骨董とがらくたの狭間

正月飾りはとっくにしまったけれど、冬の間のお飾りみたいなものを、立春もすぎたのだからとかえることにした。
本当の春になると、南仏のサントン人形を出すのだが、それまでは何にしよう、と考えた末、アフリカのものにした。パイプが大小とりまぜて10個ほどある。冬にアフリカというのもぴったりこないけれど、なかなか出番がなくて、しまいっぱなしになっているので、今回、飾ることにした。

こういうものを仕舞っているのは、長持ちの中だ。わが家には納戸がない。収納ということをあまり考えていなかった。常住の家になると、普段使うもの以外にも、いろいろと仕舞ったり、出したりするものがある。
長持ちは1間の大きさがある。以前は九州の実家にあったのだが、実家を取り壊す時、母が送ってきた。
長持ちのほか、やはり1間の水屋も送ってきた。古臭い、垢もついた水屋だ。

水屋はしかしながら、食器棚として利用価値がある。ところが、長持ちは、つれあいに言わせると邪魔以外の何物でもない。私は、飾り物や書画などを入れられるので、それなりに便利だと思うのだが、実際、場所はとる。
つれあいは、長持ちさえなければ、壁も利用できるし、書棚でもおけるという。

この長持ちがあるおかげなのか、せいなのか、やたらと古いものが残っている。それも少々難ありの品ものだ。少し漆のはげた重箱などが2,3セットあるし(半分は以前、フランス人に譲った)、外国で買ったもの、記念品、雑多にはいっている。これだけのものを収納しようと思えば、相当場所が必要だろう。それをごちゃごちゃでも入れられるのだから、長持ちというのは便利な存在かもしれない。

NHKでやっているヴェニシアさんの大原暮らしなどを見ていると、こういう古いものを大切にしなければ、と思うし、断捨離などの記事を読むと、思い切って処分しなければ、とも思う。

骨董品というには、難が多いし、なら、がらくたと言うには、家族の歴史を無視することになる。今しばらくは、この葛藤のなかで過ごさざるを得ないようだ。

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