結婚指輪

今朝、外出するのに、結婚指輪をはめようとした。普段ははずしている。畑や庭仕事、家事、台所仕事、指になにかついているのは邪魔っけだ。

このところ、外出の機会もなく、アクセサリーはしまいっきりだった。薬指に通すと、通るけれども関節のところがきつい。朝でもそうだから、夕方外す時のことを考えると、はめたままでいることがためらわれる。結局、指輪はしないことにした。

結婚指輪というのは、こういうふうに着脱するものではないだろう。常にはめているものだろうと思うのだが、何もつけない自由さに、結婚直後から、外出時に限っていた。

指が太くなり、関節が節くれるなんて、考えもしなかった。若いとき、左手の薬指のサイズが7で、なんと細いと(若い人は当たり前だろうが)言われて、いい気持ちになっていたのが、うそのようだ。

結婚指輪をフランス語でどういうのか、フランス語を習い始めたころ、指輪はbague、結婚はmarriageだから、bague de marriageでいいのかと思い、フランス人に言ったが通じなかった。alllianceと言うのだった。アリアンス、同盟、連合、といった意味もある。

結婚式で、指輪の交換をしたりするが、結婚式をあげなかった我々は、指輪も準備していなかった。ある週末に宝石屋の前を通りかかり、時の勢いで結婚指輪を注文したのだった。プラチナにしたかったが、店主に金を勧められ、それに従った。

しかし、つれあいも私もほとんど指輪をすることはなく、つれあいはしまった場所を忘れてしまうほどだった。神式、仏式、キリスト教、いづれの宗教的儀式もしなかった我々は、何に対して、愛を誓ったのだろう。

先般のDSKのスキャンダルで、けなげに夫を支えていた夫人のアン・サンクレールが、後日、公衆の前に出た時、その薬指に指輪がなかったことをメディアが報じていた。やっぱり結婚指輪をしているか、していないかは、結婚を続ける意思の有無を表しているのかもしれない。
このごろ、離婚式というセレモニーもあるとか、その席では、結婚指輪を叩き潰すのだそうだ。

世間的にそれだけ結婚指輪に重きが置かれているとすれば、我々は常に危機的状態にあると思われそうだ。
これで、これから指輪がはめられなくなったら、本当にやばいかもしれない、とつれあいの顔をのぞいてみた。

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