戦争の記憶

今日8月15日は、戦没者を追悼する日なのだそうだ。終戦(敗戦)記念日というのかと思っていたが、NHKの昼のニュースでそのように言っていた。記念祭典をそう呼ぶのかもしれない。

記念祭典の報道を聞いていると、戦没者の家族の老齢化で、直接の関係者が少なくなったという。それは当たり前ではないだろうか。戦後66年もたっている。軍人やその配偶者ともなれば、80歳代の後半が、当時の若い部類だし、遺児がいたとしても66歳以上ということになる。

フランスに行くと、小さな村などでは特に、村の真ん中にある広場に記念碑がたっている。第一次大戦で死亡した、その土地の出身者の名前が刻まれている。
それに相応する、第二次大戦版を探すが、それはみつからない。私の想像なのだが、第一次大戦では、数名か数十名の単位での戦死者であったものが、第二次大戦では、あまりに戦死者が多く、その記念碑を建てることもできないのではないかと思っている。

そのかわり、戦場となった場所に記念碑はある。たとえば、ノルマンディ上陸作戦が実施された海岸には、そこで亡くなった米兵の墓地があり、またパリ近郊には、イギリス兵の墓地がある。

日本での靖国神社問題、これに類似した問題はあるのだろうか。たとえば、セネガル人は相当数、当時はフランス兵として戦闘に加わった。モスレムが多い彼らは、カトリックの教会内に名前を記されたりするのを、どう考えているのだろうか。

メディアの報道は、いつも同じだ。戦争経験者が、もうこんな経験をさせたくない、と語り、聞いた人は、平和のありがたさを感じました、戦争を起こしてはいけない、と思います、などと答えている。
生まれた時から、平和の中にいる我々日本人、「水と安全」だけでなく、「平和」も当たり前、ただだと思っている人が多い。平和のありがたさを実感できるのは、平和でなくなった時だ。

この大震災でそれを体験したではないか。平穏な日常のありがたさを。
1回だけスイトンを食べて、戦時中をしのぶなんて、甘い企画としか言えない。

と思いつつ、正午の黙とうはしたけれど、何を願ったのだろう、何を祈ったのだろう。機械的な黙とうになってしまった。

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