危機管理(地震版)

今日は地震について書かれたブログが多いことだろう。やっぱり書かずにはいられない。愛読する「経営に成功するための15カ条」も、昨日早速臨場感をもって「地震考」を書いてあった。

3月11日午後2時46分、その時、炬燵にはいって、テレビで国会中継を見ていた。突然、緊急地震情報?が画面に出てきた。東北という地名に、遠いからいいやと、そのままこたつにはいったままだ。ところがよく揺れた。これまでにない、強い、長い揺れだ。真向かいに座っているつれあいと顔を見合わせるが、二人とも動かない。動けないのかも。

「あわてず、揺れがおさまってから火の始末」とテレビでは言っている。火は使っていない。揺れがおさまったものの、腰が抜けたのか、動く気になれない。結局、こわくて尿意を催したため、ようやく立ち上がった。

それからずっとテレビで被災地の様子が実況中継されるのをみている。なんという現実なのだろう。2006年12月26日のインドネシアなどの大津波は、時間差があった。これは今、起きていることなのだ、と思うと、画面に映っている車、歩いている人に、「早く逃げなさい!!」、「あぶない!!」と叫びたくなる。

結局、地震がおきてしたことは、停電を考えて、懐中電灯のあり場所を確認したこと、充電器にさしたままの携帯電話を手元においたこと、夕食を早目に準備して、5時に食べたこと、夜に全部閉める雨戸を一か所閉めずにいたこと、程度であった。

タンスの上にはいろんなものがのっており、家の中は物があふれている。もしもっと強い揺れだったらどんなになったろう、と思うが、今更片づけられない(気力・体力が失せている)。

それにしても携帯電話も固定電話も通じない。テレビだけは全局地震特番になっており、現地の様子を中継してくれる。情報がないというわけではないが、個人的な情報、つまり家族や友人とのコンタクトがとれない。これはどうしようもなく不安である。

東京というメガシティでの直下型大地震だったらどうなるのか、テレビ局は報道ができるのか、政府の会見などはどうやって見ればいいのか、iPodだなんとかだと新しいIT機器の宣伝はあっても、それがはたして機能するのか、またそれを持っている人はどれだけいるのか。

東京の地震でもないのに、すべての交通機関がストップしてしまうなんて。道路が寸断されているわけでもないのに、官房長官は歩いて帰るなという。「歩いて帰れ」という運動をしていたのはどこの団体だろう。

アフリカで内乱に遭遇したとき、自分の危機管理がいかになっていないかを実感したが、地震についても同様だということを感じている。

地震の規模が予想を超えるものだったと、政府や専門家は言うけれど、災害というものは、常に人智を超えたから災害になるのだ。

炊き出しの手伝いや介護の必要な方たちの手助けに飛んでいきたいけれど、きっと邪魔になるだろう。何をどうすればいいのやら、指示待ちである。今回はどうやらこうやら文句を言わず、「赤十字」でもなんでも寄付をすることになるだろう。




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