トイレの話

歳を重ねるとともに、人見知りは少なくなったが、トイレ見知りをするようになった。40年来、便秘で苦しんでいるので、朝の行事は神聖化している。

自宅のトイレに慣れているせいで、どうもよそには行きたくない。いす式、水洗、便座暖房、シャワー付き、トイレットペーパーはダブルのもの、これらの条件を満たしていれば、どうにかクリアできるのだが。

フランスでは、トイレはだいたいお風呂と同居している。バスタブ、トイレ、ビデ、洗面台がセットになっている。よその家を訪問して、トイレを借りるのは考えものだ。その家のプライヴァシーが丸見えのことがある。エントランス近くに、ほんとうにトイレだけ備えたところもこのごろは多いけれど。

アフリカではひどいトイレばかりを経験した。自宅(ただ水洗というだけ)、あるいは欧米系の友人宅以外は、トイレを使用するのを控えていた。豪華ホテル(外見が大きいだけ)でも、ロビー階にあるトイレは、便座がなかったり、汚かったりするし、トイレットペーパーは備え付けられていなかった。

内戦や自然災害による避難民のキャンプを訪れた時、私の最大の関心事は、トイレ問題だった。テント生活をしているようなキャンプで、トイレはどうなっているか、案内してくれた人に聞いた。
「敷地の端っこに、深い穴を掘るのです。その数は、避難民の人数によって変わります」

私が訪れたキャンプは、半分、廃業した工場の跡を使っている600人ほどの小規模なものだった。600人に対し、2つの穴を掘ったという。そこに板を渡し、そこで用をすますのだ。穴がいっぱいになると、土を加えて平らにし、また別の場所に穴を掘るのだという。

簡単といえばとても簡単にできる臨時のトイレだ。しかし、600人に対して2つのトイレが、使用頻度について妥当なものか、とか、衛生面の考慮というのは一切されていないことは、事情通ならずとも理解できる。

そのトイレを試してみることはしなかった。しかし、同じようなトイレの経験はある。「草の根援助」の一つとして、首都の近郊の村に、井戸が掘られ、その完成記念の式典に行った時のことである。家から60キロほどだが、道路が悪いので2時間はかかる。

暑い国なので、水分補給をする。当然、トイレに行きたくなる。式典が始まる前、同席しているシスターに、トイレの場所をお尋ねした。修道院はないが、シスターが2、3人常駐していることもあって、それなりのトイレがあると思ったのだ。ちょっと困った顔をされたが、どうぞと案内してくださる。

板でかこったところがあった。そこがトイレとのこと。はいってびっくり。穴があって、そこからハエがわーっと飛び立ってくる。思わず唾を飲み込んだ。そして穴の中をみおろすと、ウジ虫がうようよしている。
もうその気はなくなった。後ろ向きに板がこいを出ると、シスターが困ったような顔のまま、待っていて下さった。

”サヴァ?(大丈夫?)””サヴァ(大丈夫よ)”と済ませたとも、すませなかったともあいまいに式典に戻った。それから、自宅に帰りつくまで、おもらしをしないように、とそればかりを気にしていた。

地震や水害などで、建物が機能しないなかで避難されているとき、トイレ事情はどうなっているのだろう。細かく報道しないのが、マナーなのだろうとは思うが、どんなに御不自由なことか、と拝察している。水がないのだから、水洗は機能しない。手を洗うこともできなければ、トイレットペーパーもないことだろう。

トイレに行くのを避けるため、水分補給をしなかった老人たちが、体調を崩したり、エコノミー症候群などで、亡くなられたといったケースもあったときく。
寒い季節だから、衛生面で少し救われる部分があるだろう。徐々に簡易トイレも設置されてきたようだが、一日も早く、快適なトイレを使えるようになられることを願っている。


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