サルコジ、立候補

今朝のニュースでは、フランスのサルコジ大統領が、4月に行われる大統領選挙に立候補を表明したというのがあった。これまで表明を延ばしていたのは、ギリシャに代表される欧州の金融危機を解決するためだったとか。

フランスの大統領選挙は、今では5年ごとに行われるが、今年は4月22日が第一回投票日、そこで当選者がいなければ、上位2名の決選投票になるのだが、それは5月6日である。
野党では、社会党からホランド氏が候補者となり、右翼では、国民戦線(FN)のマリーヌ・ル・ペン氏が活発な活動を行っている。またエコロジストからの候補者も出たようだ。

しかし、立候補を表明しても、正式な候補者とはなりえない。きついハードルが待っている。元老院、国民議会を含む地方議会の議員と合計500名の推薦人を必要とする。これがなかなか難しいらしい。
サルコジの標語は、「強いフランス:la France forte」となるということだ。

せんだっては、カルラ夫人に女児誕生で、なにやらサルコジ王朝のような扱いを受けていたが、家族は支援にもなり、足をひっぱる要因にもなる。最初の結婚で生まれた息子の一人が、ディスクジョッキーをしているのだが、国名を忘れたがルーマニア?かなにかの国に、ディスクジョッキーとして行ったのだが、急病になったとか。現地の病院でも十分治療できるものだったらしいのだが、父親のサルコジは、大統領機なのか、閣僚用のものかははっきりしないが、フランス政府の飛行機を飛ばし、息子を連れ帰したようだ。その費用が莫大なもので、一部をサルコジは払ったが、とても全額というわけではなかったとか。

またこの息子は、病気がなおった後だろう、ブラジルにやはりディスクジョッキーとして出かけたのだが、彼には武器を携行した政府のガードマンが付いており、その御一行にたいして、特別待遇をフランス政府が、ブラジル政府に求めたのだそうだ。
これは、大統領の家族に対して実施されている警護の一環で、なんら特別なことではないということらしいが、いづれにせよ、この種のことは、キャナール・アンシェネ紙で扱われたりするだろうし、またインターネットでいろいろ挙げられることだろう。

ドイツのメルケル首相は、サルコジ支持を表明している。「メルケジ」と呼ばれるこのコンビ、ドゴールとアデナウワー、ミッテランとコールのように、仏独の親密な関係を示しているけれど、どのくらい効力があるのだろうか。

サルコジの強引な政策には、ついていけないところもあるが、1981年のミッテラン大統領選出からとられた社会党政権下での混乱を思うと、はたして、オランド氏でいいのかと思ったり。
フランスへの思いは強いだけに、無関心ではいられない。

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。