使わないものを現金化する。リサイクルだ。
旅費プラスアルファ程度のものは得られた。

曰くのある、思い出のものを売る気になるのは、いつだろう。

老いの兆し

年が改まったら、誕生日はもっと先の話なのに、老いを感じることがしばしばだ。顔の変化、肉体の内部の変化はもちろん、とっくの昔だが、あらたに気力の低下がある。

もともと家事はきらいなので、やりたくないことがだんだん増えてきた。掃除は週に1回がせいぜいになった。それもいい加減な掃除だ。
働いている人は、週に1回なら、うちもよ、と言われるかもしれないが、毎日、自宅にいる私は、汚すし、汚れるしで、少なくとも、2日か3日に1回は掃除しなければ、と思っている。ところが、朝、新聞を2キロ先までとりにいって、帰宅すると、もう掃除をする気持ちが失せてしまう。せいぜい、お風呂を流すだけだ。

食べることは好きだけど、料理もめんどうになった。以前は、夕食については野菜を8種は食べようと心掛けていたが、このごろでは4種くらいでおさめている。そしてお漬物もしっかり数のうちにいれ、面倒な時には、納豆が1種として登場する。冬場の生野菜は、体を冷やすので、あまり食べたくない。根野菜がいいのだが、下ごしらえが面倒だ。それに生ごみも増える。

なんせ、なにもかもが面倒に感じてしまうのだ。気力がなくなるというのは、きっとこのことだろう。今でこうなら、あと5年たったとき、どうなるのだろうと怖くてならない。

書かなければならない手紙、かけなければいけない電話、なにもかも先送りしている。読まなければならない本は山積みになっているし、繕いものは、針箱の上においたまま、ほこりをかぶっている。

記憶力の低下もはなはだしい。脳の運動とばかりに、なるべくBSでの外国ニュースは原語で聴くことにしている。ということは、ほとんどわからず聞き流しだ。たまに英語やフランス語で耳に残った単語を、手元においてある電子辞書で調べるなんてことはするのだが、1時間もすれば、何の単語を調べたのやら、なにも残っていない。調べるだけ無駄というものだ。

走ろうと思っても、走れない。飛びあがれない。飛び降りることができない。字が乱雑になる。なにもかも、先人から言われてきたけれど、まさか自分がそうなるなんて、とそうなって驚いている。

老いの兆しが兆しで収まっているうちはいいのかもしれない。これが老いそのものになったとき、を考えるとこわい。


2月生まれの悲哀

立春の昨日が誕生日の友人がいる。つれあいは月末のころに誕生日だ。2.26事件当日の誕生日の人、など、2月生まれの友人、知人は多い。

2月生まれの人はかわいそうだ、と言うと、そうではないと否定されるかもしれないが、つれあいについては、気の毒でならない。誕生日祝いで、どこかレストランで昼ごはんでも、と思ったりするのだが、凍った道路を運転するのがこわくて、外出もままならない。軽井沢のレストランでは冬期休業中というところもある。

以前には、航空会社で、誕生月の旅行を割引してくれる制度があった。今もあるかどうか、しらないが、2月に旅行に出かける気持ちにならなくて、一度もつれあいの割引を利用したことはない。私は6月生まれだから、まだ利用したことがあったけれど。夫婦片方の分が使いようがないのは、本当にモッタイナイことだった。

男性の場合、2月14日のヴァレンタイン・デーがあるから、プレゼントもそれと兼ねてのことになりかねない。つれあいは、前後6カ月、プレゼントを受付しているから、というけれど、やっぱり当日にしなければ、と思う。冬場のことだから、暖かいグッズになりがちだが、高価なものになってしまう。だから、予算の関係で、今年はプレゼントなしね、となってしまうのだ。レストランでの食事もなければ、プレゼントもない、ないない尽くしの誕生日となる。

本来なら、観光業界がニッパチで暇なときだから、旅行にでれば、割安で宿泊もできるし、いいときなのに、と残念でならない。お誕生日割引というので、かんぽの宿からの案内もあった。
ドル安、ユーロ安もあるから、今年は海外旅行もお得なのだが、北半球は寒波で、動く気にはなれない。

つれあいは、私の懐具合もみて、病院へ行く時に、いつも食べる回転寿司の店で、大トロ食べ放題でどうだろう、と言っている。お安いご用だ。つれあいは節度のある人なので、食べ放題といっても2皿以上は食べないだろうことを知っているから。

今年の2月は1日長い。早く、2月が終わって、春になってほしい。

フランスの寒さ対策

日本のテレビでも報道されているが、フランスの報道をみていて、フランス電力公社(EDF)にもあきれてしまった。この大寒波で、電力不足に陥っているそうだ。2日などは、18時から20時まで、orange Ecowattという警報が出されたという。オレンジ色だから、まだ赤には至っていないけれど、どうして?と言いたくなる。

フランスは電力の80%以上を原子力発電によっており、このところの原油高に左右されず、安定供給がなされているものと思っていた。電力を近隣諸国に輸出している国なのに、かえって輸入でカバーするという。

しかし、フランス人のたゆまぬユーモア精神にも脱帽だ。ある地方で、老夫人にインタビューしていた。彼女は、「昨日から電気もなければ、電話も携帯電話も(使え)ないけれど、雪だけはたっぷりあるわ。」と言うのだ。
また別の女性は、「夏に太陽を享受しているのだから、冬は雪を楽しまなくちゃね」と言っている。
二人とも、乗りきる方法は「フィロゾフィー(哲学)よ」と言っている。

バカロレアで、哲学が必修ということもあるが、具体的に哲学で乗りきるというのはどういうこおなのだろう。

日本では新聞で「天牢雪獄」という言葉をみつけたが、このごろの日本海側の豪雪をみると、本当にその通りだと思う。
彼女らをつれてきて、日本ではどんなフィロゾフィーが可能なのかをきいてみたいものだ。

フォークランド紛争

今朝のBSで、BBCのニュースをみていたら、フォークランド島の問題がでていた。フォークランド紛争から30年たったのだという。その30年目の今年、ウィリアム王子がヘリコプターの操縦士として派遣されるのだそうだ。イギリス側は、単なる兵員派遣といい、アルゼンチンは30周年を意図した派遣として、神経質になり、反発しているという。

もう30年たったのだ。イギリスとアルゼンチンの間で、フォークランド島(アルゼンチンはマルヴィナス島とよぶ)の領有権をめぐり、1982年4月、アルゼンチンがフォークランドを攻め、イギリスは抗戦して、結局、同年6月14日、アルゼンチンが降伏することで、紛争は終結した。

イラクやアフガニスタンへの攻撃などよりずっと以前のことで、突然おきた戦争に、仰天したことを覚えている。
そして、結果はイギリスの勝利、現状維持の形で終わったのだが、なんだか納得できない思いがあった。
イギリスからの距離を考えれば、自然国境としては、アルゼンチンに所属するほうが自然ではないかと思ったのだ。

そしてなぜイギリス領になったのか、を見ると、この島は、1592年にJ. Davisという人が発見したのだという。発見というのもおかしいが、そのあと、フランスのマルイヌ(Malouines)という島の出身者がルイ15世の名のもとで、植民地とした。その後、スペイン人を経て、イギリス人が1767年に入植、一時アルゼンチンも領有したけれど、結局、イギリス人が占拠したものらしい。

フランスだって領有権を主張できるのか、と、当時、フランスの機関で働いていたので、歴史の事実に興奮したものだった。別に日本領になるわけではないが。
1592年にヨーロッパ人がこの島を見つけた時、どういう人、つまり原住民はどうなっていたかは知らないが、現在はどうもイギリス人が入植して、イギリス人の島となっているようだ。

そうなると、原住民の独立運動というのもないだろう。植民地主義の残債そのものという気がする。本国からこんなに遠いところで、領有権を主張するのも、現在ではおかしいのではないだろうか。
フランスも南太平洋に、ニューカレドニアやフレンチ・ポリネシアを領有している。それぞれ、自治領という形に変わっているようだが、長い間、植民地であった。ニューカレドニアでは、独立運動をする原住民を抑圧した歴史もある。

カリブ海には、海外県の形をとっているが、グアドループやマルティニーク、カナダ沖にはサン・ピエール・エ・ミクロンがある。南米にはグイアーヌ、インド洋にはレユニオン、本土から遠い、遠いところにあるが、海外県の形をとっているので、現地では、独立というより、本国からの援助を得た方が有利とみているようだ。

フォークランドなども30年は一つの歴史となっているが、それ以前、16世紀からの問題を抱えている。オフショアで石油掘削も始まっている。また新しい条件が加わったわけだが、いつまでイギリス領であり続けられるのか、と私は思っている。

南フランス雪景色

今日のF2ニュースで、フランスにも寒波襲来を報じていた。南仏にも雪が降ったようだ。サント・ヴィクトワール山も雪化粧をしている。映像でだが、初めてみる景色だった。

南仏は暖かいと思われている。実際、冬でも暖かく、1月や2月でも、日によっては、戸外でお茶を飲めることもある。たまに、ニースやカンヌの浜辺で、冬に海水浴する人をみることもある。しかし、北風のミストラルが吹くと猛烈な寒さになる。マルセイユは緯度でいえば、北海道の函館あたりになるとか、寒くて当たり前かもしれない。

しかし、南仏ではあまり冬の準備をしない。冬用のタイヤにかえるのは、スキー場へ出かけるような、ウインタースポーツの愛好家あたりだけだろう。私も3回の冬をすごしたが、とうとう換えることはなかった。
一度だけ、恐怖をおぼえたことがある。ほとんど毎日、マルセイユからエクサン・プロヴァンスへ通学していたのだが、いつもオートルートを使っていた。

ある日、雪が予報されていたかどうか、もう覚えていないのだが、エックスへの分岐を過ぎたころ、雪が猛烈に降り始めた。進行方向、積雪しているようだ。こわくなって、マルセイユに戻ることにしたが、オートルートは閉鎖になってしまった。仕方なく、オートルートを下りたものの、当時はまだナビもなく、一度も一般道路を通ったことがない。仕方なく、案内板のマルセイユを目安に走っていく。一般道路のほうが、いくらか雪が少ないのはどうしてだろう。しかし、のろのろ運転にならざるを得ず、どうにかマルセイユの端っこに到着、それからは、住んでいた地区の名前を探して走った。

マルセイユに限らず、地中海沿岸は、海に急迫しているので、アップダウンが厳しい。雪でも降ると、本当にどうしようもない。マルセイユの市内にしても、狭い坂道が多いときているが、住人はどうしているのだろう。

オートルート・ド・ソレイユという別名もある南仏への高速道路は、昨日は閉鎖されたようだ。大型トラックは、事故防止のために、路肩に集められ、待機させられたようだ。

南仏に住んでいる友人たち、この寒波をどのようにしのいでいるのだろうか。どうか交通事故などないように、と祈っている。

既成の制度を考える

このところ、テレビの情報番組をみていると、これからの日本は、前人未踏の状態に陥るという解説が多い。つまり、これまでは、人口は増えるものという前提だったけれど、これからは劇的に減少し、人口構成もピラミッド型から逆ピラミッド型へと変わるという。人口数からいえば昭和の時代に戻るらしい。

対策をいろいろ講じてはいるのだろうが、ここで、制度を白紙に戻し、再構築をするというのはどうだろうか。極端な対策ではあるが、社会保障でお金がかかる、そのお金がつくれない、となったら、社会保障をやめればいい、という説を唱える人もいる。乱暴ではあるが、一理はある。
文句は多いけれど、こんなに社会保障が手厚くなったがゆえに、お金がかかるという事実はある。

年金だってそうだ。創設された時には、人生50年とはいかなくても、70歳が古希であることには間違いなかったのだろう。いまや90歳以上の親をもつ人はめずらしくない。その親たちは、55歳定年で、それから年金をもらいだした幸福な年齢層にあたるはずだ。

後期高齢者の医療費を別建てにして、出費を抑制するという制度が不評で、ひっこめられたけれど、高齢になれば、金属疲労ではないが、各機能に衰えが出て、それが病気となるのも不思議ではない。私はわりと健康で、50歳代までは、歯医者以外、お医者様にかかるということをしなかった。ところが、現在では、コレステロールだ、睡眠障害だと、なにかしら故障がある。コレステロールの薬など、けっこう高価なものだ。

この医療制度にしても、経済成長期に大きな財政援助がはかられたのだろう。医学の進歩は、金喰い虫を産んでいることにもなる。

だから、一つには社会保障や医療制度を根本から見直すことも必要かもしれない。また、学校制度なども、6・3・3・制ではなく、4・4・4制にしてはどうだろうか。小学校6年というのは長すぎるような気がしてならない。1年生と6年生をみると、その差が大きすぎる。そして、高校まで義務化をはかるのだ。もうほとんどの人が高校までいっているという事実を制度にとりこむのだ。

そして、成人の年齢を18歳に引き下げる。これはぜひやってほしいことだ。社会人になっても、成人ではないという中途半端なやり方より、18歳で成人とすれば、社会の矛盾はだいぶ解決する。

そのほか、結婚の制度も見直し、夫婦別姓、女性に課せられた民法上の規制などをすべて取っ払い、親権も共同にするといった、小泉流ではないが、既成制度をぶっ壊すのである。
少し、乱暴でも、このピンチをチャンスにかえようではないか。

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