砂上の楼閣

「山には山の憂いあり、海には海の悲しみが」という歌詞の歌がある。古い歌なので、御存知の方はある程度の年齢層だが。

私は山に住んでいる。しかし若いころは海辺に住むのが憧れだったし、三陸海岸は訪れてみたい場所だった。以前住んだマルセイユの近くには、リアス式海岸とかフィヨルドと呼ぶには規模が小さいが、入り組んだ入り江の連続する場所があり、カランクと呼ばれていた。

景色がよく、夏場にはよく訪れた。白い浜辺の海岸もいいが、山が海に迫った海岸を海側から見ていくのも楽しかった。三陸海岸は訪れたことがなく、いつの日かと思っていた。

しかし、この災害で、しばらくはいけないだろう。景色がよく、海の幸が豊富なこの地が、観光客を受け入れるのはずいぶん先のことになるだろう。

海辺が津波でこわいなら、山なら大丈夫か、それは言えない。今住んでいるところは高度1000メートルの山間地だが、浅間山噴火の危険はあるし、台風や大雨で、山崩れ、がけ崩れ、倒木、落石、などの危険があり、その結果の道路寸断や、通行不能、停電、断水など、いともたやすく起るだろう。

どこに住めばいいのか。どのような家屋にすめばいいのか、いろいろ考える。ここが安全ですと言われても、必ずしも住めるものではない。私たちはもう退職者として、住む場所を選ばなくてもすむけれど、それでも外国とも言われれば、身うちや友人の意見も聞きたくなる。

パオに住んで、いつでも移動可能なモンゴルの遊牧民のように暮らすか、ベドウィン的生活をするか、エスキモーのように氷上での生活を選ぶか、移動を簡単にすれば、こういった喪失感はもたずにすむのかもしれない。

いずれにせよ、これまでの定着したと思っていた暮らしは、砂上の楼閣にすぎないことがわかった。

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