海外ニュース

日本のメディア、特にオーディオヴィジュエル、つまりテレビやラジオでは、海外ニュースに割く時間が少ないように思う。NHKにおいても、なかなか総合の場合、海外について報道することが少ない。

通り一遍の報道では、深い事情などわからない。そんな場合、BS1でのWorld Waveが役に立つ。が、これがいつも放送されるとは決まっていない。それが難点だ。

時間は決まっていないが、BBC(イギリス), F2(フランス)、そのほか、スペインやアルジャジーラはアラブ諸国の、韓国、中国、各国の放送が断片的にみられる。わが家はBBCとF2を気をつけてみるようにしている。

今朝、7時にF2を見た。最初の報道は、株式市場の混乱である。パリで5%以上、ロンドン、ミラノ、フランクフルト軒並み下げている。私は株式投資をしないから、それがどうしたと思うけれど、これだけ、ヨーロッパで下げているとすれば、日本にも影響するだろう、と思った。

案の定、日本も下げている。しかし、ニュースでは天竜川の転覆事故がトップだし、株安には触れても、各国の状況には言及がない。

そのほか、シリアのこと、リビアのこと、中東情勢は、石油市場にも影響を与えるのだが、ほとんど無視されている。これでは、これらの国の騒乱が終わったような気になる。

イギリスの騒乱もそうだ。根深い事情(緊縮財政)があるのに、原因は財政赤字であって、日本でも起きうることなのに、フォローはない。

グローバル化を言うなら、もっと世界のニュースを取り上げてほしい。芸能人が離婚したの、浮気したのを報道する時間があるのなら、もう少し、海外ニュースをと願っている。

露天風呂にはいる

一昨日、久しぶりで万座温泉へ出かけた。同じ村内にあるけれど、山へ登るわけだから、車とはいえど、なかなかその気になれない。ある程度の条件がそろわなければならない。つまり、好天気、風が強くない、車があまり多くない(つまりは週日)、などだ。

一昨日は、まだ夏休み中ではあるけれど、平日だからそう混んではいまいと、出かけることになった。緑が濃い。夏の花が咲いている。わが家ではとうに終わったトラノオも咲いているが、コマクサ、ツリフネ草、などもある。

日本で一番高い所にあるという露天風呂に入った。屋根がないので、本当に露天である。脱衣所は屋根付きだし、一応の建物になっている。混浴ではない。
この日は好天で、風もなく、最高の条件だった。周囲の景色もくっきりと、遠景もよくみえる。お湯は熱からず、ぬるからずで、長湯もできる程度の熱さだ。

同行した家族は、高い山での露天風呂は初めてとのことで、その開放感に感激している。この感覚、どうやって身についていくのだろう。日本人として生まれ、子どものときから、温泉にときどき足を運んでいるうちに、この醍醐味を覚えていくのだろうか。

外国にいるとき、日本に帰ったら、食べたいもの、行きたいところ、そんなことを考えながら、時には過酷な条件にある生活を耐えていたものだ。
その苦労あって、この地上の極楽を味わえるのだろう、などと湯にひたっていると、つれの小学生が、”甘露、甘露”と言う。祖父母から習ったらしい。

ゆったりとすごした露天風呂での時間、これで幸福になれる、単純な生活に満足している。

孫はきてよし

本当の孫ではないけれど、小学校6年生と3年生の女の子がわが家に着た。中2日を他に行って、前後で4泊の滞在だった。お天気もよく、気持ちよくすごしていった。

怒涛のような4日間、朝は5時半から、こちらの寝室の戸が開けられる。3年生の子は、私と一緒に寝たいのに、つれあいが3人では眠れないと、いやがるので、がまんして母親や姉と一緒に寝ている。朝になるのを待ち構えて、寝室にきているのだ。

私のベッドにもぐりこんでくる。ぴったりと抱きつかれると、赤ちゃんのころを思い出す。こちらは目を覚まし、再び寝ようとしても寝られないのに、子どもは少し話をしていたかと思うと、もう寝息をたてている。

ただでさえ、睡眠障害があって、なかなか寝付けないのに、ようやく熟睡していた朝方を襲われて、文句をいいたいけれど、子ども相手には言えない。

一事が万事、子どものペースですぎていく。老人家庭の主導権が小学生に移った。躍動感が出る。悪くはない。エネルギーが満ち溢れているから、次々に動いていく。物事が完結しないままだ。老人は、一つ一つ、きちんと終わらせないと気持ちが悪いのだが、彼女らは、一つごとが終わらない前に、次のことに移っている。

自分たちもこんなだったろうか、とつれあいと話す。もっと大人にしたがっていたはずだ、とつれあいは言う。
そう言いながら、子どもが喜びそうなことを、こちらからも提案している、じじ馬鹿、ばば馬鹿だ。

宿題の手伝いもさせられる。小6の子は、英語の宿題もある。リーディングの手伝いを、と母親から頼まれると、発音に自信がなくなってくる。
こうしてみると、教育の内容の様変わりがよくわかる。我々の時代は、絵日記さえ書けばよかったのに、と複雑な宿題内容に、同情の念を禁じ得ない。

こちらも小学生の言動に興味を持つが、彼女らも老人二人の生活にいろいろ不思議発見をしているようで、どうして?、とかこれは何?といった質問が矢継ぎ早に飛んでくる。儀式ともなっている、食後の薬も、その量にびっくりしている。

わが家には、世界中のいろんなめずらしいものがあるが、今回、彼女らの興味をひいたのは、ヴェトナムの竹琴、それにアフリカの楽器類だった。姉妹二人で、アンサンブルを楽しんでいる。そんな遊び方も、老人には目新しかった。ほこりもとれ、音も出せて、楽器も喜んでいるだろう。

滞在中はパソコンも開けないほど、振り回されたが、今日の午後、帰って行った。静寂が戻ったけれど、なにかさみしい夜だ。


戦争の記憶

今日8月15日は、戦没者を追悼する日なのだそうだ。終戦(敗戦)記念日というのかと思っていたが、NHKの昼のニュースでそのように言っていた。記念祭典をそう呼ぶのかもしれない。

記念祭典の報道を聞いていると、戦没者の家族の老齢化で、直接の関係者が少なくなったという。それは当たり前ではないだろうか。戦後66年もたっている。軍人やその配偶者ともなれば、80歳代の後半が、当時の若い部類だし、遺児がいたとしても66歳以上ということになる。

フランスに行くと、小さな村などでは特に、村の真ん中にある広場に記念碑がたっている。第一次大戦で死亡した、その土地の出身者の名前が刻まれている。
それに相応する、第二次大戦版を探すが、それはみつからない。私の想像なのだが、第一次大戦では、数名か数十名の単位での戦死者であったものが、第二次大戦では、あまりに戦死者が多く、その記念碑を建てることもできないのではないかと思っている。

そのかわり、戦場となった場所に記念碑はある。たとえば、ノルマンディ上陸作戦が実施された海岸には、そこで亡くなった米兵の墓地があり、またパリ近郊には、イギリス兵の墓地がある。

日本での靖国神社問題、これに類似した問題はあるのだろうか。たとえば、セネガル人は相当数、当時はフランス兵として戦闘に加わった。モスレムが多い彼らは、カトリックの教会内に名前を記されたりするのを、どう考えているのだろうか。

メディアの報道は、いつも同じだ。戦争経験者が、もうこんな経験をさせたくない、と語り、聞いた人は、平和のありがたさを感じました、戦争を起こしてはいけない、と思います、などと答えている。
生まれた時から、平和の中にいる我々日本人、「水と安全」だけでなく、「平和」も当たり前、ただだと思っている人が多い。平和のありがたさを実感できるのは、平和でなくなった時だ。

この大震災でそれを体験したではないか。平穏な日常のありがたさを。
1回だけスイトンを食べて、戦時中をしのぶなんて、甘い企画としか言えない。

と思いつつ、正午の黙とうはしたけれど、何を願ったのだろう、何を祈ったのだろう。機械的な黙とうになってしまった。

8月15日盛りだくさんの1日

8月は忙しい月だ。大きな行事が多い。8月6日:広島被ばく記念日、8月9日:長崎被ばく記念日、これが8月15日の終戦記念日(敗戦)につながる。それに旧盆が重なって、休暇のピークに戦争関係の情報、話題に事欠かない。

敗戦がゆえか、8月15日は国家の休日ではない。平日だ。これだけ歴史を変えた日なのに、なぜ休日にしないのだろう。祝祭日ということばにはあわないかもしれないが、戦争が終わったという点では、国民は負けたにせよ、喜んだと思うのだが。

昔、働いていた外国の機関で、8月15日が休みになっていたことがある。へー、外国が日本の終戦を祝うんだと言われた。そうではない。8月15日は、カトリックではマリア被昇天祝日、つまりキリストの母マリアが昇天されたお祝いの日なのである。フランスでは国家の祝祭日の一つで、在外の機関でも適用されたのだ。(その後、夏休みを取っている人も多く、無用な休日として、適用されなくなった)

また、ナポレオンの誕生日でもある。彼は1769年8月15日に、コルシカに生まれた。マリア様の祝福を受けた誕生であったかどうかはわからないが、彼の生涯は、波乱に富み、フランスの皇帝の地位にまで上り詰める。フランスで帝政が続いていれば、もしかすると、マリア被昇天祭ではなく、初代皇帝生誕記念日といった名前で呼ばれていたかもしれない。

8月の行事は、この8月15日をピークに、一挙に夏の終わりに向かうように思う。学校に通う子どもたちは、夏休み終盤となって、宿題に追われるし、労働者はなるべく8月内に休暇をとらなければと気分があせる。8月15日をもって、当地は秋モードに変わる。朝夕の涼しさ、木々の葉が少しずつ紅葉を始める(もう始まってはいるのだが、はっきり認識させらるのだ)。

今年も残りのほうが少なくなった。明日は夏最後の高揚感を味わうことにしよう。

夏休みの取り方

今年は電力事情で、夏休みの取り方が変則的と聞いていた。長期間になっているとか、お盆休みの間に操業する工場があるとか、報道されていた。

なんのことはない。いつも通りのお盆休みの混み方だ。いつも以上のような気がする。分散してくれれば、あの気違いじみた混雑はないだろうと期待していたのだが、空、鉄道、道路、全てに混んでいるようだ。

みんなが休みをとる期間というのは、あわせやすいという点もあるだろう。旧盆にあわせて帰省するひとたちはことさらだ。普段、会えないひとたちが、故郷で一同に会するとか、卒業後、ばらばらに散った友人たちが、同窓会をするとか、旧盆の休みはそれなりの価値がある。

外国の機関で働いていたとき、夏に休暇をとる人は多かった。まずフランス人はほとんどが、7月休みの人、8月を休む人、と分かれて、夏に長期の休暇をとり、本国に帰国する。
我々日本人も、ボスが休みの時に休暇をとるとか、あるいは、ボスが休みだからこそ、一人のうのうとマイペースで仕事らしく格好つけているとか、していたものだ。

人が少ない時、職場の敷地内にあったテニスコートは専用状態にあった。のんびりムードで仕事ができるときに休暇なんてモッタイナイと、夏は働いていたものだ。

しかし、さみしいのは事実だった。休暇あけでも、こちとらは仕事のみ。変化がない。休暇をとった人は、いきいきと、リフレッシュしている。季節をづらした休暇は、旅行するとき、費用が安いとか、混んでいないという利点はあるが、盛り上がりに欠けていた。

そして今、いつも休暇中といっていい状態にある。そうなると、8月のこの週でなければ、休みがとれないという人がうらやましい。この週に集中して、エンジョイしようというその意気込み、雰囲気にも出ている。
そうであれば、少し混雑していていも、渋滞しても、物価が上昇していても、許容の範囲というものだ。

いろんな取り方もあるだろうが、日本のこの一時期集中型、伝統の無形文化財かもしれない。

菅でなければ

菅首相がようやく辞意を表明したという。野党の不信任案提出を、どうにかやりすごした時、3つのハードルを設けた。臨時国会を8月末までとしたとき、それまでに辞めるものとみんなが思っていたのに、ハードルが高いので、あやしくなっていたところのことであった。

先日、民放の政治批判をうりものにしている番組で、ある政治評論家が「菅でなければ、だれでもいい」というような発言をしていた。そして現内閣よりはましとして、与野党大連立の内閣を予想しているのだが、なんと、小沢と鳩山を入閣させていたのだ。

鳩山を外務大臣にしていた。それはなんでもひどすぎるでしょうと、他の出演者から批判がでて、これはないかもしれないけれど、現内閣よりはましなんですよ、と言っている。

現内閣、あるいは菅首相はそんなにひどいのだろうか。本当に菅首相でなければ、大震災の復興、福島原発の収束、年金の問題、沖縄の基地問題、今度の円高、なんでもうまくいくのだろうか。誰ならうまくやってくれるのだろうか。

早速、民主党では次期代表に立候補しそうな、立候補の意思をもう示している人の名前がでている。しかし、これからの難問山積の日本を導いてくれそうなオーラを感じる人はいない。

野党も菅が首相でなければ、民主党に協力するというのなら、なんとも無責任な話だ。白けきっている。ばかばかしくて仕方がない。政治評論家も、悪口をいえば、商売になっているという感じがしてならない。

あんなに期待されたオバマアメリカ大統領にしても、結局、アメリカの積年の問題を解決できず、今回の評価ダウンを招いた。
日本にスーパーマン的な政治家がいるとは思えない。どの政治家も次期首相としての期待度はせいぜい5-6%にすぎない。せめて二桁の数字を得る人がいればいいのだが。

夏場というのに、高校野球を教育テレビにまわして、NHK総合で国会中継があるのは、例年にないことだけど、辞めるといった首相の言葉が軽く、辞めるのですねと、そんなことばかりを問いただす野党、暑い夏がいよいよむなしく過ぎていく。

イギリスの騒乱

昨日からニュースで、ロンドンを始め、イギリスで起きた騒乱事件が扱われていた。警官が若者をあやまって射殺したことが事の発端とか。

ロンドンのみならず、バーミンガムや他の地方都市にも騒ぎが波及しているそうだ。私はイギリスには数回しか行ったことがなく、あまり土地勘もないし、通り一遍のことしかしらない。そして最後に行ったのは、1997年ごろのことだ。

最初にイギリスへ行った時は、40年も前で、親切なイギリス人のお世話になり、お宅に泊めていただいたり、スコットランドやロンドンの御親戚に紹介していただいて、行く先々で、英語も満足に話せなかった私が、無事に旅行できるように取り計らってくださった。

それ以外にも、街中で、あるいはチューブ(地下鉄)で、YWCAで、イギリス人は親切だった。わからない事に対して、私の英語力にあわせて、ゆっくり、丁寧に教えてくれたりした。そこにイギリス人の歴史的な余裕を感じたものだった。

しかし、今日、テレビに映っているのは、商店や駐車している車を襲撃しているシーンだった。焼き討ちまでしている。移民系の若者といえば、簡単かもしれないが、古きよきイギリスではない姿だった。

緊縮財政からくる失業、経済不振、若者対策費の減少、そういったものが、若者の不満をため込み、今回の誤射が火をつけたという。
財政赤字をどうにかしなければならないのは、アメリカ、日本もそうだ。ギリシャもイギリス同様の騒乱が起きる可能性を秘めている。
日本は財政赤字を減らすために、どんな方法をとるのだろう。もし緊縮財政となり、国民に犠牲を強いた時、同じような騒乱は起こりうるのだろうか。


借金も財産のうち

「借金も財産のうち」と今もいうのだろうか。昔は借金をするというのは難しかった、と思う。銀行の個人貸し出しはないし、消費者金融というのもなかった。

借金をするのは、親戚・知人からだったのだろう。親の扶養家族であったときは、自由になるお金もないけれど、借金をする必要もなかった。

初めて借金をしたのは、住居を買おうと決心したときである。ちょうど、銀行が個人むけのローンを始めていた。しかし、女性にはなかなか貸してくれないとか、勤続年数が5年は超えていなければならない、返済金額が年収の何割(忘れた)内でなければならない、といった制約も多く、いくらかは借りることができたけれど、必要な金額が調達できなかった。

残りをどうするか、母親、兄などから借りたけれど、銀行に住居(中古マンション)を担保につけられているし、他に担保になるものはなかった。私という人間に対する信用だけである。兄は一度、身うちに貸して、返済されなかったという経験もある。貸してくれるかどうか、心配だった。

銀行への返済は、借りた金額が返済能力をきちんと考えた挙句のことであるから、無理はなかった。しかし、母や兄への返済もある。信用だけが担保のときに、返済を滞らせてはならない。最初の数年間は返済しか頭にない生活だった。その時の苦しさから、借金はもういやだと思い、それからローンも含め、したことはない。

高齢者といわれる年齢になって、幸いなことに借金はない。どんなに気持ちが楽なことだろう。収入は少なくても、借金返済がないのはうれしい。

仕事の関係で、現役世代の相談にのることもある。今、借金をするという大事がいかにやさしいことか。住宅ローンも、(昔の)住宅金融公庫ですら35年のローン期間を設けているし、銀行もそうらしい。たとえば、35歳で家を買おうとして、2000万円のローンを組む。35年のローンだと、条件次第だけれど(ボーナス併用)、そう厳しい金額ではない。

しかし、数年前のリーマンショック、今回のアメリカ発世界株安、いろんな事件に伴って、経済状況は変わる。それより35歳で35年のローン、70歳まで収入が変わらずあると予定していいのだろうか。
病気、リストラ、離婚、さまざまな悪条件が絡んで、ローンの返済のために、消費者金融をたよって、泥沼に陥ったり、自己破産をせざるを得なくなったりした人もいる。

個人の問題だから、借金するな、とは言えないが、身の程を知って、身の丈にあった生活を、と言ってやりたい。
今回のアメリカにしても、借金を恥とせず、居直っているのが、そもそもおかしいのでは?と思っている次第だ。


韓流時代劇の?

韓流時代劇にはまっている、とまでいかないが、韓流ドラマでも現代ものはみず、時代劇を主にみている。恥ずかしながら、韓国の歴史には無知なのだが、一部とはいえ、歴史の場面をみて、知識が増えた気になっている。

以前は、チャングムを合計4回見た。これは本当に面白かった。毎回、放送の日がくるのが楽しみだった。今はそれほどではないが、なるべく欠かさず見るようにしている。それは日曜日の「トンイ」と「イ・サン」である。

しかし、この2番組をみていて、違和感を感じることがある。一つは、出演者の歯並びがとてもきれいなこと、明眸皓歯というのは美人の表現だが、男女をとわず、歯並びがいい。庶民で出演している人もそうなのだ。
真っ白の歯をみせて、せりふを言われると、ちょっと違うなーという気持ちになる。

それとこれは翻訳の問題なのだろうが、女性のセリフでも、とても乱暴なのだ。王妃や貴人たちが、命令口調とはいえ、「はいれ」とか「すわれ」といった言い方をしている。韓国語の原文がそうなのだろうか。「お入りなさい」とか「お座りなさい」でも十分命令口調になると思うのだが。

それに王様という存在に「殿下」という称号を用いている。なぜ「陛下」ではないのだろう。重臣たちが声をそろえ、一斉に同じセリフを言うのも、なんだか奇妙だ。そして、王様や王妃様、側室などには、おつきが大勢ついてまわるのだが、いつもすこし体を傾け、立っている。これもつらいものだろうなと思う。

中国と同じく、宦官の制度があるのも韓流ドラマで知ったことである。韓国まできて、日本にははいってこなかったのはなぜだろう。

楽しみの一つに、室内装飾をみることもある。王宮の中で、いろんな部屋がでてくる。とくに楽しみは、バックにある書をみることである。見事な書がある。とくに役人の事務所には、ハングルではなく、漢字の書の屏風などがあるのだ。

いくつもの楽しみがあって、毎週日曜日が待たれている。8時からのNHK大河ドラマは、お風呂タイムか用事をすませる時間になっている。

セリフについての疑問にどなたか答えていただけないだろうか。

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