5月8日から8月15日まで

8月6日、広島に原子爆弾が落とされた日。わかっているのに、昨夜は睡眠障害で眠れず、朝起きが遅かった。黙とうに間に合わなかった。申し訳ない思いでいっぱいだ。

1945年生まれというのは、常に第二次大戦の終戦を意識する。戦後何年というのが、自分の年齢に相当するからだ。6月生まれだから、戦中派に属する。戦後派にいれてもらえないのだ。

それにしても、欧州での終戦は5月8日、日本では8月15日、それも終戦と称して、敗戦とは言わない。この3カ月の間、日本の軍部と政治家は何を思っていたのだろう。神風が吹いて、戦況が一変するとでも思っていたのだろうか。

ドイツが敗れたとき、日本も負けましたと、戦争状態をやめていれば、広島もなく、長崎もなくてすんだのに、と思ってしまう。プラス、生まれた町である久留米への空襲もなくてすんだ。

おそらく、負けましたと言うだけでは戦争は終結せず、アメリカはどうしても原爆を実験的に落としたかったのだろうと思う。ソビエトの思惑もあったはずだ。

調整するのに3カ月を要したのかもしれないが、この3カ月間にもたらされた被害、悲劇を思うと、やっぱりどうにかならなかったのか、と思ってしまうのだ。

ドイツも全土が焼土と化し、東西に分裂するドラマがあった。戦後はゼロからのスタートとなったのだろう。しかし、日本は放射能という大きなマイナスを背負ってのスタートとなったのだ。66年を経ても、まだマイナスの部分は残っている。

戦争に大義はない、と思う。最近のイラク侵攻、アフガニスタン、いずれも西側の生存権のための戦争だ。西側に与しているのだから、文句は言えないのかものしれないが、テロの恐怖も、一方だけの論理に思える。

原発は経済力維持のために必要だという説、地球を汚してまで主張できることだろうか。

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