孫はきてよし

本当の孫ではないけれど、小学校6年生と3年生の女の子がわが家に着た。中2日を他に行って、前後で4泊の滞在だった。お天気もよく、気持ちよくすごしていった。

怒涛のような4日間、朝は5時半から、こちらの寝室の戸が開けられる。3年生の子は、私と一緒に寝たいのに、つれあいが3人では眠れないと、いやがるので、がまんして母親や姉と一緒に寝ている。朝になるのを待ち構えて、寝室にきているのだ。

私のベッドにもぐりこんでくる。ぴったりと抱きつかれると、赤ちゃんのころを思い出す。こちらは目を覚まし、再び寝ようとしても寝られないのに、子どもは少し話をしていたかと思うと、もう寝息をたてている。

ただでさえ、睡眠障害があって、なかなか寝付けないのに、ようやく熟睡していた朝方を襲われて、文句をいいたいけれど、子ども相手には言えない。

一事が万事、子どものペースですぎていく。老人家庭の主導権が小学生に移った。躍動感が出る。悪くはない。エネルギーが満ち溢れているから、次々に動いていく。物事が完結しないままだ。老人は、一つ一つ、きちんと終わらせないと気持ちが悪いのだが、彼女らは、一つごとが終わらない前に、次のことに移っている。

自分たちもこんなだったろうか、とつれあいと話す。もっと大人にしたがっていたはずだ、とつれあいは言う。
そう言いながら、子どもが喜びそうなことを、こちらからも提案している、じじ馬鹿、ばば馬鹿だ。

宿題の手伝いもさせられる。小6の子は、英語の宿題もある。リーディングの手伝いを、と母親から頼まれると、発音に自信がなくなってくる。
こうしてみると、教育の内容の様変わりがよくわかる。我々の時代は、絵日記さえ書けばよかったのに、と複雑な宿題内容に、同情の念を禁じ得ない。

こちらも小学生の言動に興味を持つが、彼女らも老人二人の生活にいろいろ不思議発見をしているようで、どうして?、とかこれは何?といった質問が矢継ぎ早に飛んでくる。儀式ともなっている、食後の薬も、その量にびっくりしている。

わが家には、世界中のいろんなめずらしいものがあるが、今回、彼女らの興味をひいたのは、ヴェトナムの竹琴、それにアフリカの楽器類だった。姉妹二人で、アンサンブルを楽しんでいる。そんな遊び方も、老人には目新しかった。ほこりもとれ、音も出せて、楽器も喜んでいるだろう。

滞在中はパソコンも開けないほど、振り回されたが、今日の午後、帰って行った。静寂が戻ったけれど、なにかさみしい夜だ。


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