母の思い出

やたら母の思い出がよみがえってきた。母は60歳そこそこで、父と死に別れ、それから30年近くを一人ですごしてきた。父が結構手のかかる人だったので、もしかしたら、解放されたのかもしれない。

母の趣味は多岐にわたったが、一つに海外旅行があった。海外旅行が趣味というのもおかしいが、海外に出かけるのが大好きだった。
最初は、姉がイギリスで結婚することになり、その式に出席するため、渡英した時である。次いで、出産の手伝いで再び渡英した。

純然たる観光旅行は、義兄から、ギリシャのクルージングに招待された旅行だった。当時、義兄たちは中東に住んでいたが、夏休み、日本に帰る前、ヨーロッパを旅行していた。まだネットでチケットを予約するような時代ではなく、旅行代理店にききあわせて、安いチケットを探したものだ。

母一人をギリシャまで旅行させるのも不安に思った姉が、私の費用も負担してくれ、あこがれのエーゲ海クルージングに出かけた。
あいにく、エーゲ海は荒れていて、船長招待のディナーに、姉夫婦と私は、船室でゲーゲーやっているのに、母は甥たちとしっかり食事をしてきた。

それから海外旅行にはまって、私が毎年1カ月の休暇を海外旅行するのだが、必ず同行してきた。独り暮らしだから、誰に遠慮もない。いつでもOKなのだ。年が改まると、「今年はいつごろにするの?」と聞いてくる。
費用は自分の分は負担する。飛行機はエコノミークラス、ホテルも星がつくかつかないか、のレベルだが、バス付きであればいいわ、と気にしない。

海外の友人を訪ねての旅行も多かったので、母も友人宅に泊まって、家族扱いされていた。団体旅行ではなく、個人の、手作り旅行というのが気にいっていたようだ。シャトーに泊まりました、と友人に書き送ったこともある。
何度も泊まると、シャトーというには小さすぎることがわかったけれど、最初に母と泊めてもらった知人の家は、館といえる大きさで、シャンデリアやあちこちにある大理石の柱でびっくりしたものだ。

旅先での楽しみのお土産も、買い物好きな人で、「お母さんは、もう2度とここには来れないと思うのよ」と来場記念の品々を、誰さん、誰さんと、人名をあげて、お買い上げになる。荷物を持つのは私だ。

せっかく海外へ出かけて、母がいると行動の自由がきかない。同行する母が時にはうとましかった。旅行中、ずっと不機嫌な顔でいたこともある。

思いではたくさんある。一緒に訪れた国は、珍しいところでは、トルコ、パキスタンなどだ。トルコではカッパドキアや温泉で有名なポワンカレ?にもつれて行った。イギリスでは、ウィンブルドンテニスも見せてやることができた。
今になって、離れて住んでいた時代ですら、年に1カ月、密着した時間をすごすことができていたことに気がついた。

私は南仏に住んでいた時だが、母の最期の海外行きは、クウェートだった。姉が住んでいたので、訪問したのだ。姉と一緒とはいえ、ちっとも怖がらないで出かける。もう80歳すぎていたかもしれない。
英語もフランス語も話さないが、一人でスイスへ行き、姉の家族と合流したこともある。

海外へ出かけることが決まったときの笑顔、とてもかわいらしかった。もう一度、母と旅行したい。


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