LCCの保証

インターネットのニュースをチェックしていたら、オーストラリアのLCC(格安航空会社)が、資金難から運行を停止し、約4000人の乗客が世界各地で足止めをくったという記事があった。

このところ、LCCは脚光をあびていて、日本航空も全日空も、自社経営のLCCを設立したらしい。LCCだけでいかに安く世界一周をするか、という試みもやっていたようだ。

価格をみると、どうやって、それだけの低価格で乗れるのかという疑問がでてくる。事務所経費や、乗員の給料、それにサービスを最低限にするといったコストダウンもあるだろうが、事務所経費はともかく、乗員の質の問題や、席のスペースなども、もう限界まで落としているような気がしてならない。

経営自体が、薄氷を踏むような形ではないのだろうか。私はLCCは使えないと思っている。こわいのが実感だ。
勿論、チケットを手配するときは、なるべく安くとは思うけれど、できればナショナル・フラッグでと思っている。もしもの場合のケアが違うのだ。

もう一昔もふた昔にもなるが、タイの航空会社で、エア・サイアムというのがあった。当時はLCCという言葉はなかったが、格安のチケットで旅行できるので有名だった。これで、東京ー西海岸ーハワイー東京という旅行をしたことがあった。往路は無事にいけたが、帰り、ロスアンジェルスからホノルルへ飛ぼうとしたとき、空港で、エア・サイアムは飛ばないという。燃料費が払えないのだそうだ。

ハワイで数泊して、東京へ戻る計画で、ハワイの友人にも連絡済みである。どうしても飛ばなければと、他の会社への変更を頼むが、安いチケットだけに、追加料金がいるという。結局100ドル追加し、それも最低のサービスだったらしく、機内での食事は有料だった。いつもぎりぎりのお金で旅行するが、その時は、かろうじて、100ドルはもっていたので、払えたのだ。

ハワイから東京へもとらぶったけれど、どうにか、エア・サイアムで帰国することができた。帰国後にその100ドルを請求しようと思っていたが、なんのことはない、私が乗ったフライトがラストで、倒産してしまった。その後のフライトを予定していた人たちは、きっと困った事態に陥ったことだろう。

そのほか、安いチケットで、何度か故障や自然災害などで、トラブルになったことがある。日本でならともかく、外国でだと、交渉能力がなければならないし、お金もしっかり持っていないと、ホテル代が出ないとか、本当に困ったことになる。だから、交渉するだけの気力・体力がなくなったことを自覚して後は、日本の飛行機を使っている。

適正価格という観点からも、ばか安の価格というのは、うさんくさくてならないのだ。どこか、大切なところを無視している。経営者の利益だけならいいけれど、働く人の給料を安くおさえて、質のいい整備やサービスが生まれるとは思えない。

メディアの宣伝にのらないだけの、年の功もできたということか。

失効するお金

日本では休眠口座の活用などが話題になっている。今朝のF2を見ていたら、2月20日月曜日で、フランスの以前のお金、フランス・フランが完全に効力を失うという。
何年か前から、フランのユーロへの交換は、市中銀行ではなく、フランス銀行のみで行われるようになっていたが、いよいよ、それも終わりになる。

フランス銀行支店の前には、最後に交換しようという行列ができていた。タンスの底から出てきたとか、ずっと着ていなかったコートやスキージャケットのポケットにはいっていた、コレクションでとっていたのだけど、といったお札を手に、行列をつくっている。

このユーロに交換されなかったフランは、金額にして、5000億ユーロに相当するらしい。これは国庫にとっては債務であるが、交換されなければ、そっくりそのまま、国への贈り物になるのだ。
行列をつくって交換できるのも、フランス国内にいる人たちだけだ。相当額が交換されるけれど、外国でもっている人、たとえばアメリカ人や日本人が旅行で、余ったフランをそのまま持ち続けている場合など、20日までにフランス銀行で交換しなければ、「はい、それまでよ」になる。

わが家にもある。サンテクジュペリの図柄など、「星の王子様」に凝っていたので、残していたりするし、また銀の含有率が高いからとか、記念コインだからといって、5フラン銀貨が数枚は残っている。もうこれはノスタルジーの対象にしかならないのだ。

あるいは、ユーロ崩壊があれば、また何かしらの価値が出てくるかもと、髪の毛1本程度の希望をつなぐことも可能ではある。

私がフランスにいたのは、ちょうどフランが最後のころで、フランとユーロの値が併記されていた。しかし、やっぱりフランが通用するので、ユーロにはなじみがなく、ユーロが使われ始めた2002年では、もう旅行者としてしかフランスの地を踏むことはなかった。

隠れたお金をあぶりだすには、デノミとか通貨をそっくり変えるという方法が一番だ。2年ほど前の北朝鮮もやったが、コンゴ民主共和国に滞在していたときも、コンゴ・フランがデノミされ、混乱したことがある。
日本も、景気振興には、デノミが一番と主張する友人もいる。

今や、制度疲労を全ての分野に感じるが、首相公選制や1院制、地方分権、社会保障を存続させるかどうか、いろんな変革のなかに、デノミも一考の余地ありのようだ。

東京オリンピック招へいの可否

2020年のオリンピック開催を、また東京が招へいするよう立候補するという。またか、と部外者のわたしは思っている。東京都民でもなくなったので、もうどうでもいいやと思う部分もあるのだが、国費を投入するのだろうし、完全に部外者でもないはずだ。

だれが望んでいるのか。それは石原都知事なのだろう。16年開催に失敗したのに、まだ懲りていない。ローマは経済的な事情で立候補をとりさげたそうだ。現状をみれば、非情に賢明な決定だと思う。
はたして、スポーツと言うのはそんなに「力」を与えるのだろうか。スポーツ界とマスコミの共謀で、あたかもそうなるように仕組んでいるように思えるのだ。

国立競技場を立て直し、ほとんどの競技が8キロ以内の範囲でできるようにするという。分散しないということは、集中して競技が行われ、その分だけ混んでいることになる。

地震や津波による中断リスクは「低く」、原発災害などのリスクも「きわめて低い」という分析結果を提出したという。この分析は誰がしたのだろう。しかるべき団体なり組織がしたのだろうが、データはそろっているのだろうか。
20年には、電力不足はおきないのだろうか。

勿論、自然災害などのリスクは、オリンピック招致をしなくても存在するわけで、オリンピック開催時におきる可能性は少ないのだろうが、それ以前に起きることもある。

オリンピック自体が意義あるものかどうか、疑わしく思っているので、日本のような成熟しすぎた国や都市に招くことが疑問でならない。スポーツしない人間のひがみだろうか。

サルコジ、立候補

今朝のニュースでは、フランスのサルコジ大統領が、4月に行われる大統領選挙に立候補を表明したというのがあった。これまで表明を延ばしていたのは、ギリシャに代表される欧州の金融危機を解決するためだったとか。

フランスの大統領選挙は、今では5年ごとに行われるが、今年は4月22日が第一回投票日、そこで当選者がいなければ、上位2名の決選投票になるのだが、それは5月6日である。
野党では、社会党からホランド氏が候補者となり、右翼では、国民戦線(FN)のマリーヌ・ル・ペン氏が活発な活動を行っている。またエコロジストからの候補者も出たようだ。

しかし、立候補を表明しても、正式な候補者とはなりえない。きついハードルが待っている。元老院、国民議会を含む地方議会の議員と合計500名の推薦人を必要とする。これがなかなか難しいらしい。
サルコジの標語は、「強いフランス:la France forte」となるということだ。

せんだっては、カルラ夫人に女児誕生で、なにやらサルコジ王朝のような扱いを受けていたが、家族は支援にもなり、足をひっぱる要因にもなる。最初の結婚で生まれた息子の一人が、ディスクジョッキーをしているのだが、国名を忘れたがルーマニア?かなにかの国に、ディスクジョッキーとして行ったのだが、急病になったとか。現地の病院でも十分治療できるものだったらしいのだが、父親のサルコジは、大統領機なのか、閣僚用のものかははっきりしないが、フランス政府の飛行機を飛ばし、息子を連れ帰したようだ。その費用が莫大なもので、一部をサルコジは払ったが、とても全額というわけではなかったとか。

またこの息子は、病気がなおった後だろう、ブラジルにやはりディスクジョッキーとして出かけたのだが、彼には武器を携行した政府のガードマンが付いており、その御一行にたいして、特別待遇をフランス政府が、ブラジル政府に求めたのだそうだ。
これは、大統領の家族に対して実施されている警護の一環で、なんら特別なことではないということらしいが、いづれにせよ、この種のことは、キャナール・アンシェネ紙で扱われたりするだろうし、またインターネットでいろいろ挙げられることだろう。

ドイツのメルケル首相は、サルコジ支持を表明している。「メルケジ」と呼ばれるこのコンビ、ドゴールとアデナウワー、ミッテランとコールのように、仏独の親密な関係を示しているけれど、どのくらい効力があるのだろうか。

サルコジの強引な政策には、ついていけないところもあるが、1981年のミッテラン大統領選出からとられた社会党政権下での混乱を思うと、はたして、オランド氏でいいのかと思ったり。
フランスへの思いは強いだけに、無関心ではいられない。

かけすて年金

年金制度を改革しようという中に、掛け捨てにしようという考えがあるという。これまでは掛け捨てではなかったのだろうか。厚生年金や共済年金は、たとえば受給者の夫がなくなれば、妻がその7割くらいを受け継ぐことができるというような制度があるから、掛け捨てとは言えないかもしれない。が、国民年金は個人個人が対象なので、まったくの掛け捨てである。

私の友人夫妻の場合、奥さんが65歳になるとほとんど間もなくなくなった。ようやく年金受給の年齢になったとたんである。長く納付してきたのに、弔慰金として3,4万円くらいが払われ、それでいて、介護保険はしっかり徴収されたとか。これまで納めた金額の全部とはいわなくても、半分くらい戻してくれれば、と思うところだが、それが制度なのだそうだ。

今度の制度改革で、掛け捨てにしようというのが、どういう内容なのか、まだ知らないが、私たちが納め始めたころは、積立方式と言われていた。そう信じて、自分が納めた金額に比例して、受け取る金額が決まるというので、安い給料で働いていた私にとって、高い年金はあり得ないとわかっていた。でも決められた金額だけは、どんなに苦しくても、納得して払っていたのである(給与所得者の間は、給与から先にひかれていたけれど)。

働いていた外国機関が、厚生年金に加入していなかった期間は、国民年金に個人で払い込むという形をとっていた。年金をあまり受け取れそうにないなとわかっていたが、本当にこんなに少ないものだとは思いもしなかった。

一律に7万円の最低保障といわれると、私の場合、厚生年金と国民年金両方を加えても、その最低保障よりほんの少し多いだけだから、なんだかがっかりだ。
でも考えてみると、月に国民年金時代で1万5000円未満、厚生年金だと、給料に相応するから、もっと高額おさめていたにせよ、3万か4万円だったろう。そうすれば、たとえ40年納めていたにせよ、平均して3万円納めていたとして、36万X40年=1440万円、7万円ずつ受給するとすれば、17年あまりでとんとんになる。私の場合、82歳が損益の分岐点だ。

現今の報道をみていると、もう受給している人は、得をしていて、今納めている若いひとたちは、損をするとか。納めているときは、損得を考えていなかった。ほぼ税金並みと思っていた。若い人たちから養われているような、肩身の狭い思いをしなければならない筋合いではないと思うのだが。

ブルーなヴァレンタイン・デー

2月14日、ヴァレンタイン・デー。これがこんなににぎやかになったのは、いつ頃からだろう。バブルの時代の残滓の一つに違いない。滓といっては、まだまだ現役のにぎわいをみせているのだが。

愛の守護人といわれるヴァレンタインの祝日である2月14日、なぜ愛の守護人なのかというのは省略して、お祭りというのは、広まっていくものだ。今では、この日を祝うのはキリスト教徒ばかりではないらしい。しかし、ウズベキスタンだったか、先日のニュースでは、この日を祝うのを禁止したらしい。

その昔(昔話ばかりで恐縮だが)、この日を一人で過ごすにはむなしく、といって一緒にすごすカレはいず、どうしようか、と悩んだ末、モテナイ男性を集めることにした。最初に声をかけたとき、「いや、自分はしかるべき予定があるから」と断る男性もいたが、結局、いつも集まるメンバーの男性がほとんどそろったものである。

グループの女性にも声をかけ、いつものスタイルのパーティになるのだが、男性の心理が面白かった。職場で、「義理チョコ」は受け取るものの、「本命チョコ」はないと嘆く。当たり前だ。みなさん、既婚者である。早く自宅に帰って、愛する奥さんとすごせばいいものを、そこを奥さんに対し、外でもてているふりをしたいらしい。日本男児だなと思う。彼らが愛妻家ではない、とは言えないのだが、なにか屈折した心理があるようだ。

でも今になってみれば、彼らの私に示してくれた友情なのか、とも思える。今なら、声をかけて、誰もこないにせよ、達観の境地でいられるが、当時は女性としての感情も生々しかったと思う。誰からも見捨てられたというような心境になったに違いない。

男性・女性、それぞれにどうしてもてないのだろう、と分析しあったヴァレンタインの日、なつかしい思いでである。

ギリシャ国民の怒り

ギリシャは救われた!!と言えるのか、現地時間の真夜中をちょっとすぎたころ、ようやく緊縮財政案が国会を通過したとか。これで第一関門を突破することができた。しかし、国会前では、10万人にものぼるデモ隊が、騒乱をおこしていたようだ。

国会を通った緊縮案とは、公務員を1万5000人削減する、最低給料を22%カットで14カ月間、586ユーロになるといったものらしい。以前の緊縮案では、年金も月額1200ユーロをこえる人にたいしては20%カットとか、1000ユーロになるといった(このへんは確かではない)、年金受給者に対しても犠牲を要求していた。

国民が憤るのもわかる。が、他に方法があるのだろうか。国民の言い分は、こんな状況に陥ったのは、自分たちのせいではなく、政治家たちのせいだという。しかし、それらの政治家を選んできたのは、国民なのだということを忘れるわけにはいかないだろう。

もう記憶の底に沈んでしまったけれど、ギリシャというのは、暗い国だったことがある。軍の圧政で、「旅芸人の記録」でも伺い知れるような、密告や弾圧の暗い、暗い国だった。軍政から民政へと移り、いつの間にか、EUにも加盟を果たし、ギリシャ国民の考え方もすっかり変わったようにみえる。

不動産税が新しく課税されるようになり、それが電気代とパッケージになっているので、払わないと電気がストップするというので、納税がスムーズにされている、といったニュースもみた。
国民は、新税に文句たらたらだけれど、これまで不動産税が徴収されていなかったという事実、ふつうは払うべきものなのに、払わなくてすんでいたという事実を、ありがたいと思わないのだろうか。

政治家の失政というのは、もちろん糾弾されてしかるべきだけれど、この緊縮案を通し、それをもって、銀行に国債償還をカットしてもらい、それからEUの資金援助を仰ぐというこの時、銀行にもEUにも、本来なら必要ではないはずの犠牲を強いているということを認識すべきなのではないだろうか。

翻って、日本はどうなるのだろう。ギリシャはEUという団体に属し、EU加盟国が救う努力をしてくれるが、日本がデフォルトに陥るようなことになったら、どこの国が救ってくれるのだろう。ある評論家は、日本がデフォルトになることもないし、もし、日本のような大国がデフォルトになると、影響がすごいので、ならないように各国が配慮してくれますよ、なんて言っていたが、そんなに呑気なことでいいのだろうか、と思う。

今のギリシャのような、耐えがたいドラスティックな緊縮を要求されるより、できれば、今のうちに、消費税があがっても、国の借金が少しでも減っていくほうがいい。犠牲が要求されるのなら、小さい犠牲ですませたい。
紙クズになると覚悟の上で、国債も個人向けを買って、少しでも、外国投機筋の謀略にさらされないようにすべきか、いろいろ考える。

年をとってきて、借金がこわくてならない。それが国の借金にしても。ギリシャの二の舞はご免こうむる。

骨董とがらくたの狭間

正月飾りはとっくにしまったけれど、冬の間のお飾りみたいなものを、立春もすぎたのだからとかえることにした。
本当の春になると、南仏のサントン人形を出すのだが、それまでは何にしよう、と考えた末、アフリカのものにした。パイプが大小とりまぜて10個ほどある。冬にアフリカというのもぴったりこないけれど、なかなか出番がなくて、しまいっぱなしになっているので、今回、飾ることにした。

こういうものを仕舞っているのは、長持ちの中だ。わが家には納戸がない。収納ということをあまり考えていなかった。常住の家になると、普段使うもの以外にも、いろいろと仕舞ったり、出したりするものがある。
長持ちは1間の大きさがある。以前は九州の実家にあったのだが、実家を取り壊す時、母が送ってきた。
長持ちのほか、やはり1間の水屋も送ってきた。古臭い、垢もついた水屋だ。

水屋はしかしながら、食器棚として利用価値がある。ところが、長持ちは、つれあいに言わせると邪魔以外の何物でもない。私は、飾り物や書画などを入れられるので、それなりに便利だと思うのだが、実際、場所はとる。
つれあいは、長持ちさえなければ、壁も利用できるし、書棚でもおけるという。

この長持ちがあるおかげなのか、せいなのか、やたらと古いものが残っている。それも少々難ありの品ものだ。少し漆のはげた重箱などが2,3セットあるし(半分は以前、フランス人に譲った)、外国で買ったもの、記念品、雑多にはいっている。これだけのものを収納しようと思えば、相当場所が必要だろう。それをごちゃごちゃでも入れられるのだから、長持ちというのは便利な存在かもしれない。

NHKでやっているヴェニシアさんの大原暮らしなどを見ていると、こういう古いものを大切にしなければ、と思うし、断捨離などの記事を読むと、思い切って処分しなければ、とも思う。

骨董品というには、難が多いし、なら、がらくたと言うには、家族の歴史を無視することになる。今しばらくは、この葛藤のなかで過ごさざるを得ないようだ。

危機一髪

2月11日、夕方のニュースをみていると、東北地方の仮設住宅で、水道管に巻かれた保温のための素材から発火したという報道があった。
なぜ発火したのかはまだわからないようだったが、焦げ臭いにおいに住人が気が付き、大事にいたらなかったようだ。
もし、留守の時だったら、火事にまでなっていたかもしれない。

わが家も今日は危機一髪だった。暖かい日差しに誘われて、散歩に出かけた。約40分ほどで3キロを歩いて帰宅したところ、なにか焦げ臭い。台所ではなにも煮炊きをしていないし、火の気はなにもないはずだ。それでも焦げ臭いのは事実だ。

なんと、窓際においた水晶の玉の下の敷物が焦げている。あわてて水晶をはずし、敷物をみると、煙がでている。もう少しで燃えるところだったようだ。敷物の下の敷き台も焦げている。
いつもは、鉢植えの陰においているから、太陽があたっても、水晶まで届かない。しかし、今日は暖かい日差しに、鉢植えを全部外に出し、日光浴をさせていた。そのため水晶に直接、日差しがあたり、焦点があって、発熱していたのだ。

もう少し遅く帰ってきたら、発火していたかもしれない。ぞっとした。よく、何気なくおいたメガネや虫めがねなどに太陽があたり、火事の原因になるというが、まさか、まさかであった。水晶はすぐに、室内の奥深く、陽の当らない床の間に位置を変えた。

油断もいいところだ。理科に弱いからなんて、言い訳は通じない。年をとって、用心ができなくなるから、と、火を使うことを避け、台所も電化したし、薪ストーブの導入もあきらめたのだが、どこかに隙があるのだ。

つれあいとともに、もう一度、総点検をしようと言っている。地震対策もしていないし、油断だらけの現在だ。

ヒートショック

この冬、寒さによる事故の一つにヒートショックがあげられ、その対策がいろいろ説明されている。極端な温度差をつくらないように、ということだ。特に年配の人が、温度差に耐えられないから、気をつけるようにという。

テレビなどで言われる注意点は:
1)起床時、お布団(またはベッド)の中は30度はあるので、部屋の空気を暖めて、起きるように。
わが家:就寝時には室温を15度くらいにして寝るのだが、就寝中の暖房はとめるので、起きるころの室温は真冬は5度以下になっている。本当に寒い日は0度ということもあった。

2)入浴の際は、脱衣所、浴室を暖めておく。お風呂の温度はあまり熱くしない。
わが家:一応、脱衣所と浴室には、天井に電気のヒーターをつけているのだが、これをつけることはほとんどない。電気代がこわいのだ。一応、サロンの暖気が流れるように、ドアを開けたままにしているが、暖房が遠いので、なかなか脱衣所やお風呂のところまで、暖気は届かない。
お風呂の温度は、少し熱めにいれないと、模造大理石のバスタブで、すぐに冷えてしまう。お湯は熱いのに、浴槽につかると、背中やお尻が冷え冷えとしてくる。水温もすぐに下がるので、42度以上にしておかないと、ぬるくて風邪をひきそうになる。

脱衣所とお風呂の温度は、血管を急に収縮させたり、拡張させたりで、事故の原因になるとか、しかし、暖かにするのは、なかなか難しい。

それに、好んでヒートショックになりそうなことをしている。朝起きて、ガラス戸が凍っていなければ、ベランダへ出て、マイナスの気温でも、冷たい空気で深呼吸する、これが大好きなのだ。10回ほど、深呼吸をして、少し体を動かし、体操もどきをする。ついでに部屋の空気も入れ替える。つれあいは寒さが苦手なので、すでにタイマーで暖房のはいった部屋に移動している。

セントラル・ヒーティングなんて言葉にあこがれていたし、東京に住んでいるときは、24時間空調で、一定温度に保たれた集合住宅に住んでいたけれど、寒冷地にきて、暖房費がかかりすぎるので、ヒートショック耐性をつけざるを得なくなっている。

きっといつの日か、倹約を後悔することになるのだろうが。

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