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年金問題(3)

年金制度は究極の社会保障ではないだろうか。定年になり、収入が途絶えたとき、現役時代の収入のそれが3分の1程度にせよ、労働を伴わず、終生受け取ることができるなんて、夢みたいな制度である。
 日本での国民年金、受給の金額が少ないのは事実だけれど、考えてみれば、納付した金額を考えれば、それもいたしかたないのではないだろうか。足りない分は個人年金などに加入して、補充しなければならないのだろう。
 医療保険をみれば、それがわかる。昔は健康保険だけでカバーされていたものが、今、外資系がほとんどだが、医療保険の宣伝をみれば、これがどんなに普及しているか、よくわかる。
 入院保険以前は大部屋がいやなら、個室もしくは2人部屋など、自己負担で払っていた。自己負担の部分を医療保険がカバーしてくれる。これがけっこう馬鹿にならない金額なのに、カバーされたときのありがたさだけを宣伝している。国の保険もそれと同じなのに、これは強制なので、とられているとしか考えない。
 年金も同じことのように思う。これだけ長い間払ったのだから、老後を保障してくれて当然というが、どれだけの金額を払ったのか、計算したことはあるのだろうか。自分が払った金額より大きいものが、終生払われる安定感、これは大きい。個人年金は、10年とか年数を限定したものの場合、10年というのはあっという間に終わってしまう。平均寿命の長さを思うと、やっぱり国の年金に重みを置かざるを得ない。

 フランスでは年金がこれまでよすぎたのだ。それを彼らは既得の権利として、当然視している。BBCの放送では、定年にしてもイギリスは65歳まで働くのよと言っていた。

 若い間にもう少し給与条件のいいところで働くべきだったな、と思うこのごろである。

 続く

フランスの年金問題(2)

今朝のF2の放送を見ました。まるで暴動です。警官も武装しています。
製油所のストライキで、市中のガソリンスタンドのほとんどでガス欠になっています。
SEC!! この言葉をフランスに住んでいた時、体験しました。同じく製油所のストライキだったと思います。長距離の移動ができなくなって、行動の自由が奪われました。理由がなんだったか、もう10年以上も昔のことなので覚えていません。ガソリンがないことには、パニックにはならず、賢明な対応をしていたように思います。
 今回のストライキに対しても、寛容な対応をしているようで、少なくとも、ニュースにでた人たちは理解を示していました。
 定年を60歳から62歳にする、2年も余計に働ける、けっこうなことではないか、と日本人だったら思う。現実、日本では年金支給が65歳になるために、60歳の定年をどうにか延長できないか、模索しているところなのに。満額支給をうけるためには42年間の納付をしなければならない、これは問題だ。逆算すると62歳で退職し、満額支給を受けるためには20歳から働かなければならない。教育を受ける年数は増える一方で、25,6歳でもまだ学生という若者が増えている。
 鉄道や電力公社、病院関係など、退職年齢が低い職業について、どうなるのか。

これまでの年金制度で厚遇されていた人々との差をどうするか、年金問題というのは複雑ですね。

a suivre

フランスの年金問題

フランスの秋はなぜかストが多い。今年は年金問題がもちあがり、国中がマヒ状態のようだ。
労働者ばかりでなく、若者(大学生や高校生)も参加している。なぜか、それは政府が年金の納入期間を延長する法案をだしたからだ。納入期間が長くなれば、労働者は定年延長、あるいはより長く働かなければならなくなる。それは労働市場に若者がはいりづらくなることを意味する。
 1982年、社会党出身のミッテラン大統領が誕生し、政権交代もおきた。そのとき、選挙公約の一つに定年を65歳から60歳に引き下げることがあった。これにより、若者への雇用も促進されたのだ。それから30年弱がすぎ、すっかりこの制度も定着した。
 それに逆行する制度がうまれようとしている。フランス語の働くはtravaillerだが、語義にやりたくないことを義務としてやらさせるという意味が含まれているという。それから解放される定年は彼らにとって喜ばしいことだ。
 年金も日本に比較して多いようだ。多くの年金をもらって、体力・気力も十分な60歳で引退し、趣味にあけくれる生活、それがだめになりそうな改革が進められそうだ。労働者にしてみれば、たまったものではない。
 でも国からしてみれば、赤字がどんどん増えていく。それでこの改革となっているのだろうが、どこで妥協がうまれるのだろうか。


(a suivre)

秋たけなわ(3)

昨日マロングラッセのことを書いて、母を思い出しました。亡くなって7年がたちます。

南仏に住んでいたとき、プロヴァンスの新聞にmarrons glaces nouveaux sont arrives!!(マロン・グラッセ・ヌーヴォー到着)という記事をみつけました。マロングラッセは母の大好物。早速買いに行きました。母には12個入りの箱で、自分にはばら売りのを3個ほど買い求めました。航空便で送ったマロングラッセを母は大変喜んでくれました。

 でも自分で食べたのはほんの1-2個。一人住まいの母は、訪ねてきてくれた方に、フランスにいる娘から送ってきましたと、ふるまっていたのです。そしてお礼状には、「最後の晩餐のデザートでも食べたいくらいに好きです」とありました。

 そんな記憶があって、日本に帰り、数年たって、病床にある母を見舞いに帰省したとき、マロングラッセを持参しました。喜んでくれると思ったのですが、うれしそうではありません。手も出しません。服用している薬のせいか、病気のせいか、味覚が変わって、甘いものを求めなくなっていたのです。そんなこととは知らず、せっかく持参したのに、とがっかりしてしまいました。

 マロングラッセをみると、母を思い出し、なつかしかったり、ほろ苦かったり、切なかったりです。

 マロングラッセにあう飲み物はなんでしょうね。コーヒー、紅茶、ハーブティー、ワイン、ブランデー、ぴったりするのがみつかりません。

 フランス風のマロングラッセより、栗の甘納豆がお茶うけにはいいですね。
 

秋たけなわ(2)

散歩の途中で拾った山栗をゆで、大きなものは皮をむき、小さいものは半分に割って、スプーンで中身をすくっていました。これで茶きん絞りを作りました。ちょっとだけ砂糖を加えています。ほんのり甘い、新栗の香りが高い和菓子ができました。

フランスでは自宅の暖炉で焼いた焼き栗もおいしかったですが、パリなどでは、街角でマロン・ショーが売っています。焼きたての栗を買い、ポケットにいれて、その熱でかじかんだ手を温めたものでした。パリにいたときは学生、貧乏でぐらしで、このマロン・ショーの温かさにほっとしたものです。

栗といえばマロンと思います。マロンのなる木はマロニエ、パリの街路樹にとても多いので、秋になると、マロンがころころと落ちています。落ちたての実は茶色が光っていて、とてもきれいです。最初は食べられるものと思い、たくさん集めたものでした。それにしても、他に拾う人がいないのはどうして?と思ったものでした。
このマロンは食べられないと、ゆでてみてわかりました。食用マロンとして売っているのは、シャテーニュ(chataigne)というのでした。


新栗がでると、新マロングラッセが売り出されます。フランスでもマロングラッセはお高いのですが、秋の楽しみでした。

食べたくなりました。終わり

秋たけなわ

ボンジュール、今日からブログを始めました。
我が家の庭には、キノコがニョコニョコ出ています。アミタケやムラサキシメジは食用ですが、他のキノコが食べられるかどうかはわかりません。

以前住んでいたプロヴァンスも秋になると、キノコがたくさん出回りました。モリーユ(アミガサダケ)などは高級品で、これを八百屋さんに見かけると秋を感じました。

毒キノコと食用キノコの見分け方がとても難しいのはあちらも日本も同じですが、フランスではキノコの判定は薬局でしてもらうようになっていました。秋になると、薬局にキノコの写真が貼ってあったりして、それをみかけても秋だなーと思ったものでした。

キノコのほかにはクリもあります。山栗を拾ってこちらではゆでて食べていますが、フランスではもっぱら暖炉で焼き栗にしていました。

秋っていいですね。
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