親の扶養

生活保護を受けている人の子どもが高額所得者の芸能人だったというので、受給の妥当性が問題になった。
芸能人の弁明は、母親が祖母と暮らしていたが、骨折?で働けなくなり、当時、彼はまだ下積みで、収入が不安定であり、母親本人が生活保護を申請したもので、彼はその事実を知らなかったというような内容だった。

この問題を、自民党の議員が追求したのだが、この追求を是とする人、非とする人、賛否両論だったようだ。この芸能人に限らず、子どもが十分な収入をあげているにもかかわらず、その親が生活保護を受けているケースがいくつもみつかったようだ。それを不正受給といっていいのかどうか、それはケースによりけりだという。

根拠の一つに、親と子は独立した個人であり、子は自分の生活を犠牲にしてまで、親を扶養する義務はないというのだ。
時代なのかもしれないが、なんだか、さびしい気分にさせられる論理である。

自分のケースを自慢するのではないが、わが家は父と母の生活を子どもがみていた。主として長男である長兄である。親の老後だけではない。長兄は、大学を卒業して就職するや、その給料の一部を、実家に送金していた。実家には、10人近くの人間が生活していたのだ。その当時、父も母も働いてはいたが、とても10人の生活、その中には私も含めて、まだまだ教育を受けなければならない人間がいたのだ。父母の給料だけではとても不足だった。

長兄はまだ自分の肉親だからいいとして、私は兄嫁に頭があがらない。それを承知で結婚したのか知らないが、新婚当時から、給料のほとんどを送金していたという。子どもも生まれ、それなりに生活の質を向上させたいであろうに、本当に質素な生活だった。

住宅ローンや車、子どもの塾やおけいこごと、そういった費用を犠牲にすることはない、という説明を聞くと、当時の長兄や兄嫁の心境をどう考えればいいのだろう。子どもがピアノを習いたがったけれど、とてもその余裕はなかったと、兄嫁は一度話したことがある。
私は恥ずかしかった。送金を受けている方の私は、ピアノを習っていたからだった。

長じて、私も働くようになり、父母はまったくの退職者として生活していた。長兄の指示で、私もごくわずかであるが、父母に送金するようになった。収入に応じて、というので、本当に小額であったが、収入自体が本当に少なく、自活するだけで精一杯、毎日、財布を逆さにして、残金チェックするような日々だったが、給料がはいれば、最初に送金というのは、毎月怠りなく実行した。

それはやはり、長兄夫婦が、自分たちの生活を犠牲にしても、送金をしてくれていたことへの感謝からである。親は子どもを扶養するのに、犠牲とはいわないだろう。だから、子も親の生活をみるのに、いろんな条件付けをするなんて、考えられない。

父が亡くなり、母だけになったとき、長兄から弟へと送金の主体は移ったけれど、また私の負担額も増えたり、いろんな変化はあった。私が結婚して、職を離れ、無収入となったとき、つれあいに母への送金は続けたいと頼んだ。つれあいも厳しい生活を送った人なので、親への送金は、無条件で引き受けてくれた。母が亡くなるまでの10年、つれあいがを負担してくれたことへ、感謝あるのみだ。

長兄も兄嫁も、恩にきせることなく、自然にやってくれた。そんな家族の中で育ったので、どうしても、最近の主張には違和感がある。
家族というものへの認識が変わったことは自覚している。扶養はその最たるものかもしれない。

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