ふるさと考

うさぎ追いしかの山 こぶな釣りしかの川 ゆめはいまもめぐりて 忘れがたしふるさと
この歌をきくと、いつも涙がでてくる。

東北の被災者の方々のなかで、また福島原発で、避難命令から自宅をはなれていく方々、お気持ちはどんなだろうと思う。

東北、三陸海岸の景色をみていると、この「ふるさと」の歌がぴったりくる。春夏秋冬、厳しい季節もあるだろうが、それを含めて、すべてがふるさと、との感を強くしているのではないだろうか。

今、集団移転が行われているが、きっとふるさとへ戻るという決意を秘めての移転なのだろう。
こういう移転が行われる時、対比するのが適当かどうかはあるのだが、ユダヤ人のディアスポラ(diaspora)を思い出す。彼らは2000年という長い歳月を経て、カナンの土地へと戻ったのだ。

何代にもわたるこの故郷への思い、私には信じられないが、現実なのである。今回の被災者の方々が、2000年の放浪生活をなさることはないだろうが、一端、別の土地へ移ることを決心された方のなかには、数年、あるいは数十年の時間を経て、故郷へ戻られることも考えられる。

ふるさとは不思議なものだ。生活条件の上で、快適とはいえなくても、戻りたくなる。DNAにも組み込まれるのだろうか。今度の災害がひどければひどいほど、その強烈な思い出がDNA化し、一端離れても、ひきつけれらるような気がしてならない。

こんなところに住まなければよかった、というような表現をする人をみない。かえって土地への愛着が感じられる。うらやましいほどだ。

新潟地方の地震のとき、山古志村の被害が甚大で、復興は無理のように思えた。都会のあるジャーナリストは、こんな社会資本を投入しなければならない場所にはすむべきではない、と寸断した道路を修理する費用などをあげて、放棄せよと言わんばかりであった。

都会の人の思い上がりである。都会なら、直下型地震でもおき、生活基盤がずたずたになったら、容易にその土地を捨て去ることはできるだろう。気の毒な根なし草だから。

これから復興には5年、10年とかかるだろうが、彼らがまた故郷を再現されるのをみたいものだ。


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