オリンピックをアマの手に

ロンドンオリンピックが始まる。もうすでにその報道量にうんざりしているのは、私だけだろうか。オリンピックの金メダルが、そんなに大切なのだろうか。

その昔、オリンピックがアマチュアだけのものであった時代がなつかしい。こんなに放送もされなかったから、静かに楽しむことができた。プロはプロの試合があって、そこで最高の能力を示せればよかったのだ。

そもそもスポーツというのは、生活に余裕のある人がするものだった。そういえば、余裕のない人ができないのは平等ではない、ということになるが。
アマチュアといっても、共産圏の国々は、ステートアマの存在があったし、必ずしも、本当にアマチュアというのはいなかったのかもしれない。

たとえば、体育の教師などは、スポーツでお金を得ているのだから、アマチュアではないといった、アマチュア規定の厳格な適用が問題になったこともあった。そんな時代は夢のようだ。

戦争という国威発揚の場が、スポーツの場になりかわっているのだろうか。国単位で、国旗を掲揚して、メダルの数を競い合う。
強化費の高を競うほうが、軍事費を競うあうよりよっぽどいい。

これから3週間、全メディアが国粋主義に陥る。これはどこの国に逃げても、その国がそうなるだろうから、地球を逃げるよりほかはない。

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