フォークランド紛争

今朝のBSで、BBCのニュースをみていたら、フォークランド島の問題がでていた。フォークランド紛争から30年たったのだという。その30年目の今年、ウィリアム王子がヘリコプターの操縦士として派遣されるのだそうだ。イギリス側は、単なる兵員派遣といい、アルゼンチンは30周年を意図した派遣として、神経質になり、反発しているという。

もう30年たったのだ。イギリスとアルゼンチンの間で、フォークランド島(アルゼンチンはマルヴィナス島とよぶ)の領有権をめぐり、1982年4月、アルゼンチンがフォークランドを攻め、イギリスは抗戦して、結局、同年6月14日、アルゼンチンが降伏することで、紛争は終結した。

イラクやアフガニスタンへの攻撃などよりずっと以前のことで、突然おきた戦争に、仰天したことを覚えている。
そして、結果はイギリスの勝利、現状維持の形で終わったのだが、なんだか納得できない思いがあった。
イギリスからの距離を考えれば、自然国境としては、アルゼンチンに所属するほうが自然ではないかと思ったのだ。

そしてなぜイギリス領になったのか、を見ると、この島は、1592年にJ. Davisという人が発見したのだという。発見というのもおかしいが、そのあと、フランスのマルイヌ(Malouines)という島の出身者がルイ15世の名のもとで、植民地とした。その後、スペイン人を経て、イギリス人が1767年に入植、一時アルゼンチンも領有したけれど、結局、イギリス人が占拠したものらしい。

フランスだって領有権を主張できるのか、と、当時、フランスの機関で働いていたので、歴史の事実に興奮したものだった。別に日本領になるわけではないが。
1592年にヨーロッパ人がこの島を見つけた時、どういう人、つまり原住民はどうなっていたかは知らないが、現在はどうもイギリス人が入植して、イギリス人の島となっているようだ。

そうなると、原住民の独立運動というのもないだろう。植民地主義の残債そのものという気がする。本国からこんなに遠いところで、領有権を主張するのも、現在ではおかしいのではないだろうか。
フランスも南太平洋に、ニューカレドニアやフレンチ・ポリネシアを領有している。それぞれ、自治領という形に変わっているようだが、長い間、植民地であった。ニューカレドニアでは、独立運動をする原住民を抑圧した歴史もある。

カリブ海には、海外県の形をとっているが、グアドループやマルティニーク、カナダ沖にはサン・ピエール・エ・ミクロンがある。南米にはグイアーヌ、インド洋にはレユニオン、本土から遠い、遠いところにあるが、海外県の形をとっているので、現地では、独立というより、本国からの援助を得た方が有利とみているようだ。

フォークランドなども30年は一つの歴史となっているが、それ以前、16世紀からの問題を抱えている。オフショアで石油掘削も始まっている。また新しい条件が加わったわけだが、いつまでイギリス領であり続けられるのか、と私は思っている。

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