ガソリンについて

いつになったらガソリンが自由に買えるようになるのだろう。その予想がつかないので、車にのれないでいる。
今日で3日間、車にのらなかった。特別用事がなかったからだし、新聞とりは徒歩でいったからだ。

友人はガソリンの価格を300円ほどにすれば、本当に必要なひとだけが給油するのではないか、そうすれば需給のバランスがとれて、ガソリン不足はなくなるのではないか、という。

しかしそうだろうか。もちろん、私たちは不要不急でも車に簡単に乗っていた。それはあるが、公共交通機関のないド田舎や、わたしたちのような山間部に住んでいる人間にとって、車は必需品だし、これがないと動きがつかない。

新聞とりも3日続くと、高齢者の我々にとって、気持ちのいい散歩とはいえなくなる。疲れがでてきた。新聞を読まなければいいのだが、この状況では、新聞は読みたい。

もう食料品も底をついてきたので、買い出しにも行きたい。来週になると、仕事の予定もある。鉄道を使えば?と言われても、駅まで8キロ、そしてその頼りの吾妻線は3日連続で運休だ。

村のガソリンスタンドの車に出会った。顔見知りの運転手さんに合図して、停車してもらった。「ガソリンはありますか?」と聞くと、「まあね。だけど、残りが3分の1以下の車に、20リットルだけ入れることになっている」という。灯油も100リットルの限定だそうだ。

ほっとした。値段は聞かない。これが200円でも300円でも、必要なら入れてもらわざるを得ないからだ。
もちろん、値上がりしたまま、1年も続くとなると困るけれど。

明日は軽井沢へいく。ここは長野県、中部地方になる。また別世界のようだ。明日報告する。

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